たぶんこれ実際の政治にどこまで期待をしているかで面白さが変わる映画。
実生活の政治になにも期待していなくて諦めているような人ならこの映画をコメディとして楽しめると思う。
逆に、少しでも世の中を良くしようとか、毎回欠かさず投票してるような「政治が良くなることを期待している」人はつまらないと思う。というかたぶん怒り心頭な感じ。
もはやこの映画はコメディじゃなくってファンタジーだと思う。
主人公の真っすぐな姿勢を観ていて、現実ではあまりにも真逆なのでなんだかうらやましくなる。
なんだろうこの感覚。そうだ昔、『エアフォースワン』っていう映画を観た時に似てる。
ハリソンフォード演じるアメリカ大統領が、テロリストにハイジャックされた飛行機で戦う映画。
あれを観た時も、絶対に日本じゃありえない設定だなぁって思った。ああいう映画を観て、テロリストと直接戦う一国の長が(もちろん映画だから架空だけど)いるってことがすごいって思った。
なんとな〜くだけどありそうな感じで。もちろん映画だから実際にあんな状態になったらアメリカ大統領が直接戦うなんてことはないけど、そのあり得ない度合いが日本とアメリカじゃ違うんだよなって。
そもそも日本じゃ総理がテロリストと戦う映画なんて作られないし。
そういうリーダシップを想像できる余地があるっていうこと自体がちょっと羨ましい。
この『記憶にございません』の総理も『エアフォースワン』の大統領を観ているみたいだった。
なんかね、あまりにも非現実的すぎる。
だからもはやファンタジーの生き物なんですよ。
正直で真っすぐな総理なんてこの世界には存在しないし。
でも『エアフォースワン』だって『ダイハード』のアメリカ大統領バージョンだと思ってテロリストと戦うアクション映画だと思って観たら楽しいわけで。
だからこの『記憶にございません』も一種のファンタジー映画だと思って観れば楽しめる。
現実世界とちょっとでもリンクさせちゃうと、途端につまんなくなる。
例えば消費税減税についても結局は映画で実現しない。
官房長官を辞めさせるっていうのが山場かな。
そんで妻の不倫問題を解決してなんとか支持率が微増ってとこで終わる。
ようするにこの映画を観ても現実世界で政治に関心を持ったり期待する人は微増ってことなんですよ。あれほどの正直な政治家であっても。
それくらい今の日本はヤバイっていうことをこの映画は暗に示している。
一応映画としては伏線を回収していて、官房長官の失脚もアメリカ大統領との接待ゴルフでズルしようとしてたのが伏線だし。
他にも大臣の名前を覚えていたり、総理がなんとなく優秀(狡猾)な感じがラストの記憶を取り戻していた伏線になっている。
1番印象に残っている伏線は、アメリカ大統領との晩餐後の歓談。
アメリカ大統領からの「鴨を焼く時に1番気をつけていることはなんですか?」という質問に対して「うん、やはりコンロの火を消し忘れるとその後火事になったりして危険なので、消し忘れだけは気を付けていただきたいですね」という絶妙な切り返し。
この時点でただのおっさんじゃないなっていうのが観客に分かるようになっている。
ここら辺はやはり三谷幸喜だなって感じ。
あとは草刈正雄の名演技は本当にすごい。官房長(官)っていうとどうしても相棒の岸部一徳のイメージだけど(あっちは警察庁長官官房室長だから通称:官房長)
…あれ?「官」がゲシュタルト崩壊した。
草刈正雄の官房長官はいかにもって感じ。見た目がハンサムでスラッとしてて声も立派で、なおかつ口がうまい。
総理が無事だということを伝える会見も「いいニュースと悪いニュースがあります。まず総理は無事に退院します。これが悪いニュースで(笑)」とジョークを言う。
これに対してテレビを観ている総理も思わず笑っちゃうくらい。
もしかしたらこの辺から実は記憶を取り戻していたのかもしれないなと思わせるくらいのさりげないシーン。
たぶんお互いにライバルで、ジョークに見せかけて本音を言ってることが総理自身も気付いてるんだよね。
こんな会見が開けるような架空の日本なので、ファンタジー世界が合わない人はこの映画がつまらないと思う。
総理と秘書が戦っていくファンタジー映画だとして鑑賞するべき。
たぶん政治に期待している人(この映画に期待している人)ってサンタクロースを信じている人と同じなんじゃないかな。
こんな政治家いないって怒る人はサンタクロースいないって怒ってる人と同じ目線。それくらい純粋なんだろうな。
もう私は大人ですし、大学でも政治学を学び、選挙権もあるわけで何度もこの国の政治を見てきたのでサンタクロースがいないのはずいぶん前に気づいています。
つまり石が当たったとか記憶がなくなったとかくらいでどうにかなるレベルじゃないんですよ、もはや。
だからいわゆる一般の人々が思う理想の政治をやったらどうなるかを描いた映画を作っても、まじめに作れば作るほどファンタジーになることはわかってるわけで。
それでもそんなバカ正直な総理を心のどこかで応援したくなる(続きをもっと観たくなる)気持ちにさせてくれる映画。
それはこの映画が本質をついているから。そう、誤解を恐れずに言うならこの映画は本質をついている。
それは総理が妻と息子とディナーをするシーン。
総理が息子に「ぼくどんな父親だった?」ときいて、息子が「父さんは偉くなればなるほど悪い顔になっていった」と言う。
これがこの映画の一番のキモだと思っている。
そうなんだよね。顔に出るんだよ。人相がどんどん悪くなるんだよね。
リンカーンが人を選ぶ時に人相を重要視していたのもわかる。
顔の美醜じゃなくって人相って大事だと思う。
やっぱり悪そうな顔になりますよ。悪いことしてんだから。
この映画の人相を一所懸命役者が演じている。
悪いことばかりしていた総理は本当に悪い人相だし、記憶をなくした直後はその人相がリセットされてる。
そして物語が終わりに近づくにつれてだんだん政治家の顔になっていくんだよね。
他の登場人物についても同じ。
最初は悪い秘書官も後半はどこかさっぱりした顔になっていくし。やさぐれた警官もSPになった途端にヤル気満々の顔になっていってるし。
こういう細かいところに注目すると実に気が利いている。
どうせ政権批判の作品を作ったところで、この国では中途半端な出来にしかならないんだから、いっそのことファンタジー路線に切り替えたこの作風を評価したい。
ラストシーンで息子に『ぼくもいつか総理大臣になりたい』と言わせるところに最大の皮肉を入れてるあたりがすごく悪賢い脚本だなと思った。
桑田佳祐が「総理大臣になりたい子どもを近頃見かけません」って歌ってたのをずいぶん昔に聞いて以来、たしかにそうだと思ってた。
もう国民全体が政治に期待していないし無関心なんだろうな。
総理大臣よりもユーチューバーになりたいっていうんだから。
でもだれしも一度は考えたことがあるはず。「こうすればもっと政治良くなると思うけど」ってことをこの映画の総理はガンガンやっていく。
ある意味で一昔前に流行ったいわゆる「なろう系」の作品ともいえる。
自分がかつて思ったであろう「こうすればいいんじゃないかな」ってことを総理とかぶせながら観てみるといいかもしれない。
結果は官房長官が辞任しただけ(議員そのものは辞職していないから政界に残り続ける)であとはそのまま。実は問題はなにも解決していないし、これからも山積み。そんなラストでもぜひそこから続編を作ってもらいたい。
なぜなら、どんな形であれ、このような作品をつくることができる環境があるということが大事。
こういう映画が作れない、そんな国が1番怖い国なんだから。