現代日本では絶滅危惧種の「自分よりも他人を思いやる」人々のお話。心が温かくなる時代劇
まず、タイトルとポスターで損してる映画。「無私の日本人」というタイトルの方が合ってると思う。
阿部サダヲのチョンマゲが銭になっているのもコメディっぽくてダメ(この映画は全然笑える話ではありません。むしろ心がキリキリするような苦しい感じ)
タイトルとポスターから想像するに、一休さん的なトンチをきかせて、アホなお殿様からお金を巻き上げる痛快時代劇を予想するけど全く違う。
お金持ちの人々が、宿場町の庶民の税を減らすために私財を売っ払ってお金を工面する映画です(2時間以上ある上映時間の80%がお金を工面する辛いシーンばかり。お金がない、どうしよう・・・)
先に悪い点を挙げておくと、まず最初の導入が思わせぶりな山崎努のシーンで、その後を映さない(勘のいい人ならこの後の行動は予測できちゃう)
編集がちょっと雑でぶつ切り(出演者のスケジュール合わせるのが大変だったのかな?)
現代語で話すので、時代劇っぽくない(利息でござるってタイトルなのに「ござる」口調じゃないのは笑える)
小さな田舎の宿場町って設定(噂がすぐ広まる)なのに、目が不自由なのを何年も知らないなんて不自然
上記と同じ理由で、宿場町の人々に隠しごとなんかできそうもないのに、計画を隠そうとするあたりが違和感
史実らしいがどこまでが本当のことでどれくらい脚色しているのかも不明(推測だけど、だいぶ話を盛ってる気がする)
お殿様がフィギュアスケートの選手でまったく侍に見えない(たぶん観客受け狙ったんでしょうね)
これだけマイナスな要素があるにも関わらず、この映画が素晴らしいと思えるのは、今ではすっかり見かけなくなってしまった「自分よりも他人を思いやる」人々がいっぱい出てくるから。
登場人物のほぼ全員が、世のため人のためにがんばる。それはもういい人ばっかり出てくる。
なんだか胡散臭い登場人物ばかりになってしまうが、それを「史実である」という説得力で強引にこじつけていく(正直、史実でなかったらあまりにも陳腐な脚本と言わざるを得ない)
苦しい庶民が大半の中、お金持ちである大店の店主たちが自分たちの得にはならないと知りつつ大金を出し合う。
こんな人、現代日本ではいません。
大金持ちの人が庶民の税金を安くするために自分の身銭を切るなんてことはないんですよね。
実際にはそのお金を使ってお上を操ってより一層庶民を安くコキ使う(安い労働力にする)っていう構図。
まあ封建社会と資本主義の現代で一律比較することが野暮とはいえ、こういう志がある人がいないのがなんとも寂しい今の日本。
自分たちさえ良ければいいという考えの人が多くなった現代日本人。
それと真逆の登場人物なわけです。
庶民は税で苦しんでるわけだけど、自分たちは金貸しなんかをしていてたんまりとお金を持ってるわけです(江戸時代は商人に税をかけなかったんじゃないかな)
この登場人物、自分たちは生活が困ってないわけですよ。むしろ裕福。
でもいずれ宿場町の人々が困窮していけば自分にも影響すると考えて行動に出るわけです(ビジネス的に長期的視野で考えてる)
宿場町の人々の暮らしを良くすることが自分たちの未来にもプラスになると考えてお金を出し合う(こういう視点に立つお金持ちが現代日本では皆無に近い)
なんとかお金を工面するために家財道具から着物まで売り払ってお金を作るシーンは、観ていてちょっと切なくなるくらい。
お上のほうもずる賢くてさらにお金を要求する(松田龍平の演技が憎たらしくてクセになる。なお、侍には見えなくてチョンマゲしたヤクザに見えてしまう)
妻夫木聡が自分のお店を潰してまでも町の人々のためにお金を用意するシーンは感動ものです(さすがにお店潰れたら金額言わなくても出資したことが、宿場町の人々に知れ渡る気がするけど)
そもそもそんなことするくらいなら、瑛太の利息を少し安くしてあげればいいのに、とツッコミたくなる気持ちをグッと抑えましょう。
お前もっとお金出せるだろって喧嘩する醜いシーン(子供の前で)も観れます。
もうほんと金、金、金の俗っぽくてイヤなお話ばかり。
それなのに「身売りしても構いません」とまで奥方が言ったり(これも史実ですか?)「誇りに思います」と言われて後に引けなくなっていく描写はなかなか面白かったです。
きっとおそらく、ここまでお金を吐き出しちゃったら絶対、家庭内不和になるはずなのに、子どもたちまで最後はみんな潔い感じがちょっと宗教っぽくて怖くもあります。
そう、怖さを覚えるくらいみんなお金を工面するんです。それもお金持ちが。
最後は庶民まで小銭を出し合う。
みんながお金を出し合ってお殿様に献上する。
お殿様がお金がないのは見栄のために官位を買う金が必要っていうのも、現代日本への風刺が効いてますね。
みんなが自分のことを捨てて、宿場町の人のためにと私財を売ってお金を工面するシーンはやっぱりジーンときます。
なんていうか「素晴らしき哉、人生」のラストシーンを延々と観せられているような感じ(一生独身だろうからって老後資金貯めてたのに、それを寄付しちゃうあのおばさんのシーン)
さらにこの映画が素晴らしいのはお上の中にも庶民寄りの武士がいるところ。
がんばって集めたお金で上訴してきた訴えをなんとか採択してもらおうと侍も頑張るんですよね。
そして最後はこの侍の粘り勝ちでなんとか聞き届けられる。
この粘りがなかったら、このお話は実現しなかったわけで。
こういう庶民の声に耳を傾けてくれる、お上の人もいたんだなあ、となんだか懐かしい気持ちになります。
現代日本では庶民の声がお上に届くことなんかまずないわけですから(だから消費税がなくならないんですよね)
こういう武士(政治家)がいたらいいなぁという観客の夢もこの映画では登場してくる。
現代日本では絶滅危惧種のこういう優しい人たちが、いま必要なんだと思いますね。
絶滅しちゃった恐竜なんかは資料でしか知ることができないように、こういう「無私の日本人」も文献や映画の中だけの存在になってしまっています。
恐竜が存在していたように、かつてはこういう日本人もいたんだと思わせてくれる貴重な映画だと思います。
そういう意味で、この映画を素晴らしいと評価するしかないと思います。
こういう日本映画が作られる限りは、「無私の日本人」はまだ絶滅危惧種であって完全に絶滅したわけじゃないと信じたい。
こういう映画が作られなくなり、評価されなくなったときこそ、絶滅したと言えるでしょう(人々に実感がわかなくなって共感力がなくなったということ)
温かい気持ちとともに、微かな希望を感じさせてくれる映画でした。
以下蛇足
作中であれだけ「お金を出したことは、金額も含めて口外しないように」と固く掟で定めているのに寺の和尚が名前まで詳細に記録しているっていうのはどういうことなんだろう。
しっかりと後世に自分たちの名前を残しているあたりからすると、若干映画の人物像とは違った印象になってしまう。
だからこそ、どこまでが史実だったのかをちゃんとわかりやすく描写するべきだったんじゃないかなと思う。