これは女の人は基本的に面白くないと思う。
男の人で、過去に年上の女の人に憧れた経験を持つ人ならハマるんじゃないかなと。
男の人ならだれでも一度くらいは(思春期のときに)年上の女性に憧れを抱くだろうから、ほとんどの男の人には受けるはず。
なるほど、賞を獲るのも納得。審査する人は半分以上が男の人なんだろうなと想像できる。
ヒントをくれと登場人物が言う。ヒントだらけの作品。
相対性理論はブラックホール。ウミの形がまさにそれ。正確にはワームホールかと。
それと不思議の国のアリス。蒼井優は『花とアリス殺人事件』という作品でも、声優をやっていた(アリス役)。つまりこのペンギンハイウェイのお姉さん(蒼井優)は異世界からきたアリス。この世界の人ではない。
ペンギンがいるのは南極で、遠いが行けないわけじゃないギリギリの世界の生物を表している。このギリギリというのがポイント。行けそうで遠い、遠いけど行けそうな世界。
終盤でお姉さんが会いにおいでと言うのも宇宙の謎を解明してワームホールをたどっておいでということかなと思う。
最後にペンギン号が映るが、それは希望を表している。ペンギン号が帰ってこれるなら、主人公もいつか向こうの世界に行くことができるということ。
ペンギン号はまさに探査船の形をしているし、女の子が指摘したようにペンギンにも見える。
つまりペンギンはお姉さんにとっての探査船だということがわかる。ペンギンに文字通り乗ってこの世界に来たということ。
だから終盤もペンギンに乗ってウミに突っ込む。教授たちはペンギンに乗っていなかったので遭難しちゃってたわけ。
ペンギンが探査船だなんて受け入れられないっていうのは大人の思考。子供は柔軟な発想力だから理解できる。終盤で教授が「君には分かっているんだろう?」というのがまさにそれ。大人には理解できない。
この遠くにある世界が実は近い=近いようで遠いというのは主人公の父親が巾着袋を裏返すことで世界の見方が変わるというところがヒントになっている。
さらに序盤からずっと出てくる「おっぱい」というキーワード。
これもすぐそこにあるのに手が届かない=手が届きそうで届かないというのを表している。
同じおっぱいでも母親とお姉さんのとで違うというのは、「世界」についても、同じようで違う「世界」があるということ。
つまり主人公の世界とお姉さんの世界とは別であるということを表している。
主人公が謎を解き明かしていくにつれて徐々におっぱいとの距離が縮まるのがわかりやすい。
最後のお姉さんとの喫茶店のシーンではお姉さんに抱きしめられることでおっぱいは主人公の目と鼻の先にある。だからこそ、お姉さんは別れ際に泣くなと言ったのだろう。
つまりもう目と鼻の先までたどり着いた主人公ならば、いずれこの世界の謎を解き明かして会いに来てくれるとわかったから。
この映画のいいところは主人公のオシャレでキラキラした青春ムービー(年上の女の人と恋しました)として観ても、面白い。ただ現実にはこんな「絵に描いたような」生活環境は珍しいわけで、これは純粋にファンタジーとして観ないとイライラしてしまうかもしれない。(出てくる人がごく一部を除いて、みんな人間くささを感じない=作り物っぽい)
それだけでなく、しっかりと隅々までヒントをもらさずに拾っていけばSF映画としての側面も強くて謎を考察するミステリー的な見方もできる。
色彩の華やかな地方の街と自然を、ただ見てるだけでも癒される。
その一方でこの映画は主人公の成長を描いている。
コミュニケーション能力にちょっと難ありで、どことなく偏狭な主人公はある意味このまま成長すると将来が心配なわけだけど、思春期の成長に伴い、他者との関わりを持とうとがんばる。
唯一感情を起伏させられるお姉さんという存在と関わることで、映画の最後ではいかにも年頃のいい表情になっていく。
最初は鈴木くんが恋のやっかみでちょっかいを出してくるということがわからなかった主人公が、鈴木くんと女の子のチェスを見ている微笑ましいシーンまである。
思春期の男の子が、男へと成長していく過程での大人の女性との決別。
理想化された女性ばかりを追いかけるのではなく現実にも目を向け始めることを表している気がしてならない。同級生の女の子はどう考えても主人公に惚れてるわけだし。
いつかお姉さんと出会った時に、自分の成長した姿を見せるんだろうなあ。いい男になったよって。
これね、設定はもちろんSFなんだけど、お姉さん視点で見てみるとまた違った見方ができる。
年下の見込みのある男が自分に夢中になって。自分もまんざらでもないけど、あまりにも歳が離れているから、同級生の女の子とか歳の近い子と付き合うように自分から身を引く映画として見たらどうだろう。大人な身の引きかただなって。
ずるずると自分との時間を過ごしていたら男の子のためにならないってわかるんだろうな。だってこんな空気読めない男の子じゃそりゃ普通の女の子じゃ相手できないわけで。それこそ10〜15歳位上の自分みたいな女ならうまく合わせられるけど、それじゃ男の子の将来のためにならないし。
自分に依存しきっている主人公を突き放す必要があったんだなって。
でもなかなか決心ができずにずるずるしちゃってて、映画では同級生の女の子にウミが見つかってから急展開していくような気がする。
つまり男の子と同世代の、それも主人公に好意を寄せている女の子を実際に見てしまって、やっぱり身を引かなきゃって決心したってところかな。その決心がウミの巨大化ということで映画では表現されているわけで。
映画ではかなり際どいことまでやってる。たとえば主人公を自分のマンションに連れ込むとか。これね、はっきり言って犯罪ですよね。父親も母親も知らないわけで。海に連れてくっていうのも誘拐だって言われそうな感じ。
それはお姉さんもわかっているわけで、だから電車で街から離れると苦しくなっちゃうんだと思う。
つまり、主人公と一緒にいたいけど、大人の行動力で街の外に連れ出しちゃったら取り返しがつかなくなるっていう罪悪感なんだと思う。
ウミを探しに研究者たちが森に探しに入るのも、主人公といい感じになっているのを世間に咎められるっていう隠喩な気がしてならない。
主人公が「ペンギンを出さないで」って言ったりとか、お姉さんの存在を隠そうとするのも、いかにも未成年とイケナイ関係って感じだし。
そんな自分の罪悪感の根源でもあり、この世界に存在し続ける理由=主人公への恋心があのウミという存在なんじゃないかと。
つまり、恋心が小さく(ウミが小さく)なったときというのは「主人公との関係を終わらせなきゃ」という気持ちを表していて、つまり鬱状態。
恋心が大きく(ウミが大きく)なったときというのは「やっぱり主人公が好きだからこの関係を続けたい」ってことで躁状態なんだと思う。
だからウミが小さいときは精神病んじゃってるから元気なくて、ウミが大きいときは躁状態で元気なんだと思う。
同級生の女の子がウミを研究するっていうのはつまりお姉さんの恋心を真剣に見定めるってわけで(笑)かなり気まずい状況だったんじゃないかと思う。
ラストでウミが膨れ上がったのは主人公のことが好きすぎて、想うあまりようやく決別することを決断したってことなんじゃないかなと。
あのウミをペンギンでぶっ壊すっていうのは究極の躁状態=そのあとの究極の鬱=自殺なんだと思う。
主人公と決別するわけだけど、「研究に大人を入れたくない」って理由でハッキリとお姉さんは、女の子に拒絶されて挑戦状を叩きつけられてたしね。女同士はわかっちゃうんだろうね。
ペンギンについて、主人公にお姉さんが「研究して解き明かして」って依頼するのは自分が好きだっていう気持ちをうまく言えないからだと思う。
つまり自分が主人公を想っている気持ちを、解き明かせってことなんじゃないかなと。
暗い時に「コウモリ」で明るいときに自分の好きな動物である「ペンギン」が出るのは、明らかに感情の明るい暗いを表してるし、もっと言っちゃうと主人公との将来の展望について明るく考えているか暗く考えているかなんだよね。
最初にペンギンを出すのは、たまたま主人公が虐められてるところを助けてあげて、そのついでに歯を抜くのを手伝ってあげるという大義名分でイチャイチャできるわけだけど。
喫茶店で停電でコウモリが出ちゃうのはやっぱり後ろめたい気持ちがあったのと、停電で暗くなったことでちょっとイヤらしい気持ちが芽生えたってことかと。
停電のあとはベビーブームになるって言われてるくらいですし。主人公に「怖い?」ときいて「怖くない」って返答が来るあたり。いかにもキスとかしそうなムードなんだけどな。その瞬間に出てくる大量のコウモリ。かなりの罪悪感なんでしょうね。
実際に喫茶店でチェスを教えている間、主人公はしょっちゅうお姉さんのおっぱいを見ているわけで。むしろ自制しているのはお姉さんのほうなんですよね。どうしても主人公の目線でばかりこの映画を観てしまいがちだけど、お姉さんの立場で観ると一層面白い。
ちなみにライバルになる同級生の女の子もチェスがうまいっていうのは、お姉さんの後釜はこの女の子ってことを匂わせる。
年下の男の子に好意を持たれて、結ばれるチャンスもあるけど、男の子の将来を考えて身を引く大人の女の映画だと思う。
だから普通の女の人には全然面白くない映画になっちゃうのは仕方ない。でも男の人にはわりかし受け入れられる映画なんだと思う。あとは身を引いた経験がある女の人くらいか。間違っても小さな男の子のいるお母さんは観ても面白くないだろうなという映画。
映画のエンディングソングで宇多田ヒカルが「グーーッバイ」と歌っているのも別れを意味しているわけだけど、曲名は「Good Night」
ただ別れるんじゃなくて眠る=いつの日か主人公が起こしてくれるまで眠るっていう意味と、主人公が眠っているベッドのそばで主人公を見下ろしながらおやすみと言っている二重の意味かなと思う。主人公の前で眠っちゃう場面もあったし、主人公のベッドのそばにお姉さんがいた場面もあったから、もう一度観る機会があればそれを念頭に観てみたいです。