金の国 水の国

金の国 水の国

心が荒んだときに観るデトックス映画。和製ディズニー映画でもあり、子供向けながら大人も楽しめる会話劇

主人公のお姫様は体重100㎏という設定です(セリフで「0.1トン」という表現があることからわかります)

ディズニープリンセス細すぎ問題が騒がれる昨今、おそらく1番体重があるプリンセス(お姫様)です

そして、見た目もブスという設定(誰からも相手にされないという表現)です

体重100kgの見た目がブスなお姫様が主人公のファンタジーアニメ映画を作ったというだけでもある意味で快挙と考えられます

絵柄がほんわかしているのでまるで平安美人のように描かれていますが、設定がかなり酷ですね

しかも王族としては1番下のお姫様なんです

そして上のお姉様方はみーんな揃いも揃って美人ばっかりという

こんな環境で育ったのにも関わらずとても謙虚でおっとりしていて優しいという(まるで絵に描いたような)素晴らしい内面の持ち主です

こんな風に控えめで謙虚で優しい女の人だったら見た目がブスで体重100kgでも恋できるでしょ?という直球勝負をしかけてきています(おそらくこれは女性作家さんならではの表現だと思います)

そしてこの『金の国 水の国』という映画はアニメだからギリギリ描写できていると思います

もしもこれが実写映画だとしたら体重100㎏で見た目がブスなヒロインという時点でだれも観ようともしなかったかもしれません

それを優しいタッチでほんわかした絵柄が主人公のお姫様の優しい内面をそっと引き出していて、さらに声だけはめちゃくちゃカワイイというオマケ機能のおかげで最後まで鑑賞することができます

お互いに争う国同士が政略結婚をするストーリーなんですけど、お互いの国を信用していないのでそれぞれ婿や嫁の代わりに猫や犬を送りつけます

この猫や犬が可愛いキャラクターとして作中通して登場するあたりはいかにもディズニーっぽいなあと思います

そして流血もなければ死人も出ないあたり、子供向けに作られているので安心して見られます

それどころかディズニー映画ではお約束のキスシーンすらありません(かわりに抱擁シーンにする上品さ)

子ども向けに作られているからといって、大人が楽しめないわけではなく、会話劇で一休さんのトンチ勝負のようなことをしてきます

主人公のお姫様サーラは政略結婚の相手が犬であることがわかると両国が戦争になると思い、嘘をついて犬であることを隠します

そして猫が送られてきたもう一人の主人公ナランバヤルに婿のフリをしてもらうんですがこの設定がすでにコメディ要素があって面白いですね

なぜか「国で1番賢い若者」という触れ込みの婿ですので、みんなが問題をふっかけてきて、それに知恵を絞って回答するところが大人向けです

例えば時計を直せと言われるシーンでは(わざと歯車を抜いてあるというイジワル)を見抜き、完全には直らないと回答したり、嫁を選ぶにはどのような方法がいいかきかれて家族のような存在だと回答するあたりです

それぞれ鑑賞者は自分だったらなんて答えるだろうと考えるので自然と『金の国 水の国』の世界に入り込んで行ってしまいます

とっさに婿のフリをするはめになったナランバヤルは一緒に夫婦を演じていくうちにヒロインのサーラに心惹かれていくわけですが、ちゃんと理由づけがしてあるのが面白いんですよ

ナランバヤルが相手国からお嫁がきたという知らせを受けて父親と会話するシーンで「大丈夫大丈夫、おれ守備範囲広いから(たとえブスでも平気)」というセリフを言うんですが父親が「おまえは私の息子なんだから守備範囲が広いのは当然だ」ってセリフを返すんですよ

そしてそのあと劇中でチラッとナランバヤルの母親の遺影が映るんですけど、たしかに守備範囲広いな、と

どことなくヒロインのサーラに似てるんですよね

おそらくナランバヤルのお父さんはブス専(内面を重視するタイプ)の人で、だからこそ、ナランバヤル自身もそれを受け継いでいてブス専(内面を重視するタイプ)なんです

だからだれからも相手にされない体重0.1トンのお姫様に心惹かれていくんですね(これ、アニメ作品だからブスという設定でもかなり可愛らしく描かれていて、設定を忘れがちですが大事なところだと思います)

そして可愛い声やいじらしい行動(ナランバヤルの帰りを食事を用意しながら待つ)になんとなくブスデブ設定を鑑賞者が忘れてくるころに設定を思い出すようにコメディ要素を入れてくるんですよ

例えばナランバヤルの村に「国で1番美しい」嫁がきたときいた族長がナランバヤルの嫁を見物しにくるシーン

主人公サーラはナランバヤルの嫁のフリをしてくれと頼まれるんですが(なんかコントみたい)このときのサーラセリフ「私が嫁を演じたら国際問題になります」ってセリフがもう抱腹絶倒です

だって、「国で1番美しい」嫁の設定を自分がやったら両国の間に国際問題が発生して戦争になっちゃうくらいひどい見た目ってことなんですよ

だから無理ですって断ろうとするのをブス専(内面を重視するタイプ)のナランバヤルの父親が説得するんです

それこそ君は上品だとか育ちの良さが滲み出てるとか(見た目がいいとは一言も言わない)

もうね、これ本当は感動のシーンのはずなんですけど笑えるシーンになってしまっていて不思議な感覚になります(ぼくはこういう脳がバグる感じが好きです)

ちなみにこれは最後のほうで伏線になっていて「国で1番美しい」娘を嫁に出したのではなく「国で1番かわいがっている」娘を相手国に差し出したってことにちゃっかりすり替わってるんですよ

父親である国王がナランバヤルに猫を差し出したっていうのも主人公のサーラは突然否定するんです(これ違和感のあるシーンだったので伏線だなってすぐにピンときました)

「父親がそんな恥知らずなことをするはずない」って言い張るんですけど、自分のところに来たのが犬なんだから相手のところにも同じように猫が送られているってなんとなく察しないんだろうかってちょっと思いました(だって都合よくナランバヤルが猫連れてきて婿のフリをしてくれてるんだから気づきそうだけどなあ)

この伏線回収は物語の後半、王族だけしか知らない秘密の抜け道で明らかになります

塔の壁の仕掛けを操作すると外の吹きっ晒しのところに石の足場が伸びて隣の建物に逃げられるようになるんです

ちなみにこのときもとびっきりコメディを挟んできます(個人的に1番お気に入りのシーン)

塔の壁が開いて外通路が登場してさあ逃げるぞってタイミングで主人公サーラが言うんです

「私が一緒に行ったら下に落ちちゃいます(石が外れちゃう)」

もうね大爆笑ですよ

今までいろんな映画を観てきましたけど、二人で逃げるシーンで外通路の突き出た石を一緒に進んだら体重が重いから落ちちゃうから一緒には行けないってためらうヒロインを観たのは初めてです(だってヒロインを演じる女優さんはみんな細いから石が外れる心配はそもそもないから)

もう一度言いますが大爆笑です

個人的にこのセリフでこの映画が大好きになりました

ディズニー映画だって日本のアニメ映画だってこういう石でできた通路をヒロインが颯爽と歩いて(走って)いくシーンはいっぱいありましたけど、「私が一緒に行ったら落ちちゃう」から行けないってモジモジするヒロイン最高ですね

(『アナと雪の女王』では氷の階段走ってましたし、『ラプンツェル』では髪の毛で塔の下に移動してましたよね。いつもヒロインの体重は無視されていたわけです)

ナランバヤルと手を取ってカッコよく逃げるシーンのはずが、そこで自分は行けないから一人で行ってくれって言うなんていじましいじゃないですか

そしてナランバヤルがそれでも構わず「一緒に落ちよう」って言って一緒に通路を渡るんですよ(いやそこは真っ先に「大丈夫だよ」って言うべきだろってツッコミたくなる)

なぜかセリフが逆なんですよ(先に覚悟を伝えたかったんでしょうけどね)

「ダメだ。お嬢さんは二度と置いていかない。もし落ちるなら一緒に落ちよう。大丈夫ですよ。俺とお嬢さんは落ちたりしない」

いいセリフだしいいシーンなんだけど、「ダメです、私。私と行ったら通路が落ちてしまうかもしれません」というヒロインサーラのセリフが頭から離れないのでいいシーンなんだけど笑えるという不思議な感覚が味わえます

おそらくお姫様であるサーラと一緒に行くということは政治に関わるわけで命を落とすかもしれないけど、それでもサーラと一緒にこれから先も行くのか?という暗示になっていて、ナランバヤルが一緒に落ちようって言うことでサーラと一緒に国を変えていく覚悟を示しているんだと思うんです

だからここでは危なっかしい通路じゃなくちゃダメだし、サーラが戸惑ったりしなきゃダメだし、ナランバヤルがそれでも一緒に(生きて)行くという覚悟を示さなきゃダメなので必然性のあるシーンなんですけど、いかんせん直球すぎてコントみたいになっていて最高に笑えます(素晴らしいと思います)

そしてその後ろから国王が追いついてきて最後の問いかけをします

国王が「妻も娘も今ではワシを痴れ者扱いじゃ」というのに対して猫を送った話を信じなかった娘がここにいるとサーラを強調して父親も自分への忠誠心を持っているサーラのことを大事に思うというめでたしめでたしになります(見た目が悪いから軽んじられていたけど、一途な愛によって父親に寵愛を得るということですね。金の国では一途な愛は手に入らないというセリフも伏線になっています)

そして「1番美しい」娘を「1番かわいがっている」娘にしれっと置き換えることに成功しています

水の国の国王(族長)が男好きというのもいかにもフェミニスト向けな気がしますね

なぜなら相手国の国王(族長)がマイノリティ設定でないならば、主人公サーラとナランバヤルがこんな苦労して国交を開いて水路を開かなくても、美人揃いのお姉さんたちを誰か一人送り込んでたらしこんじゃえばいいわけですからね

女の魅力を使って男を籠絡する系のストーリーにしないためにもこの水の国の国王(族長)は男好きでなければならず、それゆえにフェミニストの人からも支持される物語になっています

そして何より美人揃いのお姉さんたちを差し置いて位の低い王族でなおかつブスデブな主人公サーラが一途な愛で父親と伴侶の寵愛を手に入れる系のストーリーはいかにも少女漫画的でチープですらあります

でも王道ストーリーで全方位に敵を作らないストーリーにしているにも関わらず、最後のほうで「1番美しい」を「1番かわいがっている」に置き換えているんです

つまり「1番美しい」ということが大事なのではなくて「1番かわいがって」もらえることが大事だというメッセージが込められています

見た目が悪くても体重が100㎏あっても1番かわいがってもらえる女性(プリンセス)が幸せを掴むという結末にしたことがとても大事なメッセージだと思います

とかくルッキズムがもてはやされ、痩せていてキレイで可愛くなければ相手にされず、SNSでフォロワーを増やすためにも加工アプリが流行っている今の時代だからこそ、「1番美しい」を目指すのではなく「1番かわいがってもらえる」ことを目指しましょうというメッセージを伝える意味は大きいと思います

そしてその方法は一途な愛によって手に入れるんだよ、という実に教育的な内容ですばらしいと思いました

王道ストーリーでご都合主義ではありますが、肩の力を抜いてリラックスして観られますし、心温まるメッセージの映画ですので日々のストレスで疲れた時にホッとリラックスできる映画です

見た目至上主義の世の中に一石を投じる意味でもこの『金の国 水の国』は素晴らしいと思いますし、そしてなにより新しいプリンセス像を作り上げたという最大の功績をもっとアピールするべきだと思います

いいシーンなんだけど笑えるという不思議な感覚が好きな人にはとてもオススメできます