ミステリーの皮を着たホラー。コロナ禍の今こそ観るべき映画。
グロテスクなホラー映画です。
苦手な方はご遠慮ください。
でもね、ただのホラー映画じゃないんですよ。
まず映像がオシャレです。これほんとにホラー映画なの?!ってくらい画面作りがオシャレ。
色使いもうまいし、何より照明の使い方が上手です。
北欧っぽいちょっと湿った画面が好きな人はハマると思う。
風が吹いて少しずつ土が払われていってタイトルが浮かび上がるのもセンスいい。
そしてカメラが反転してピントを奥に合わせると車と小綺麗な一軒家っていうのもオシャレ。
なにかのCMを観てるみたいだった。
白いガーデンチェアを映したかと思えば次の瞬間にカメラのフラッシュ。
そして凄惨な事件現場へという流れは大変スマートでした。
外部から侵入した形跡はなく(だから家の外観がキレイだった)
中では住人が悲惨に殺されている。
そして地下には土に埋もれた裸の美女。
もうね、ミステリー映画としては最高の掴みです(ただしこの映画は残念ながらホラー映画)
代々家業として遺体安置所(ついでに火葬場)を経営している父子が主人公。
この父子がいい味出してる。
まるで『オーロラの彼方へ』みたいな父子。個人的には『インディジョーンズ/最後の聖戦』みたいな父子ものが好きなんですが、この『ジェーン・ドウの解剖』の父子もお気に入りになりました。
なんか、父子で同じ仕事するって仲良さそうでいいですよね(日本じゃ考えにくいんだけど、個人経営の検視官なんて存在するんでしょうかね。賄賂でいくらでも死因を誤魔化せそうな気がするけど・・・)
さて、『セブン』っぽい死体の数々の中から出てきた裸の美女の検視解剖を父子がやっていく中、いろいろ悲惨なことが起きるっていう映画です。
舞台は冒頭以外はずっと地下。登場人物もほぼ父子二人のみの低予算映画であります。
ではなにが面白いのかというと、この美女の生々しい解剖シーンもグロくてなかなかホラーなんですが、それ以上に謎解き要素があること。
遺体の解剖が進んでいくと普通じゃありえないようなことや物が出てくる(死後硬直がないのに目は灰色とか。変な布が出てくるとか。外傷はないのに臓器が傷だらけとか)
正直言って、この美女の正体は冒頭に登場したときからなんとなく想像がついてました(『リング』を観てたからそういう系かなあって簡単に予想できた)
美女の正体について確信したのは骨格に対してウエストが細すぎるっていうところ(『ダウントンアビー』とかイギリス系の映像を観てれば割とピンとくるはず)
日本人としては馴染みが薄いオチではありますが、いろいろ出てくる珍品を見ては死因はなんだろうとか父子であれやこれや推理するのは楽しかったです。
一種の推理ものみたいにこのままミステリー路線で突き進めば良かったのになぜかこの映画はホラーに舵取りをします。
遺体安置所だから当然死体が何体もあるわけで。当然動きます。
地下の解剖室とか火葬室とかオフィスとかエレベーターとか、どう考えても上物の建物よりも地下が不自然なまでに広すぎる気がするのはご愛嬌かと(職業柄気になっちゃう)
狭い空間を活かすために嵐の到来という超自然現象までこの映画は味方につけます(停電したり倒木で脱出できなかったり)
途中で解剖を一旦投げ出した父子ですが、なんとか最後(脳)まで解剖して結論に到達します。
そこで父親の取った行動が悲しい。
まあ親ならば当然といえば当然ですが、ホラーには珍しく親子愛を描いています(息子のために呪いのビデオを親に見せに行く松嶋奈々子とはちょっと違う)
そして解剖された遺体が少しずつ生気を取り戻す描写が見事でした(演じている女優さんの本領発揮)
おっさんと冴えない青年だけじゃ観客が飽きちゃうから裸の美女を画面に映しておきたいけど、ただ登場させるだけじゃ下品になるから死体にするっていう発想がすごいですな。
主人公が検視官だから遺体なら常時画面に映っていてもおかしくないわけで。このアイディアのおかげで上映時間の半分以上は裸の美女が映ってます(だんだん解剖されて裸って感じじゃなくなるけど)
ではなぜこの映画が今観るべき映画かと言うと、要するにこれ恨み節なんだよね。
この美女が味わった苦痛をだれでもいいから味わわせてやりたいって気持ちは身勝手だけど、こういう気持ちでいる人が多い世の中になってきてると思う。
コロナに罹患して、自宅待機だとかで事実上見捨てられている人たちが大勢いる。
この映画の美女は集団ヒステリーの犠牲者なわけだけど、いまのコロナ禍も後世の時代から検証したら一種の集団ヒステリーだと思われるかもしれない(だって政府のやってることが矛盾だらけ)
その時代に生きていない人には当時のヒステリックな状況はわからないわけで(実際2019年以前のコロナ禍前では考えられないくらいみんなマスクをつけて生活してる)
時代が移り変わるにつれて忘れられてしまうようになっていきがち(すでに太平洋戦争の記憶が薄れてきてる)
コロナ禍で苦しんでいる当事者にとってはこの苦しみを他の人にも味わわせてやりたいって気持ちになったとしても不思議じゃない。
つまりこの『ジェーン・ドウの解剖』に登場する裸の美女は、今を生きる私たちの姿そのものなのです。
散々世間(政府)に苦しめられたあと、素っ裸で解剖台に乗せられて身体中を切り刻まれる。
手も足も動かせず声も上げられない姿はまさしくコロナ禍で苦しんでいる私たちの姿です(自粛要請のあげく状況改善要望の声は聞き届けられず、自宅待機で見殺し)
もしも不思議な力が使えるようになったら、こうやって手当たり次第に八つ当たりしていくことでしょう(最近、日本の治安が悪くなっているように感じます)
ジェーン・ドウとは「身元不明女性」のことですが、私たち庶民一人一人のことを為政者は深く考えておらず、彼らにとっては身元不明死体と変わらないってことです(犠牲者の名前なんていちいち気にしてないですよ、あの人たち)
この『ジェーン・ドウの解剖』は一見するとただの「ミステリーの皮を被ったホラー映画」ですが、実は「時代に忘れ去られた名もなき庶民の反抗映画」なのであります。
こんなことでもなければこの主人公父子にも存在を認知されることすらなかったわけで(つまり後世の人々にとっては忘れ去った過去のこととして、気にもしない)
裸の美女としては積りに積もった怨みを後の世まで引きずっているわけです。
これは長引くコロナ禍で苦しんでいる私たち庶民の怨みが積りに積もっているのと同じです。
父子には申し訳ないけれど、ジェーン・ドウの立場になってみると、この映画はホラーというより復讐劇に近い。
のどかな一軒家から遺体安置所を経由して少しずつ舞台が大きく広がっていく予感を感じさせてこの映画は終わります。
このまま段々と復讐の対象者が広がって大人数になっていくのでしょうね。
太平洋戦争とともに今回のコロナ禍も決して忘れてはいけない出来事だと思います。
早くコロナが終息しますように。