アイリーンはもういない画像

アイリーンはもういない

察するという行為が映像表現と相性が良いことに気がつく作品

冒頭のアスペクト比がシネスコになっていないところと、配給会社のロゴ映像などがわざと古臭い感じになっていて、ああこれは普通の映画じゃないんだなとすぐ気がつく仕掛けになっている

アイリーンのタイトルの字体からなんとなく60年代ごろを想像させる作りになっていて凝っている

そしてすぐに映る車のデザインと服装からやはり時代設定が60年代だとわかる

海辺に停めた車の後部座席で激しく求め合う男女を盗み見るアイリーン

ドアを開けて地面の雪を掴むと自分のスカートの中に突っ込む

そして画面いっぱいに映る恍惚とした表情

うん、掴みはバッチリ

ようするにこの映画は60年代に生きる性的に欲求不満な若い女性アイリーンの物語なんだなとわかる

この時点でちゃんと鑑賞者を選別していて、このアイリーンに興味を持つかどうかでこの映画を楽しめるかどうかが決まるというわけ

この性的に欲求不満なのはなぜなのか?とか60年代に生きる女性はどんな暮らしぶりなのか?雪の降る海辺の街の暮らしはどんなか?そして冒頭からこんな体当たり演技を披露してくれる女優(トーマシン・マッケンジー)に興味が湧かなければおそらくこの映画はハマらない

そういう意味でかなり制作者(クリエイター向け)の映画になっていて、エンターテイメント目的で観ると退屈してしまうかもしれない

もちろん美人女優目当ての男性は観るかもしれないが、この映画はじつは女性目線で作られていることがよくわかる

アル中のお父さんの世話を焼く24歳のアイリーンが職場のお局様にいびられたり、セクハラ発言をされたりするのをあるあるネタとして面白く観れるのは女性目線で作っているから

美人な姉と比べられてきてコンプレックスを抱いているアイリーン(トーマシン・マッケンジーが演じてるから説得力ないけど、劇中設定では不美人という役)

そしてその姉が父親の世話を焼いていたけれど結婚して実家を出てしまいアル中の父親の世話を1人でするアイリーン

父親は内心では美人の姉のことを気にかけていて、不美人(設定ではそうなっている)アイリーンを雑に扱う

父親はアイリーンが不美人なので結婚できないと確信していて家から出て行かないだろうと決めつけコキ使う

アイリーンは仕事帰りにお酒を買いに行っては父親と喧嘩のような会話をする毎日(このへんの表現がじつに鬱々としていて良い感じ)

そして地味な格好をしているからか「おれでもイケそうだ」と勘違いしたキモいおっさんから好意を向けられる日々(例えば父親のためにお酒を買いに行くとたまたまそこにいたおっさんが「おれが代金を払うよ」と言ってくれたりする、けどかなりのオジサン。恐らく警官で昔の同僚へ酒をおごる感覚なのかもしれないけど目つきがヤラシイ)

楽しみといえば冒頭のように海辺で車を停めて他人の性行為を覗き見したり、甘い物を爆食いしたりと田舎街で退屈な日常に押し潰されながら甘い物と自慰行為に逃避しているアイリーン

なんか、60年代なのに不美人な女性が背負わされてる理不尽さやストレスって現代にも通じる気がしてしょうがない(現代の田舎に住んでいる人でも同じような境遇の人がいるんだろうなあって想像させる作り)

こういう部分をサラッと描くのでボーッと見ているとただの日常を淡々と描いているように見えてしまって退屈しちゃうかもしれない(ただ買い物してチョコ爆食いしてる映像だけで意味わからないってなりそう)

でもこういう細かい部分一つ一つがじつに丁寧に作られていて(見えない部分にこだわる感じ)ここが制作者向けというか玄人好みの映画に仕上がっているのである(ああ面白いなあ)

アイリーンがレベッカ(アン・ハサウェイ)のコートを預かってロッカーに案内するシーンでもさりげなくコートの匂いを嗅いでたりして(おそらく香水のいい匂いがするんだろうなあ)

そもそも設定上は不美人ってことになっているけどアイリーンを演じているのはトーマシン・マッケンジーという清純系美人女優なのでもちろんモテモテでいくらでも男が言い寄ってくる人なのは見た目から明らかなのに、地味で冴えない女の子をとてもうまく演じている(なんで美人なのに不美人の演技が上手なんだろう)

この映画ってキャスティングがすごく良くて、不美人役だけど本当に不美人にしたら映像上ずっとその不美人女優を見続けなきゃならないので苦痛だし、だからといって美人女優だと鼻についちゃって演技が破綻してそもそも映画が成立しないし、そういう難しいキャスティングをトーマシン・マッケンジーがとても上手にクリアしていて圧倒された

美人だから不美人設定を時々忘れちゃうけど笑

アン・ハサウェイ演じるレベッカに憧れつつ魅力を感じてドギマギしていく表情やさりげない手の動きがとてもよくできていて、特に最初のレベッカとのキスシーンでの表情は素晴らしい演技だった

キスしたあとに驚いて手を口元に持ってくるのはベタだけどすごく自然にできていて上手かったなあと

リハーサルで何度もキスしているはずなのに初めてって感じで驚く目の演技が良かった(まあお相手が今をときめく実力派美人女優No. 1のアン・ハサウェイだしね)

画面のギリギリ枠内に収まる範囲のアップで表情を見せているところから、なるほどこのためにアスペクト比がほぼ16:9になっているんだなあと納得

このキスシーンや表情を大きく映したいってなったらシネスコだと上下に黒帯がきちゃって頭か顎を切っちゃうし、顔全部を映すには画面が引きすぎちゃうし、この映画はこのアスペクト比が正解だと思う

人物をメインに捉えたいという意図を感じる

こんだけアーティスティックな作品なら大抵の人はシネスコにするはずなんだけど、あくまでも描きたいのは人物であってそのために表情のアップを多用するからこそのアスペクト比だったんだなあと

こんなに上下に広い絵なのに映画っぽいシネマティックさを感じるのは映像の色味や画角が凝っているから

例えば初めてのキスシーン、キスした後の全体の引きの映像でレベッカが車で裏路地から大通りへと走って行くのに対してアイリーンはBARの赤いネオンの方へ走って行くのが象徴的

レベッカを思わせる赤い色へ走って行くことからアイリーンの心がレベッカへと堕ちていくことを表現していてとても良かった(ここだけやけに赤を強調した画面になっている)

画面も下半分が白い雪で上半分が暗い路地裏になっていて、画面左にBARのネオンが光っていてまるでエドワード・ホッパーのナイトホークスの絵画のようだった

音楽もここでは60年代を忘れさせて現代的アンビエントなサウンドを使用していて、制作者のこだわりを感じさせる(オシャレ感)

派手さはないけど玄人好みというか、刺さる人にはめちゃくちゃ刺さる映画だった

演技もビジュアルもいい女優を2人も使って存分に魅力を引き出していて、とても丁寧な作り方をしているのが印象的(1人使えるだけでも御の字のところを2人も使ってる贅沢っぷり)

トーマシン・マッケンジーとアン・ハサウェイの2人の魅力をぶつからないようにうまく分散しつつ、アイリーンは若々しさと鬱屈した感情を漏れさせていて、レベッカは女の魅力を存分に発揮させていてノビノビと得意分野を披露するお芝居構成になっていて、なるほどこれならこの低予算映画にこのトップ女優が出演を決めるのも納得

まるで当て書きしたかのように見事にハマっている(美人女優を2人使う難しさはお互いに方向性が同じだとぶつかっちゃって魅力が半減してしまうところだけど、お互いに魅力的な部分を棲み分けしていて干渉しないようになっていてそのためノビノビと魅力を発揮している)

日常を描いていて退屈だと思ってしまうかもしれない

でも60年代っぽいセクハラやパワハラ当たり前の職場環境や男尊女卑などちょいちょいわざと引っかかるようにセリフが作られていて飽きないようになっている(今では完全にアウトだろっていうようなことも昔は普通に職場で行われてたんだなあ)

トーマシン・マッケンジーもアン・ハサウェイと初キスしたあとに気取ってレベッカの真似をしてタバコを吸ってマティーニを飲んだ後のシーンではゲロまみれになって口から糸引いてぐちゃぐちゃの顔になったり、かなり頑張っていて好感度が高い(口から出したり顔ぐちゃぐちゃになるのはNGな人もいるのに)

ぐちゃぐちゃになる直前まで黒赤の色味でモダンでアーティスティックな映像で微笑んでいたわけでその落差がすごい

ちなみに吐瀉物まみれのシーンは黒白黄色と色味を絞っていてオシャレな仕上がり

バーの赤照明→朝の雪の白に切り替えることで夜から朝、幻想的な夜から現実的な朝に一瞬で切り替えていてスピーディ

こういうところが玄人好みでいい映画だなあって思っちゃう

色味に注目するとまた面白くって、レベッカとキスしたあとの出勤シーンではアイリーンはピンクのコートを着ている

それまで黒っぽい服だったのがここで急に女性を意識させる色使いになっているのがポイント

レベッカは派手な赤い服を着ているのが印象的なので、パッと見ただけでアイリーンがレベッカの色に染まっているのがわかる仕掛けになっている

それの答え合わせをするかのように早退したレベッカのオフィスに入るアイリーンのシーンでは机の上にロールシャッハテストの絵柄が置いてある仕掛け(見る人にこれが何を意味するか問いかけているメタ的な要素)

オフィスのソファも茶色だけどややバーガンディで淡い日の光と赤の対比が綺麗

レベッカが口説く時に「オランダの絵画みたい」というセリフがあることからこの映画はかなりアーティスティックな映像を意識していることがわかる(フェルメールの真珠の耳飾りの少女のようだとアイリーンを口説いているってわけ。わざと固有名詞を出さないあたりが高尚)

オランダの絵画ってなんのこと?ってなるし、レベッカの机の上のロールシャッハテストも知らないとなにこれ?ってなるし、いちいち説明しないのがじつに映画的

こういう映画的な作りは玄人好みなわけだけど、逆に言うとなんでも説明する風潮の昨今の映画とは全く違っていてボーッと見ていると置いてけぼりになっちゃってこの映画を退屈だと感じてしまうかもしれない

アイリーンの家でクリスマスイヴを過ごす夜の赤ワインの開け方(靴の中に瓶を入れて踵を壁に叩きつけて振動と反動でコルク栓を抜く)なんかは斬新で面白いし、マグカップで乾杯しちゃう感じも無造作な感じでオシャレだし、「ひどい味」ってアイリーンが言うのを「シラーはパンチが強いのよ、高かったんじゃない?」って言いながらさらに注ぎ足すレベッカとかもうシーン自体がとても研ぎ澄まされててカッコいい

そもそもそのコルクの開け方をレベッカが知っていたのは昔、理屈っぽい男がそうやって開けてたからっていうおまけエピソード付きで実践してくれるもんだから見てて気持ちの良いシーンになってる

そしてこの映画を素晴らしいものにしているのは後半の展開

ワインを飲んでいい感じの雰囲気になったアイリーンとレベッカ

レベッカが「私は普通の人とは違う生活をしてる」と意味ありげに言い出してアイリーンに迫っていく

「おそらくあなたも同じはず」と言われてアイリーンも内心ウキウキしつつレベッカを受け入れようとする

ここでいよいよカミングアウト(レズビアン展開)かなと思わせておいて、なんと父親を殺して収監されている少年の話をレベッカが始める

「あの少年は父親の首を包丁で掻き切ってそのあと胸を何度も刺した。だからきいたの、なんで父親の身体を傷つける必要があったの?父親になにをされたの?って。そしたら堰を切ったように話し始めた」

ここでこの映画がただのアーティスティックな映画ってわけじゃないことがわかるようになっている(すごい)

今までアイリーンの仕草やロールシャッハテストや色味などで鑑賞者は散々察してきていたわけだけど

田舎街で暮らす鬱屈したアイリーンが美人な精神科医のレベッカと出会って人生の喜びを見つけていく同性愛賛美の映画なんだろうなと

でもじつは父親とアイリーンとの会話から「私が銃で殺すかも」というセリフがあったり、父親の銃の登録がアイリーンに移されたり、父親を妄想で殺しちゃったりしているシーンがあったり、本当の伏線(本当に察してほしかったこと)は同性愛ではなくて父と子についてだったことがここで判明する

レベッカが「秘密を話してもいい?」と言ってアイリーンの手にキスをする(本当に芸が細かいよなあ。直前までこうしてミスリードしようとする)「この家は私の家じゃない。あの少年の事件があった家で、地下に母親を監禁してるの」という爆弾発言

今までの伏線がここでピタッと繋がる気持ちよさと、ただ単純な色味やお芝居にこだわった同性愛映画じゃないことがわかって素晴らしいカタルシスが味わえるシーンになっている(逆に言うとボーッと見てるだけで伏線を気にかけなかった鑑賞者にとっては唐突な展開でついていけないってなるシーン)

個人的に1番気になったのは赤ワインとタバコとコーヒーを愛するレベッカがワインオープナーの場所がわからないのは違和感だったんだけど、そういうことかあって

赤ワイン好きな人って毎晩のように飲むからワインオープナーがどっかいっちゃってて見つからないなんてことはありえないんだよね(そもそもそういう人はいくつもオープナー買っててあちこちに置いてあるはず)

めったに飲まない人ならともかく、好きでしょっちゅう飲んでるのにどこにやったか覚えてないから靴を使ってコルク栓を開けるってすごく違和感があったんだけど自分家じゃないからかあって(他にも暴れる猫を外に出しちゃったり、ピクルスが腐ってたり)

そして石鹸に付いてた陰毛はレベッカのじゃなくて母親のだったってことがわかって、そりゃアイリーンも激怒するよなあと、ここは内心アイリーンのおえっていう気持ちが伝わってきて笑えるシーンになっていた

ラストのタバコの灰皿の本数を考えるとやはりレベッカは来なかったんだろうな

そしてアイリーンなりに証拠を隠滅したつもりで高跳びするラストで最後のニヤニヤした表情がいい感じだった(すごく雑な後処理だけど笑)

タイトルのアイリーンはもういないっていうのは家にポツンと残された父親目線なんだな

「どこ行くんだ?」「ちょっと出かけてくる」「そうか」

が最後の会話になったと思うと切ない