たぶんこれどっちの立場で観るかによって感想がまったく変わる映画。
おそらく面白いって言ってる人は金持ち視点で観てるんだと思う。
貧乏人視点で観ていると結局最後は報われないし、現実世界でも半地下生活のようなことしてたら絶対に面白いとは思えないと思う。
賞を取るのは納得です。なぜなら貧乏人はそもそも映画なんて観てる余裕ないわけだから。
この映画を観るって段階で金持ち視点で観る人が圧倒的に多いわけです。
本当に悲惨な人はそもそも観ない(観れない)訳だし、賞を選考するような人はみんな金持ちだから(少なくとも貧乏ではない)そういう人が評価するんだから、結果的に高評価になるのも納得。
だけど、この映画は単純に映画として観ても面白いからすごい。
単純にコメディとしても面白い。
主人公たち貧乏家族が寛いでるところに突然帰ってくる金持ち一家。
ちゃんと伏線があって雨が降り始めてる。
ちゃんと神経を尖らせていれば雨が降り始めた→キャンプは中止→金持ち一家が帰ってくる
という図式がすぐにわかって行動できるはずだけど、それができないからそもそも半地下生活の貧乏人になっちゃう訳ですよね。
そういう失敗の結果リビングの机の下に隠れて金持ち夫婦のイチャイチャをずーっときかされるっていう笑えるシーン。
あれはエロシーンではなくってギャグシーンだと思う。
自分たちがパラサイトしたと思っていたらすでにもうパラサイトしている人たちがいたっていう衝撃も面白い。
夜中に雨の中、チャイムが鳴るあたりはまんまホラーシーン。
そのあと何とか追い出そうと警察に通報すると言ってたら、パラサイトの証拠映像を撮られて立場が急に逆転するシーン。
映画的にいうとホラーシーンのあとに衝撃の事実→立場逆転→乱闘→タイムリミット発生(8分で金持ち家族が帰ってくる)→なんとか隠れるヒヤヒヤシーン→笑えるエロシーン→自宅が下水まみれになる悲惨なシーン
とたて続けにいろいろ起こってくるのでなるほどジャンルにとらわれない面白さがあるなと思った。
ついさっきまで金持ちの家のソファで寛いでた貧しい娘が自宅の汚水が溢れるトイレに座っているっていうのもわかりやすい描写。
そのあとも避難所にいる貧乏家族のそれぞれに電話がかかってきて金持ち家族から誕生日パーティーに出席するように言われるシーン。
金持ちの家はもちろん下水まみれにもなってないからキレイな電話シーン(スマホのスピーカー)なのに、貧乏家族は避難所でその電話を受けているってのが象徴的なシーンだった。
セリフ周りも洒落てる。
金持ち娘が貧乏息子に「そばにいて欲しい」ってメールしたら「そばにいるよ」ってメールするとか。
金持ち父さんに金持ち奥さんが「昨日はお疲れだから」と言うシーン。
あれは昨夜の笑えるエロシーンのことを言ってるんだけれども、貧乏父さんは下水まみれの自宅の避難でクタクタなわけ。
同じ「おつかれ」になるにしても金持ちはイチャイチャで疲れて貧乏人は災害で疲れるっていうのがドンピシャな描写すぎてすごい。
たぶん日本映画だったらここまで直接的な表現はできないと思う。
こういう「ただ観てるだけで人物の状況や立場が簡単にわかる」描写が多いのがこの映画の特徴。
そもそも最初に家庭教師を頼んでくる友人はイケメンなのに、後任の貧乏息子はイケメンじゃないのが笑える。
つまり家庭教師先の金持ち娘に手をつけなさそうなやつなら安心っていうゲスい心で仕事を紹介する友人。
そしてヘラヘラ笑いながらそれを受け流し、ちゃっかりボディタッチして金持ち娘をその気にさせちゃう貧乏息子。
これどちらもクズですよね(笑)
金持ち娘は障害のある弟にばかり両親がかまうし、箱入り娘だから異性関係が希薄。おまけに年頃で多感な時期だからそこにつけいるわけですね。
金持ち娘はお目々がパッチリした綺麗な子なのに、貧乏娘は目が細いちょっとブサイクな配役も絶妙。
全然言うこと聞かない金持ち息子の家庭教師になるこの貧乏娘だけど、ここでもやっぱりゲスい。
全然言うこと聞かない金持ち息子がこの貧乏娘の言うことは素直にきく。
なぜか?
いつも膝の上に乗せているんですよね。
絵を描かせるときに自分の膝に上に乗せてる。だから金持ち息子は素直に絵を描くわけ。
やっぱり男の子だから(笑)
「指導中は2人きりにして」って言うのもあからさまな描写だなと。
結局この貧乏娘は死んじゃうし、幸せになれないのがかわいそうだけど。
英語の家庭教師とかインディアンにハマってる設定とか英語圏に媚を売っているのもあからさまだったかな。
最後にお父さんが地下に隠れるのも元家政婦がやってきたときに切ってたカメラの伏線をわざとらしく回収してたし。
でも映画的には一応伏線を張って回収するっていう流れがわかりやすくなってたから、おおすごいって思う人もいるのかも。
欧米ではパニックルームとかあるくらいだし、全体的に欧米に向けて売り込んでるような作りだった。
バスキアっぽいって絵を褒めるあたりもあからさま。
そんでドイツ人が騙されて家を買わされるとか。
犯罪して執行猶予ついてるのに普通に金持ちになってあの豪邸を買うぞって意気込んで終わるあたりがいかにもアメリカ人あたりが喜びそうな締め方だなって。
映画としては単純にまあ希望を持たせたのかもだけど。
日本だったらそもそも家族全員が犯罪犯して父親が殺人犯で(しかも雇主を殺した)そんな状況で夢も希望も抱けないってならないとリアルじゃないけど。
欧米ならアメリカンドリームでありってことなんでしょうね。
だからこの映画を、単純に映画として空想の世界として楽しむのかそれとも現実の延長として観るのかによっても評価は分かれそう。
単純に映画としてみたら怒濤の展開や伏線回収や立場逆転やエロやグロなんかがあるし、そもそも犯罪映画なんだから面白い映画と言える。
でも現実世界の延長として観るとどうしてもやりきれない映画としか言えない。
映画を虚構の世界と割り切って観る人なら楽しめると思う。
最後の展開で金持ちがやっぱり金持ちだという価値観
息子の家庭教師が刺されているのに息子のことしか考えてない
もちろん実際にパニックになったらそうなるだろうなというのが自然だった。
よくある映画だったら優秀な金持ち父さんが家庭教師を抱えてお母さんが息子を抱えて車で逃げて、何人かの勇気ある男たちが犯人に立ち向かうって描写になる。ハリウッド映画にありがちな展開。
でもこの映画はそれがない。
普通にみんな一目散に逃げる。
自分のことしか考えてない。
だれでもそうなるだろうなという感じがリアル。
金持ちだって普段優しくたって、所詮は普通の人だから自分の子供のことしか考えてない。
でも主人公の貧乏父さんにしてみたら目の前で自分の娘が刺されているのに助けてくれないし、車を出せって言われちゃうと金持ちに見捨てられたようにも思えちゃうよね。
ずーっと溜まってた鬱憤がついに爆発しちゃう。
極め付けが背中を起こした時の臭いにウッてなる描写。
犯人は金持ち父さんのことを尊敬しているって言ってるのにゴミみたいな扱い(当然だけど)
そういうのでスイッチ入っちゃったんだろうな。
自分とは住む世界がまったく違うという劣等感を感じたんだろうな。
自分の娘が刺されているのにだれも気にも留めてくれない。
そんな中。金持ちは車があるから病院に自分の子供を連れて行こうとする。
最後パラサイト男が刺されて死ぬのもバーベキューの串。
パラサイト男はお腹ペコペコなのに金持ちたちが地上で美味しいものを食べてる。
最後はその串で死ぬってのもあからさまなシーンだなと。
このパラサイト男は金持ち父さんのことをリスペクトしてるんですよね。
それなのにゴミみたいな扱い。
なんていうか、格差ってこういうことなのかなと。
日本でもいつ通り魔とかに襲われるかわからない時代だし。
この映画のパラサイト男はまさに通り魔っぽい。
いきなり誕生日パーティに乱入して刃物振り回すから。
でもね、よく考えるとここも皮肉。
結局このパラサイト男のせいで死んだのは貧乏娘だけ。
被害に遭ったのは貧乏息子と金持ち何人かだけど、金持ちは負傷したけど死んでない(少なくともハッキリ死んだ描写はない)
結局殺し合ったのは貧乏人同士なんですよね。
貧乏父さんが金持ち父さんを殺したけども、その後のニュースでは動機がわからないとか報道されてて。貧乏息子がそれを観て笑えないっていう描写も切実。
結局貧乏人の苦労とか考えてることなんて、金持ちにはわからないし世間一般の人は想像もできないってことですよね。
貧乏人同士で仲良く助け合えれば悲劇は起きなかったのに、結局殺し合ってしまう。
もしも本当に格差を無くしたいなら金持ちと戦うべきなのに、貧乏人同士でお互いを潰しあってしまう。
この辺が格差社会を描いているってことなんだろうなと。
そして金持ち父さんは別にことさら悪いことはしてないんですよね。
ただ臭いって思ってしまっただけで。
地下鉄の匂いって表現がすごいな。
ここでも地下と地上とで上流下流をわかりやすく表現している。
表面上はいくらでもごまかせても匂いはごまかせない。
つまり匂いってのは染み付いてるものだから。
貧乏人根性が染み付いてるっていうことなんじゃないかと思う。
貧乏な環境や、それによる考え方や生き方など、どうあがいても真似できない部分。それが匂いっていう表現で描写してるんだと思う。
最後はその臭いって仕草でグサッと包丁刺しちゃうわけで。
貧乏息子がパーティに集まった人を見て「彼らは突然なのにお洒落で余裕がある」って言うシーン。
自分にはどうしたって仲間入りできないっていう(真似できないっていう)劣等感を感じるいいシーンだと思う。
生まれついてのものだから、貧乏息子はどうしても手に入れられない部分なんだよね。
その部分を生まれつき持っている金持ち娘は、「ぼくはふさわしい人間か?」ってきかれて頷いちゃう。
つまり金持ちには生まれ持った貧乏人のそういう絶対に手に入らない「余裕」というのが理解できない。
みんな持ってるもんだと思ってるから。
だから金持ち娘は貧乏息子のことを「普通」だと思ってパーティに出席している人たちと変わらないと考えている。
このどうしても相容れない部分があることを悟った貧乏息子が地下に行ってパラサイト男に頭を殴られるのも衝撃。
このとき持っている金運をもたらす石の塊が人間の状態を表してるってことなのかもしれない。
パラサイトしているときは下水にまみれたけど、最後は綺麗な水の中に入ったし。
綺麗な心でやり直すってことなのかもしれない。
その割にはラストシーンはあまり幸福そうな顔をしていないのがなんかやりきれない映画って印象。