人狼 JIN-ROH

もうね、すごいです。久しぶりにいい映画を観た。
ぼくの好きな映画にイノセンスっていう映画があるんだけど、脚本は同じ押井守。
人狼っていう映画のだいぶあとにイノセンスっていう映画を作るんだけど、思えばこれってつながってる
人狼→攻殻機動隊→イノセンス→って感じ
キーワードはどれも愛
そう、押井守って難しいってよく言ってる人いるけど、なんてことはない愛の映画なんですよ
もちろん、いろいろテーマとかあるんだけど、そこばかりに注目しちゃうと映画オタクとかアニメオタクとか
アンチ押井とかっていう人たちに分類されちゃうので要注意
これから観る人も観た人も、押井のこの三つの作品を観るときはぜひ、愛に注目して観てみて欲しい
たぶん、ぐっと身近に感じられる映画になるはず
さてさて、実はこの映画観るのは何回目かなんです
すっごい前に一度観たから細かいとこ忘れてて初心に戻って観れてよかった
この映画、昭和30年代をイメージにしてるんだけど、赤狩りがポイント
赤ずきんの童話をモチーフにしてるんだけど、赤ずきんの赤と左翼のアカをひっかけてます
主人公は警察の特別機動隊の隊員で、ある日、左翼組織の運び屋(赤ずきんと呼ばれる少女)が
爆弾を運搬してるところを追い詰めるんだけど、主人公はその赤ずきんの女の子を撃てなくって
そのまま女の子が自爆して目の前で死んじゃう
それが心のトラウマになりながら、夢で何度もうなされるっていうのが物語のはじめの部分なんだけど
ここら辺の詳しいことは、批評家の人たちがさんざんあーだこーだ書いてるからここでは割愛します
その自爆した女の子とそっくりのお姉さんと出会って恋に落ちるんだけど、実はそのお姉さんが左翼組織の人間で…
ていうのがちょっとわかりづらくって、だれがだれを裏切ってるのかがぼーっとしてると置いてかれる
早い話、お姉さんが左翼組織の人間で、特別機動隊をつぶそうと考えてるお偉方に利用されてて
主人公にハニートラップを仕掛ける
だけど、主人公は人狼と呼ばれるエリートスパイの一員でとっくに知っていたんだけど、だまされてるフリを
しながら交際していく内に本当に二人は愛し合ってしまう
主人公はだまされてると知りながら、公安が銃を持って待ち構えてる博物館にお姉さんを助けに行く
そして二人でデパートの屋上に行くんだけど、お姉さんから「二人で逃げよう」と言われるんだけど
「それは無理だよ、まだやるべきことがある」って言って追ってきた公安(実は主人公の親友)と決着をつけるべく下水道に向かう
公安と死闘の末、全員倒すも、最後上司からお姉さんを殺せって言われて主人公は泣く泣くお姉さんを撃つっていうストーリー
まずね、初めてお姉さんと会うとき、お姉さんから赤ずきんの本をもらいます
これ、実はすでにお姉さんからそれとなく自分は偽者だっていうことを伝えてるんだよね
お姉さんはじつは爆死した女の子とは全然血のつながっていない赤の他人なのです
顔が似てるって理由でハニートラップに選ばれたわけ
つまり、お母さんのフリして赤ずきんを食べようとしてるオオカミってこと
主人公はなぜ?ってきくけど、いいじゃない持っててよっていうのがポイント
この本、日本語で書かれてなくって、たぶん主人公は読めなくって(もしかしたらこれもフリ)デートを重ねるたびに少しずつ
本を読んでもらって内容を知っていく、つまり少しずつ赤ずきんの物語が進むごとにお姉さんは自分が偽者だと告白する=ちょっとずつ主人公に惹かれていくってこと
ここがすごくうまい
赤ずきんが通らないほうの道を先回りしてお母さんを食べちゃうオオカミは、まるで主人公の上司であるスパイのボス
そのスパイのボスも「諜報戦とは常に先を予測して手をうったものが有利になる」って言ってるし、完全にリンクしてます
そう、この映画は難解な諜報戦を繰り広げてるんだけど、わかりやすく赤ずきんの物語でヒントをくれてるんですよ
たぶんこの赤ずきんの物語をただなんとなく聞き流しちゃってると、この映画をよくわからない難解な映画だという感想になると思う
そして、この映画の一番の見せ所はラストシーンである主人公がお姉さん(偽者)を撃つところ
ハニートラップを仕掛けたお姉さんを人狼チームが確保しておくことで、公安の弱みを握るってことで助けるんだけど
上司曰く、こちらが手に入れてると思わせられればそれでいい。奪還されたり、死亡を確認される心配をなくすにはひそかに殺すしかない。本人もこうなることはわかってたはずって言うの
つまりお姉さんとしては公安に捕まった時点で、人生どうでもよくなっちゃったんだよね
ここがポイントなんだけど、爆死した女の子みたいに覚悟を決めて自殺もできなかったわけ
それで公安に言われるまま主人公にハニートラップを仕掛けるわけなんだけど、どうせ公安のことだから自分もいつか公安に殺さるだろうなって思ってたわけ
もしかしたら主人公に殺されるかもしれない
あるいは主人公と一緒に殺されるかもしれない(たぶん一番望んでたのはこれ)
主人公の心に強く印象を残して死ねればいい、そう思ってたわけ
なぜならだれか一人でもこの世で自分を覚えてくれている人がいるっていう、存在の証明みないな、居場所が欲しかったんだよねきっと
だって左翼組織の運び屋なんて危ないことやってるんだからいつ死ぬかなんてわからないし
ここが皮肉ってるんだけど、一種の今でいう自爆テロとかとはちょっと違う思春期で多感な女の子である点
いくら爆弾を運んでもだれにも気に留めてもらえないっていう孤独感
テロなんか意味ないっていう喪失感だと思う
でも主人公はてっきり女の子を生かしておくんだと思ってた
だから上司に殺せって言われて愕然とする
ここでまたうまいなって思うのは、観客の中に「殺すのが嫌なら一緒に逃げればいいじゃん」って
思う人がいることを予測してること
上司は殺せって言ったあとにどっか行っちゃうんだよね
だから逃げればいいのにって思うんだけど、主人公が発砲したあと、シーンが変わって上司の仲間が銃を向けてたことを観客は知る
撃鉄を戻しながら銃を構えてたのをやめる仕草から、もしも主人公が撃たなくてもこのお姉さんはこのおっさんに撃たれて死んでたなってことがわかる
一緒に逃げてたら、お姉さんと一緒に主人公もこのおっさんに撃たれて死んでたかもしれない
見事に観客の期待を裏切ってくれるのがうまい
そんで主人公が撃つしかなかったのもわかる
上司のことだから、公安を出し抜いたように自分が撃たなくてもお姉さんを殺す手段を用意してることがわかるから
だからこそのあの撃つ直前の演技になるんだよね
もうね、本当苦しくて苦しくてしょうがないって感じの演技
そしてお姉さんもそれがわかるから主人公の胸に飛び込んでいって赤ずきんの物語の最後のくだりを言う
どうせ殺されるなら主人公に殺されたいっていう気持ち
もう本当に切ない
このラストシーンを主人公が撃ったのかどうかわからないっていう感想があった
この映画にしっかりついていけてれば主人公が撃った以外に考えられないっていうのが本音
なにがすごいって、これ思い出してみて欲しい
主人公は映画のはじまりの部分で、爆弾を抱える少女を撃てなくて自爆される
でもラストシーンのここでは撃つ
それもはじまりの部分で爆死した少女とそっくりの顔のお姉さんを。
例えばだけど、はじまりの部分で主人公がこの爆弾を抱える少女を撃っていたら
公安にこのお姉さんが利用されることもなかったし、こんな苦しいこともなかった
主人公が撃てなかった責任を問われて、再度訓練をやり直しさせられるんだけど
そこでは「どんな状況であろうとも撃て」って教えられる
そう、主人公のようなスパイ(特別機動隊)はとにかく撃たなければならないのである
撃たないような人間は結局自分が苦しめられ、それによってほかの誰かも傷つける
この訓練のシーンでは教官に「一人のミスで部隊が危険になる」と教えられる
つまり主人公のように情けをかけてしまったり優しい人間ではダメだということだ
そう、左翼を取り締まるにはそれくらいの心構えでなければダメだということなのだ
それくらい現体制側のために左翼を取り締まっていた主人公たち特別機動隊が公安(現体制側)に疎まれてつぶされそうになるっていうのも
すっごい皮肉な話なのです
もしも撃たなかったら自分以外にほかの誰かを傷つける
これをラストシーンに当てはめると、主人公が撃たなければ、銃で狙ってるおっさんにおそらく二人とも殺される
だからこそ、お姉さんは逃げもせず、むしろ主人公の胸に飛び込むのです
もしかしたら万が一、主人公が撃てなかったときにおっさんが撃った弾から主人公をかばう意味もあったかもしれない
あのとき爆弾を抱えた少女を撃たなかったためにこのお姉さんを公安に利用させてしまった
このお姉さんは死を覚悟していて、主人公が撃たなくても結局殺されるだろう
お姉さんは愛する主人公に殺されたがってる
この気持ちから撃つ
ここまでの心の動きがあの演技に表れてる
さらにお姉さんが赤ずきんの物語の最後の部分を言いながら主人公に抱きつくのにもすごいメッセージをぼくは感じた
お姉さんが口ずさんだのは母親に化けたオオカミがまさに赤ずきんに襲い掛かろうとしている部分(正確にはその直前)
これには主人公のほうが赤ずきんなんだよっていう意味が込められてる
抱きつき方が激しいのもオオカミが赤ずきんに襲い掛かったような感じを連想させる
つまり主人公は人狼というチームの一員で赤ずきんと呼ばれる爆弾の運び屋なんかを狩っていたわけなんだけど
主人公は本当はオオカミの立場ではなくって赤ずきんの立場だってことなんだ
赤ずきんは母親に会いたくて、がんばって帰ってきたらオオカミに食べられちゃうわけなんだけど
主人公にとってこの愛するお姉さんが母親で、上司(組織=人狼)がオオカミだったわけ
赤ずきんが家に帰ってきて、母親に化けたオオカミから、葡萄酒だと言われて母親の血を飲まされたり、母親の肉を食べさせられるっていうのがあるんだけど
このお姉さんの気持ちをさんざん食べつくすってことなんだよね
葡萄酒だと思って飲んだら本当は母親の血っていうのはつまり
嘘だと偽って付き合ってたけど、本当はおねえさんの本心だった
主人公にとってはとるに足らない嘘にしか聞こえない愛の言葉(葡萄酒)が
本当はお姉さんの正直な気持ち(母親の血)っていうこと
そして赤ずきんの物語では小鳥が、それは母親の血だよって教えてくれるんだけど、赤ずきんはそれを母親に化けたオオカミの命令に従ってずきんで追い払ったりしてしまう
これも上司の命令で左翼組織を始末している主人公にあてはまるわけ
でももっとあてはまるのは、この小鳥が主人公の気持ちと考えたとき
つまり主人公も内心(小鳥)ではお姉さんに心惹かれていってるんだけど、上司の命令(母親に化けたオオカミ)の命令であくまでもだまされたフリを演じ続ける(ずきんで追い払う)
結局赤ずきんはオオカミに食べられるから、主人公もいずれはオオカミ(上司=人狼チーム)にいいように利用されていずれは殺されるよってことを、このお姉さんは最後に赤ずきんの物語を口ずさむことで主人公に訴えてるんだよね
この主人公=赤ずきんっていうのは実はかなり早い段階でヒントが出てる
どこかっていうと、主人公が最初にお姉さんに赤ずきんの物語を読んでもらうところ
赤ずきんは服がすり切れたらお母さんのところに帰っていいと言われて、毎日一生懸命に着せられた服を壁にこすりつづける
この服がいわゆる主人公たち特別機動隊が着てる、プロテクトギア(強化服)のことを指してる
だから赤ずきんは主人公のほうなんだ
このオオカミ側だと思ったら赤ずきんっていうのは政治的な解釈をすると
体制側だとおもったら反体制側だったってこと
現体制を支えるためにがんばってたのに、公安につぶされそうになる(すでに反体制になってる)特別機動隊のことを指してる
強い側だと思ってたらいつの間にか弱い立場だったとか、そういう逆転の考え方だよね
まさにポツンと取り残されてしまったかのような特別機動隊の境遇を表しててすっごいうまい
映画の最後で上司が煙草をふかしながら「そしてオオカミは赤ずきんを食べた」っていうセリフ
これはオオカミ(人狼)である主人公が、赤ずきん(爆弾運び)であるお姉さんを殺したって意味で言ってるんだけど
このお姉さんがどうして最後に赤ずきんを口ずさんだのかが分かった上で、このセリフをきくと
オオカミ(上司=人狼チーム)が赤ずきん(主人公)を殺したってことになる
つまり、主人公の愛という人間性を奪う(殺す)ってことと
どんな命令にも従う駒に主人公を仕立てられた(いずれは利用して殺す)ってこと
お姉さんが最後に赤ずきんの物語を口ずさんだ理由がわかっているか、わからないかでまったく意味が変わってくる
この最後の上司の言葉に本当にゾクっとする
映画の最後はお姉さんが主人公に渡した赤ずきんの本のアップで終わる
そしてその本は水の中に沈んでる
ゴミのようにも見えるし、おそらくだれにも拾われないだろう
そう、赤ずきんが主人公ならば
主人公はまさにゴミのようにも見えるし、おそらくだれにも拾い上げてもらえず、水の中で息もできないような苦しみがずっと続くっていう暗示になってる
いやあ、深い
深すぎる
本当に深い映画
ここまでのメッセージ性をあのラストシーンに込めてるんだからすごい
時間にしてほんの2,3分ぐらいのシーンなんだけど、そこにこの映画のエッセンスがぎゅっと濃縮されてる
ものすごいラストシーンなんですよ、本当に
なんかね、いろんな人の批評を見てみたんだけど、こういう風にこの映画を観てる人がいなくってすっごく残念だった
もちろん個人個人で受け取り方は違うだろうけど、だれもいないのでこれは書くしかないと思って書いた。
ドイツ軍のミリタリー要素がどうのとか、裏切りがどうのとか、もちろんそういう要素はあるんだけど、一番のポイントはそこじゃなくって愛なの
たぶんほとんどの人がこのラストシーンでお姉さんが赤ずきんの物語を口ずさむ理由がわからないまま、ポカーンと観てていきなり銃声がして主人公が撃ったのかどうかもわからない
この映画を観た感想はこんな感じじゃないかと思う
でもね、それではあまりにも、もったいない
もったいなさすぎ
ぜひ、もう一度観てみて欲しい
時間がないならラストシーンだけでも
意味が分かるとすごくいいシーンだってわかってもらえるはず