X エックス画像

X エックス

映画好きによるホラー映画へのカウンターパンチ。語りづらいテーマを直球勝負で表現しているのにどこか上品な映画

冒頭の黒い画面に音だけ流れる映画の始まり方が個人的にすごく好きです

最近は少しでも鑑賞者の気を引こうといきなりキャッチーな映像を使うショート動画が流行っていますが、映像がなく音から始まる映画は余裕を感じさせてくれて上品です

かといってもったいぶったような冒頭の格言めいた文字を表示させるわけでもなく、この『X エックス』という映画はのどかな農場の背景音から始まります

次に映るには黒い正方形に近いフレーム越しの家

そこにパトカーがやってくるのが見えます

このフレーム、4:3のスタンダード比率にしていて、いわゆる昔のTVや映画でよく使われた比率になっているんです

パトカーも時代を感じさせる古いもので、これだけでこの映画の時代設定が現代ではないことを表現しています

じつに上手い演出です

そして少しずつカメラがパトカーのほうへズームしていくとともに画面の比率も横長になっていきます

(これで16:9の比率にしてくれたら個人的には最高だったのですが、そこまでは伸びませんでした)

この黒いフレームは角がやや丸くなっていたりキッチリとした四角になっていないので、おそらく納屋のドア越しに母屋をカメラが見ていたということだとわかります

この冒頭のシーンのカメラワークだけでもこの映画に引き込まれます

そしてパトカーから降りた保安官が死体にかけられた布をめくる際も布の下の死体を映像では映しません

これでこの映画がホラーでありながらグロテスクな表現で話題性を狙うような作品作りではないことがわかります

初めて主役が登場するシーンも計算されていて、白い粉を丸めたお札で吸い取る映像になります

メイク室で白い粉を吸っていると「ほどほどにしとけよ」とマネージャーの男が入ってきて「キスしてくれ」と言います

これでこの二人がデキていて、女優は薬で頭がパーになっていてマネージャー(けっこうおじさん)に言いように操られていることがわかります

女優が鏡に向かって「アタシはセックスシンボルよ」というセリフからこの映画がセックスをテーマにしていることがわかります

この主演女優は顔にそばかすがあって見た目もスタイルもそこまでいいわけじゃありません(失礼)

それでもセックスシンボルのスターを目指していて、おじさんのマネージャーに薬で言いなりにされていることが伝わってきて、これだけでもホラーではなくて社会派の映画に使えそうです

このおじさんのマネージャーの服装がカウボーイみたいなので、なんとなくアメリカの南っぽいなと思わせておくのも伏線になっています

「トップレスと酒」と書いた建物からメインキャストたちが画面に向かって歩いてきてバンに乗り込みますがここで女優たちの全身を映していて、鑑賞者にこの女優たちのレベルを無意識で伝えようとしています(全員そこまでの見た目とスタイルではない=売れない女優だとわかるようになっています)

なんなら録音係の女の子が1番カワイイっていう絶妙なキャスティング

そのあと1979年と表示されて冒頭からの古めかしい描写の答え合わせができますその後に立ち寄るガソリンスタンドでの会話で一行がテキサスの農場に向かっていることが判明して、なんとなく南っぽいなと思っていた疑問が解けるようになっています

映画の基本である映像で表現していて、わかる人にはわかるようにしつつ、ちゃんと文字やセリフで答え合わせをしてくれていてじつに親切です

ガソリンスタンドのテレビで流れている宗教番組が冒頭に保安官のシーンでも母屋で流れていたりと、繋がりを意識しているのもいいですね

なによりマネージャー兼プロデューサーのセリフ「ハリウッドなんか必要ねえ、一般人だってスターになれる。自分たちで映画を撮ればいいんだ、そうだろ」に対して監督である若い男が同調するシーンで、この一行が自主制作映画を撮りにいくんだとわかります

じつはこのセリフの前に、車の中で書類を手渡していくシーンで勘のいい人なら台本だってすぐに気づきますし、台本の感じや現場に向かうバンの中で台本を初めて読んでいるっぽい描写からすぐに自主制作映画だと気づく仕掛けになっていて、映画を作ったことがある人ならわかるようにカットや映像の順番を考えているのがポイント高いですね(自主制作で資金や時間に余裕がないので現場に向かう車の中で完成したばかりの台本を手渡しているんですね)

ガソリンを入れるシーンの撮影でブロンド女優のボビー(マリリン・モンローを意識しているのが見た目から伝わる)が監督に「もっと上から撮って。ペニスを突っ込んでるみたいに見える」と言われてカメラを上からのアングルにしてバンへの給油シーンをまるでフェラシーンのように映すあたりは映像が格段に面白く良くなっているのが伝わってきて面白いシーンです(演じている黒人俳優のジャクソン(キッド・カディが演じています、そして制作総指揮もしている)も上を向いて恍惚とした表情したりしてノリノリになっているのが伝わります)

いい映像やシーンの場合は女優や俳優もノリノリになるし、現場で撮影アングルを変えるのも自主制作映画あるあるなので、じつによく考えられている脚本だと思います

このブロンド女優のボビーがマネージャー兼プロデューサーの男から「脚本はどうだ?」ときかれて「さあね、まあまあ?どうでもいい」と返答するあたりも面白いです

ブロンド女優はセックスシーンを撮るんだからそれさえ撮れればあとのドラマの部分なんかどうでもいいでしょ?っていうことなんですよ

「セックスシーンを撮るんだからタバコがなくっちゃ」というセリフからもわかるように、自身のセックスシーンの撮影にしか興味がなく、自分のセクシーな姿を映画にすれば、それで有名になれると思っているんです(それでいてプロデューサーの男もセックスシーンを撮れば映画が売れると思っているからこそ似たような映画ばかり作っているんです。「トップレスと酒」というタイトルの回収がここでされています)

でもそれだけじゃ映画としてはつまいないものになることもこのプロデューサーは学習していて(ガソリンスタンド併設のコンビニでの会話から今までの映画がコケてることがわかります)「おれは肉体労働で食ってくなんてゴメンなんだよ、わかるだろ、ならおれの投資を無駄にするな」と言ってやる気のない女優(思い上がってる)態度を叱りつけるあたりもじつに良くできています

ちなみにこのガソリンスタンドに行くまでのシーンでワイプを使ってカットを切り替えているのには驚きました

ワイプというのはまるで歌舞伎の幕を引くように画面の端っこから端っこへ向かって画面を切り替える手法なんです

舞台で見られるような古典的な画面(場面)の切り替え方法なので、最近では使用する映画人はめっきり少なくなりました

これ、黒澤明監督へのオマージュとしてジョージ・ルーカス監督がスターウォーズに取り入れていて、スターウォーズでは毎回出てくるお約束みたいなものになっているんですが、そのスターウォーズですら最近の作品ではワイプがめっきり減っちゃって『スターウォーズ フォースの覚醒』ではたったの12回しか使われていません

ちなみに『スターウォーズ ファントム・メナス』では55回も使用されています

このワイプを使っているだけでほんとに映画が好きな人が作ってるんだなってわかります

でもこれに気がつく人ってあんまりいないので最近のおしゃれな画面切り替えに慣れちゃってる鑑賞者が観るとダサいって思われちゃうのでこのワイプを取り入れている段階でかなりのこだわりを持っていて鑑賞者に媚びてないのが伝わります

ようするに低予算映画でヒット作を出そうと思えば自主制作映画でホラー映画が王道の流れなわけで、その中でも女優のセックスシーンやセクシーなシーンを入れればある程度の鑑賞者は食いつくわけです(現代で言うと再生回数が稼げる)

それを狙っている人たちが登場人物として映画に映っているわけなんですが、この『X エックス』という映画を作っている人たちはこの登場人物とは真逆のことをやっているのがすごいです

例えば死体を映さない、テンポをゆっくりにする、ワイプなど古典的な手法を取り入れる、カメラワークにこだわる、セックスシーンよりもドラマが大事だとセリフで言わせる、わざとスタイルや見た目のイマイチな女優を用意する(失礼)

いわゆる流行の否定をしていて、映画ならではの表現(映像で語る)を狙っていて今までのよくある大量生産ホラー映画へのカウンターパンチになっています

この後の農場に到着後も無許可でいきなり撮影(セックスシーン)を始めるあたりも古典的なホラー作品へのオマージュが感じられますね

古典的なホラーといえばたいていは迷惑な若者たちが映画の最初の方でセックスしまくり、殺人鬼に殺されていくのが王道パターンですから

なお、このこのセックスシーンも監督が「スローダウンして顎を上げて情熱を見せて」と言うのですが俳優から「好きにヤらせろ」って言われて品のないただのポルノになっちゃうあたりが一工夫されていて良かったです

監督の彼女が「こんなのが撮りたいの?」「ポルノだって傑作になるかもしれないだろ?」という直前のやりとりがあっさりと否定されるシーンになっていました

まさかのワニによるモンスターパニック映画オマージュまで登場した後に、いよいよ主役のマキシーンともう一人の主役のパール(老婆)との対面シーンも面白かったです

ちなみにこのパールはマキシーンと同じ女優(ミア・ゴス)が演じています

つまり若いマキシーンもいずれはパールみたいになるかもよ、という暗示になっているんですね

池から上がったマキシーンが母屋から老婆がこちらを見ているのに気づき、母屋に向かいます

この時は湖から上がったばかりなのでメイクが落ちてブルーのアイシャドウがなかったのに母屋に入っていくシーンではブルーのアイシャドウが復活していました

普通はカットが繋がらないということでこんなミスはしないはずなので、おそらく低予算映画へのオマージュでわざとブルーのアイシャドウという目立つポイントをカットが繋がらないように撮っているんだと思われます

劇中劇でブロンド女優のボビーが黒人俳優のジャクソンにレモネードをすすめているシーンとマキシーンがパールからレモネードをすすめられているシーンが同時進行しているのもいい演出でした

直前のセックスシーンによって、ブロンド女優のボビーと黒人俳優のジャクソンがこのあとSEXすることが鑑賞者にはわかっているので、このレモネードのシーンはSEXの前、つまりブロンド女優のボビーが黒人俳優のジャクソンを狙っているシーンだとわかります

レモネードをすすめる人物がレモネードを飲む人物を狙っているとすれば、パールにレモネードをすすめられたマキシーンは(命を)狙われているんだとわかるシーンになっていて、ここでも映像で語るという映画ならではの手法によってドラマを盛り上げています

プロデューサーの男が初めて母屋に訪れて老夫婦の夫であるハワードが登場するシーンはM・ナイト・シャマラン監督の『ヴィジット』っぽい陰影の感じがしました

その後でマキシーンがドラッグをキメてからセックスシーンを撮っているときにパールが窓からそれを覗き込むシーン

マキシーンが振り返ってパールと目線が合う(カメラ目線になる)んですが、直後にマキシーンとパールが映像で入れ替わっていて、マキシーンと目が合っていた鑑賞者がパールと目線が合うようにしているキモキモシーンなんかはアリ・アスター監督の匂いを感じました(思わず笑ってしまった)

映画としてはとても重要なシーンで、パールがマキシーンに自分を投影していることを表現しています

ようするにパールはマキシーンみたいにセックスがしたいということがわかるシーンになっています(自己投影していることがわかりやすいようにマキシーンと同じブルーのアイシャドウをパールも塗っています。この映画ではブルーのアイシャドウがキーアイテムとして登場しています)

このパールの覗きシーンのあと、マキシーンのようにブルーのアイシャドウを塗ったパールが夫であるハワードを誘います

ですがハワードは「話し合ったはずだ」と言って出て行こうとするのを「待ってお願い」とパールが呼び止めてキスしようとします

そうなんです、ここでこの『X エックス』という映画の本当のテーマが判明します、それはセックスレスです

ここまでおよそ44分

ここへきて1番大事なテーマを提示するんです

『X エックス』をの制作者はこれまでの映画へのオマージュや愛から、作ろうと思えばホラー映画ではなく作ることにできたはずです

セックスレスのまま歳を重ねた老夫婦の物語として硬派な社会派映画としてもいい映画を作ることが可能だと思います

でもそれだとだれも見向きもしないので、セックスをしまくる若者との対比をさせることでよりセックスレスの問題の深刻さを強調しています

そのあとで出演者とスタッフが夕食を食べるシーンで突然録音係の女の子(監督の彼女)が「私も映画に出たい」と言い出します

「無理だ」という監督兼彼氏が止めます

「客はプロットなんか気にしてない。おっぱいと尻を観に来るんでしょ?」と言って引き下がりません

このあたりのデジタルタトゥーの感覚のない若い女性の恐ろしさに寒気を覚えますね

それと同時に、セックスシーンを撮影して残しておきたいと希望する女性がいることを表現していてすごいと思いました(日本の自主制作では考えられない展開)

やっぱり本場の映画制作の現場は自主制作であっても女性が自ら「セックスシーンを撮って」と言ってくるくらいですから映像作品の作りやすさが全然違うことがわかります

日本の場合は監督が女優に無理強いをして問題になっていますが、あっちでは女優自らそういうシーンを撮ってほしいと希望を出すんですね、そりゃセックスシーンの撮影がうまいわけです

そんなセックスシーンを撮るのがうまい人たちがセックスレスをテーマにしているのが興味深いです

根底にあるのはセックスをしたくてもできない人=パールへの共感です

最初のパールの殺人シーンのあと、パールがダンスをするときの優しい音楽と照明

照明は監督の血でガラスが赤く染まっているために赤い照明に照らされた血染めにパールが踊るシーンの情熱的なこと

これだけで制作者のあたたかい目線がセックスやりまくりの若者ではなく、セックスレスの老婆に向けてられていることがわかります

ナイフを刺したパールが四つん這いになって立ち上がるカットでお尻が強調されますが、同じようにお尻を強調したカットがジャクソンとのセックスシーンの直前にも登場します(ここで同一人物だとわかる仕掛け)

特殊メイクで老婆の格好をしてもお尻はそのままなので薄いパジャマ越しにわかるお尻の形でマキシーンと同じ人物が演じていることがわかるようにカットを工夫しています

今さらながらですがタイトルの『X エックス』はセックスを表現していると思われます

わずか制作費が100万ドルにもかかわらず興行収入1500万ドルという大成功を収めています

根底に流れるセックスレスというテーマに共感する人が多くいる証拠だと思います

三部作の一作目として作られたようですが、今後も歴史に残る一作として語り継がれていくと思います

なぜならセックスレスは当人にとってはとても深刻な問題で、いつの時代もそれについて悩む人がいる限り共感をよぶからです

こういう映画は普段からセックスシーンを撮り慣れていて女優さんが自ら裸になるのを望み、性的シーンも積極的に協力してくれるような恵まれた環境下でないと作れない映像作品だと思います(でなければ予算が100万ドルでは撮れない)

日本でこういう作品が作れない環境なのがとても残念です

一方で、日本とは違ってセックスやりまくりのイメージのあるアメリカ人にもセックスレスで悩んでいる人がいるということに焦点を当てていてとても興味深い作品でした

二作目に関しては監督と主演女優のミラ・ゴスがアイディアを出し合ってたとえ映画化できなくてもキャラクターの掘り下げができるから、という理由で作ったらA24から製作OKが出て『X エックス』撮影後にすぐ撮影を始めたそうです

これからの女優さんは美人で演技がうまいだけではなくて、裸のシーンやセックスシーンも積極的に演じられてさらに、映画のアイディアを考えられる(物語やキャラクターを創造できる)人が第一線で活躍していくことを如実に表しているなあと思いました

売れる女優さんにはそれなりの理由があって、ヒット作を自ら作っていく姿勢が大切なんだと痛感させられます

いくら見た目や演技力が良くてもヒット作に恵まれなければ埋もれてしまうわけで、自分の力でそれを作っていく姿勢がマキシーンというキャラクターやパールというキャラクターに被っていくんだと思います

役者と役の人物が一体化するのはこれがあるからで、だからこそ迫真の演技と魅力的なキャラクターになったんだと思いました

日本の女優さんで特殊メイクで10時間もかけて老婆になってその姿でセックスシーンを演じてくれる人はいないでしょう

だれもやりたがらない役であっても自ら率先して演じてその背景まで考える力があるミラ・ゴスだからこそ続編も主役であり、三部作へと発展できるんだろうなと感じます

ちなみに『X エックス』ではそばかすメイクですが実際のミラ・ゴスにそばかすはありません

わざと醜いようにメイクをして演じています

そのせいで若い3人の女優のうち1番目立たない見た目になっています(ドラッグをやるお芝居もタバコを吸うお芝居も頻繁に出てきますし、好感度を考えているようには思えません)

このような本気の女優さんがいる限り、まだまだ映画は素晴らしい作品が作られていくだろうなと感じます

そして同時に一人の女優さんに求められるレベルがここまで上がってしまうと、過当競争が厳しくなるだろうなとしみじみ思いました