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オットーという男

こだわりの音楽と映像表現で心温まるストーリーを表現しつつ、その背後にじつに巧妙に隠された裏テーマにゾクっとするコメディ映画

冒頭の首吊り用のフックとロープを買うところからわかるように、この映画はトム・ハンクス演じる主人公のオットーという男が自殺をしようとあれこれチャレンジする映画です

当然自殺が成功してしまったら映画が終わってしまうのであの手この手で主人公の自殺を邪魔します(訪問者がくる)

いくらなんでも間が悪すぎるのですがそこがコメディ調になっていて自殺というシチュエーションなのに重くならないように工夫がされていてだんだんクセになっていく仕掛けになっているのがお見事

毎回自殺を試みるたびに少しずつ走馬灯で今までの人生を鑑賞者に観せるのが素晴らしい構成となっています

走馬灯なので一回一回がとても短く印象的なシーンだけになっているのもグッドポイントですね

過去の回想シーンの多少のご都合主義は記憶の改変(細かい部分は忘れてる)ということで納得できるように作られています

そしてもう少しであの世に行くというタイミングで都合よく邪魔者が入ったりするのが絶妙です

映像としては過去の回想シーンの最中に現実(現在)の状況が強引に入ってくる演出も素晴らしかったです

例えば最初のデート中に店のドアを叩く音が現実世界では車庫のドアを叩く音に繋がっていたりして(ちょうど車の中でガス自殺しようとしていた)主人公のオットーがこの世とあの世の狭間から現実世界に引き戻される瞬間に鑑賞者も回想シーンから同時に引き戻されることになって、何度も繰り返していくうちに次第と鑑賞者とオットーの距離感が近づいていきます

全体としてコメディ調で作られているためいいシーンなのに泣けるという不思議な感覚が多くて好きです

とくに電車に飛び込んで死のうと決意したオットーがホームの端っこに立って(ホームドアがないんですね)線路に飛び降りようとしたらその隣のおじいさんが心臓に手を当てて苦しみながら線路に落っこちちゃうシーンは思いっきりコントみたいな笑えるシーンになっています

その直後周りの人々がスマホを出してSNSへの配信を始めるあたりが妙にリアルですね(人が死ぬ瞬間は視聴数が増えると思ってバズりたいのでしょう)

だれも助けようとしないので主人公のオットーが仕方なく線路に飛び降りておじいさんを助けます

そして配信していた人々は助けられたおじいさんにスマホを向けていて主人のオットーがまだ線路にいるのに手を差し伸べようともしません

主人公のオットーはそのまま自分に向かってくる電車を見つめながら覚悟を決めます

そしていつもの回想シーンとなって(おそらく)奥さんとの最初にベッドシーン(といっても手だけしか映らない)になって奥さんの「手を握って」というセリフで現実世界に引き戻されてホームからおじさんがオットーに向かって「手を握るんだ」というシーンにリンクさせるのは上手い編集でした

奥さんの声で「手を握って」と言われてとっさにホームを見上げておじさんの手を握ってしまう主人公のオットーが切ないです

毎回自殺がうまくいかないのはもちろん主人公オットーの亡くなった奥さんが天国から守っているわけなんですが、それを直接的な表現でなく描いているのがとても上品でした

それがわかるのが一番最初の自殺チャレンジの首吊りシーンです

首を吊っていたオットーが天井に仕掛けたフックが壊れて床に落ちてしまいます

床にうつ伏せで倒れた時に首吊り前に床に敷いていた新聞紙の広告が目に入ります

それが花束のクーポン

思わずちぎって花屋でそのクーポンを買って奥さんのお墓参りに行きます

鑑賞者にそれとなく奥さんに守られていることを伝える上手い展開になっていて素晴らしいと思いました

コメディ映画として作っているにも関わらずいいお話とエモい雰囲気を出すことに成功しているため、くさすぎずそれでいてオシャレでじんわりいい具合のハートフルな物語になっていてとても好感が持てます

音楽もすごく凝っていて癒されるし一貫男声ソングになっていて主人公のオットーが奥さんを愛しているという気持ちを表現しています

(じつは女声ソングになるシーンがあるんですけど、それは奥さんが悲劇的な事故にあうところで流れます。あとはエンディング。どちらも主要人物の死の時です。そしてエンディングは男女混声という芸の細かさ)

音の流し方も工夫がされていて、車の中でガス自殺を計るときはカーラジオから流れる音楽がそのままBGMになるベタな演出なんですが曲調や歌詞が主人公のオットーの心情を表していてとても良いです

チャンネルを回して死ぬ時に流すラジオ曲を選んでいたオットーがふとギターの音色に手を止めて、流れ出した静かな歌の歌詞に自分の気持ちを照らし合わせてゆっくりとシートに深く身体を預ける演技がじつに細かくてトム・ハンクスがうまかったです

他にも押し付けられる形でネコを飼うハメになってしまい、奥さんのお墓に報告するシーンも音楽がいい感じに使われていました

ネコを飼うハメになったので自殺チャレンジは一旦中止することになったわけで

「引き取り手を見つけないとな。そしたら行くよ、そっちに。早く会いたい」というセリフの後でまたエモい音楽を流しながらカメラが引いていって墓地を見下ろす俯瞰ショットになるのはとてもいい映像表現になっていました

つまり主人公が「早く会いたい」と言っているにも関わらずカメラが引いていくということはその願いが叶わないことを表現していて、俯瞰(天上からのショット)になるということは天国にいる奥さんの目線になっているわけで、ようするに奥さんが天国から主人公を見守っていて早く会いたいから自殺チャレンジする主人公を食い止めているというのがここでもわかるようになっています

カメラの目線が奥さんの目線になっていて、鑑賞者としては奥さんが映っていないにも関わらず奥さんの存在を確かに感じることができる計算され尽くした映像表現になっていて素晴らしかったです

細かい部分でのこだわりポイントがほかにもあって、とくに素晴らしかったのはショットガンで自殺しようとチャレンジするシーン

ここの走馬灯(というよりもはや回想)で子どもが亡くなったことがわかるようになっているんですが、いつものように奥さんの声でためらってしまいます

その際に映像としては(子ども亡くした時の)若い頃の奥さんが現在の年寄りの主人公に話しかけているんですが、突然玄関のドアが叩く音にビックリして引き金を引いてしまいショットガンを天井に向けて撃ってしまうシーンが思いっきりコント調なんです

それなのに次のカットで(血が飛び散らないように天上から垂らした)半透明のビニールがなびいていて、そのビニール越しに奥さんが薄っすらと映っているんですけど、再びビニールがなびいたときには消えているんです

時間にしてほんの一瞬なんですけどちゃんと観ていると奥さんの存在を感じつつも現実世界に引き戻された演出がされていて心憎い映像表現になっています

コント調の次のカットで芸術的なカットを入れてくるあたりが粋ですね

そしてぼくがこの映画で何よりも心を惹かれたのがオットーが親友のご近所さんであるルーベンのために不動産会社と戦うシーンです

不動産会社は地上げをしてマンションを建てたいため、なんとかしてオットーが住んでいる地区の住民を追い出そうとしています

オットーのご近所さんのルーベンは車椅子生活(おそらく認知症?脳卒中?)で介護が必要な状態でルーベンの奥さんが老老介護をしている状態です

ルーベンの奥さんはじつはパーキンソン病でルーベン夫婦の息子は10年も日本に住んでいて親(ルーベン)ところに帰ってきていません

ルーベンの奥さんは自分になにかあった時のために息子を成年後見人にしていました

それをふまえて不動産会社が息子に連絡をとり、成年後見人である息子と不動産契約を結び、ルーベン夫婦を施設に強制的に入所させようとします

オットーは電車で老人を救ったことから一躍SNSで有名人になったためインフルエンサー(SNSジャーナリスト)に電話して不動産屋が強制的にルーベン夫妻を連れ出そうとするのを生配信します

電車でオットーが老人を助けた時には生配信している若者を見てガッカリしていたオットーが、今度はSNSの生配信を味方につけて不動産屋をやっつけるシーンがスカッとします

じつはこのルーベンの奥さんがパーキンソン病だったことはオットーも知らず、偶然ご近所さんから口コミで知るわけです

つまり極々親しい人にしか話していなかったこと(住民の健康状況)を不動産屋は手に入れていたことになります

他にもゲートを開けっぱなしにして芝生を車で荒らす不動産屋に注意したオットーに対して「心臓に気をつけな」と不動産屋が言い放つシーンがあったりします

ようするに住民の健康情報を不動産屋が手に入れていたことがわかるシーンになっています

ルーベンの奥さんの健康状態に関しては不動産屋が息子に告げ口しなければわからないはずで(息子がルーベンの奥さん=母親に最後に会ったのは10年前)息子が強引に家の売却と施設への入院を母親の代理として不動産屋と契約したのは不動産屋から両親の将来が危ないと吹き込まれたからにほかなりません

日本でもマイナンバーカードを健康保険証として無理やり使用させ、病歴や持病や疾患などをデータ管理しようという動きが止まりません

そしてマイナンバー関連の情報管理の杜撰さがたびたびニュースになっています

企業が健康情報を手に入れることができる時代に向かっていく未来を描いていて、この『オットーという男』という映画はマイナンバーカードの健康保険証利用に関する情報漏れの怖さを描いていることです

日本でも核家族化が進んでいて、両親と頻繁に会わない人が増えています

不動産屋が認知症やパーキンソン病の疾患のある年寄り夫婦の情報を手に入れることができれば、あとはその子どもに親の介護の負担をチラつかせれば子ども成年後見人に仕立て上げた上で簡単に代理契約を結ぶことができてしまう危険性があるわけです

情報漏れやなんでも結びつける情報の一元管理、そしてマイナンバーと健康情報を統合して簡単に情報共有できる環境がいかに年寄りの未来にとって危険かがこの『オットーという男』という映画で描かれています

姥捨山に捨てやすいように健康上問題がある年寄りが持っている資産(例えば不動産)を企業(例えば不動産屋)が手に入れやすくなり、国としては年寄りの健康保険料や年金を減らしたいため、年寄りイジメてさっさと死んでほしいというわけです

歳を重ねれるほど住み慣れた土地を離れたくないと思うのが人情ですが、このままいくと(マイナンバーで健康情報を管理するようになると)この『オットーという男』という映画のように不動産屋に立ち退きを迫られる未来がくるかもしれません

ただのハートフルないいお話というだけでなく、社会問題を含めた警鐘を鳴らす内容にもなっていてこの『オットーという男』は素晴らしい映画だと思いました

というよりも数々の伏線(息子が10年帰ってきていない、オットーが軍隊に入れなかったのは肥大型心筋症だったから)が冒頭から散りばめられているところを考えると、むしろ健康情報の管理と企業利用の危険性を主に描きたかったような気がしてなりません

でも最初から「マイナンバーカードを健康保険証にするのは危険だよ」といまさらテーマにした映画を作ったところでだれも観ないしそもそも企画が通らないでしょうから、表向きは偏屈な爺さんオットーが何度も自殺チャレンジをするコメディ映画として作り、ストーリーも最後まで飽きないように奥さんとの回想シーンやコント調のカットやこだわった映像表現で鑑賞者を途中で脱落させないように引っ張っているようにしか思えません

表向きは「がんばって生きることの大切さ」を隣人愛を主軸にして描きながら、実際の裏テーマは「健康情報を管理されることによる年寄りイジメの危険性」を描いているじつに骨太な映画なんです

奥さんが車椅子生活になってしまったのに配慮されなかったというシーンが出てくるあたりからなんとなく方向性が変わったように感じましたし、おそらく本当に描きたかったのは裏テーマのほうだったんだと思います

奥さんが映像に映っていないのにカメラ目線を奥さんにしたりして存在を隠しつつちゃんと鑑賞者にアピールする映像表現をしている点から考えても裏テーマのほうを訴えたかったのは明白です

社会問題の提起をストレートに投げかけるのではなくて、表向きはハートフルコメディに仕上げていてとても好感が持てる映画です

ご都合主義満載ではありますがコメディとしては及第点だと思いますし、ただ笑って泣けて感動するだけでなく社会風刺を取り入れたピリッとした味わいになっていて人にもオススメしやすい映画です

世の中には忘れられがちですが子供がいない=作らなかった&できなかったではなく、亡くしてしまった結果として子どものいない人生を歩んでいる人がいることにも焦点を当てていて素晴らしかったです

ちなみに若き日のオットーを演じているのは主役のトム・ハンクスの実際の息子さんです