たぶんこれ、かつてリアルタイムでドラクエⅤをやったことがある人(クリアした人)でなおかつ結婚して子どもがいる人じゃないと楽しくない。
個人的にはピンポイントなのですごくハマったけど(笑)そうじゃない人はつまんないというか、憤慨すると思う。
ドラクエⅤが発売された当時は今みたいなスマホゲームとかもないから、ほんとにテレビゲームって感じで。
私もかつて祖父に「そんなくだらないものやるなんて」とゲームしている姿を咎められた。
そして大きく成長して結婚して子供がいる今、この映画を観ることで当時を懐かしく思い返す。
かつて親に怒られながらゲームをしたことがあればラストの酷評される展開も納得できる。
これかなり狭い層に向けたコアなファンムービーなんだよね。
成長したビアンカを見た瞬間に、「ああこれはビアンカと結婚だな」ってわかるくらいにフローラとの描き分けがわかりすぎる(笑)その証拠にデボラは出てこない。スーパーファミコンの時はデボラなんてキャラはそもそも出てきてない。
デボラが登場しない段階で、これは昔スーファミでドラクエⅤを遊んだ人向けだなってわかる。
味のあるドット絵を見ただけで懐かしさMAXになるくらいの人じゃないとこの映画は苦痛だと思う。
ゲレゲレって名前なつかしいなあ。本当にずっとゲレゲレって言うしな。
パパスが死んじゃうシーンとか、ビアンカと結ばれるシーンとか、子どもが生まれるシーンとか、石化した自分を息子が助けるシーンとか。もうねこれだけでお腹いっぱい。
本当は神殿の奴隷になったあたりから少しずつ原作とは違うんだけども、それもご愛嬌で許せるレベルの人じゃないと厳しい。
この「かつて子どもの頃遊んだけど、今は大人になって家庭を築いている」人がどんだけいるんだろうって話。
リアルタイムじゃなくてリメイクされたバージョンを遊んだりした時点でたぶんちょっと感じ方が変わると思う。
ゲームには隠しボスってのがいて、そいつを倒すまでがやり込み要素なわけで。
ラストのボスは正に隠しボスの意味合いだと思うんだけど、どうだろう?
息子が剣を投げて魔界を閉じるっていうので終わりってのも、ある意味で味気ないかなって思う。
それよりは想像を絶する裏ボスを登場させたことは評価したい。
そして「大人になれ」と言われて怒らないくらいに「大人」な人なら優しい表情で観ていられるはず。
「大人になれ」と言われて怒っちゃうような人はほんとに子どものまんまなんだろうな。
家庭を築いていて子供も作っていれば、「大人になれ」って言われたところで、ハイハイって気持ちで落ち着いて観ていられるわけで。
ゲームが大好きで愛が深くってそればっかりな人はたぶん「大人になれ」って言われてカチンときちゃうのかも。それでこの映画が低評価なんだと思う。
でも、無理もないですよ。いまや子どものころリアルタイムでスーファミのドラクエⅤをやったことがある人自体が少ないのに、その中で結婚して子どもまでいて立派に社会人やっててこの映画観る人がどんだけいますか?って話。
いまやスマホの普及で、ゲームをやっていてもそこまで白い目で見られることはない。
携帯ゲームやスマホゲームの普及で、ゲームはいまや市民権を得ていると思う。
でもね、昔は違ったんですよ。
インベーダーなんてタバコ臭い喫茶店のテーブルでやってた時代なんだから。
プリクラ(これもいまや古いか)のおかげでゲームセンターが明るく女子もくる場所になったけど、それまでは不良の溜まり場だったんですよ。
そんな時代にスーファミのドラクエⅤに夢中になってたら親に怒られたもんです。
そういう経験がない人が「大人になれ」とか言われても「は?」って感じだと思う。
ラストのあそこは当時のゲーム環境を知る人が観て、「そうそうそういう風潮だった」と懐かしくなる場面なんですよ。
そこで主人公が「一緒に過ごした時間は本物だった」って言うからウンウンとうなずくわけ。
本当そんな気持ちでプレイしてたと思う。
一緒に過ごした時間が本物だったからこそ、パパスの死のシーンとかでも感動しちゃうわけで。
これね、いっそのことゲームオブスローンズみたいにお金かけた連続ドラマにすべきだったんじゃないかな。
映画だから仕方ないけど、かなり急ぎ足で話が展開するから原作知らない人はもう完全に置いてけぼりじゃないかと。
映画では描かれてないけど、原作では主人公がパパスの後を追ってついてきちゃうんだよね。
中央でパパスが戦っていて、ダンジョンをぐるっと回ってパパスのところに行く。
だから主人公がパパスのそばに隠れていて、主人公がゲマに捕まってそれが原因でパパスが死ぬんだけど。
映画だと最初から主人公がパパスのそばにいるからピンとこない。
主人公がパパスのことを心配しているがために後を追ってしまって、自分の行動のせいでパパスが死んじゃうんだよね。そういう大事な部分を描写しきれてないからもったいないなと。
酷評が多くなるのは仕方ないと思う。だってこの映画はピンポイントすぎるもん。
私はあのドラクエⅤを映画として観れる日が来たってだけで満足だけどね。
それくらい好きだし、思い出深い。
いやね、改めて考えてみるとこのドラクエⅤはよくできてるよ。
三世代のお話なんだけど、勇者は主人公の息子であって、主人公自身じゃないんだよね。
ここがすごい。
普通は主人公が勇者なのに。
ちょうど間に挟まれてる二代目が主人公ってところが絶妙。
かつて子どもだった自分が大人になって、結婚して子どもを作って、その子どもと冒険するとかすごいワクワクするもんね。
自分は主人公なんだけど勇者じゃない。でもやってきた行いはまさしく勇者なんだよね。
だから最後の「僕らはみんな勇者だったんだ」っていうのもドラクエⅤだからこそのセリフなわけで。
これをただのゲームの映画化だから言ったセリフって受け取っちゃうと、とたんに古臭くってダサいなって印象になる。
勇者じゃない主人公が言うから光るセリフなんだよね。
それにしても幼少期から青年になるまで奴隷として働くとか、まんま今のブラック企業で働く若者じゃん。
結婚相手を選んだらゲーム(人生)が終わるまで変更きかないのも、当たり前だけどゲームとしては斬新だなって当時は思った。
ゲレゲレって名前も含めて、人生において選択は慎重にしなければならないと子供ながらに思ったもんだ。
ちなみに私はフローラと結婚したけど、大人になった今だったらビアンカだな(笑)
幼少期に行った妖精の国に大人になってからもう一度行くとか、子どもの頃パパスがちょくちょく家を出て書いていた日記を大人になってから洞窟の奥で発見するとか、原作のいいシーンが描ききれてないのがとても残念。
とくにパパスの手紙はあんなコメディちっくに偶然見つけて読んでも感動しないでしょ。
他にもヘンリー王子の一件でサンタローズの村がラインハットの兵士にめちゃめちゃにされるところとか丸々カット…ていうかそもそもそういうこと自体がなかったよね。
ボロボロになった村を見たあとにパパスの手紙(と剣)を見つけるから感動するのになあ。
他にも声優じゃなくて俳優を使ったのが裏目に出てしまっている。
とくにヘンリーはひどい。
あと主人公も。現代風に優男すぎて微妙。
女性陣も全滅。
唯一ビアンカはよかったかな。
あとゲマもまあまあ。
でも無理して俳優じゃなくてアニメみたいにちゃんと声優使えばいいのに。
たぶん俳優を使ってなんとか話題性とかで集客したかったんだろうけど、それがかえって失敗だったと思う。
上にも書いたけど、この映画はピンポイントすぎる。
俳優の話題性で観に来る人はそのピンポイントの中にいない。
だからそういう人に無理やり観せてもつまんないと思う。
もっとコアな感じで売り込むべきだったんじゃないかと。
そのほうが私のような一部のファンに支持されて、あんな酷評大喜利みたいな事態は避けられたんじゃないかと思うんだけどな。
スーファミ(ここ重要)でドラクエⅤをやったことがあって、結婚して子どもがいる人には超絶オススメの映画であることは間違いない。