戦艦ポチョムキン画像

戦艦ポチョムキン

どういう映画が人々に受け入れられるのかをよく考えた作品。
良い映画の定義は人によるだろうけれど、「威張ってる権力者を、虐げられている人々が頑張って倒す物語」が嫌いな人は恐らくいないと思う
「チャングムの誓い」だって可哀想なチャングムが頑張って夢を叶えていくところが応援したくなるわけだし、「ベンハー」だって奴隷になったけど諦めないでがんばるから感動するわけで。
「スターウォーズ」の主人公たちが帝国と戦っているのも同じことですよね
「レ・ミゼラブル」も革命でてくるし。
つまり古今東西、権力者に立ち向かう弱者の物語は人々の共感を得てきている。
この戦艦ポチョムキンもそう。
腐った肉で作ったスープを拒否したがために、上官に殺されそうになる水兵たち
それを仲間の一人が呼びかけて、みんなで戦艦を制圧する
呼びかけた者も同じ水兵で、士官たちを全員やっつける。
しかし肝心の発起人である主人公は、士官の一人に撃たれて死亡。
まずここだけでも十分いいお話なのである。
その仲間の亡骸を、港町のオデッサに運び、テントに安置する仲間たち
亡骸には「ひとさじのスープのために」と紙にメッセージが添えられている
それを見た街の人々が、権力者に憤る。
特に黒い服着た女の人が印象的(実はこのあと出てくる乳母車の人)で声を張り上げて、権力者に立ち向かおうと叫ぶ
街のみんなもそれに倣い、革命に参加する。
この時の人々の顔がすごい
最初は水兵の亡骸を見て可哀想だなと悲しい顔
そのあと女の人の訴えをきき、権力者への憤りを感じて、革命への参加を決意していく
このときみんなが口々に決意を叫んでいるわけだが、先ほどの悲しい顔から一転して怒りに満ちている
この怒りの顔が画面を覆い尽くす
この覆い尽くすというのがこの映画の特徴だと思う
冒頭の吊るした肉が腐って食べれないと士官や艦医に訴えるシーンでも、肉のアップをした際に画面を覆い尽くすようなウジの群れを映す
こんなにウジだらけなら食べれないに決まってるわけだが、艦医は「塩水で洗えば平気だ」とぬかす
ナポレオンが「兵隊は胃袋で動く」と言ったくらい、軍隊のましてやストレスの多い軍艦で食事が不味いというのは致命的なのに、権力者(この場合は士官とそれに忖度する艦医)はそれを気にもしていない
まるでパンがないならケーキを食べればと言われたくらいの衝撃を主人公たちが受けるわけだが、このとき集まった水兵たちも画面を覆い尽くすくらいの人だかりで、それを士官たちが面倒そうに追い返す
この画面に収まりきらないくらいの圧倒的物量がこの映画の特徴
そこには人々の鬱憤が溜まっていることがうまく表現されている(鬱憤が溜まりすぎて画面に収まりきらない)
虐げられている弱者が大勢いる(画面に入りきらないくらいたくさんいる)というメッセージにもなっている
甲板で反乱を起こすシーンも圧倒的に多数の水兵たちによって士官たちが全員やられていくのは観ていてすごい迫力
これ、1925年の映画です
まるで第二次世界大戦の記録映像を観ているかのような臨場感(それでも、これは第二次世界大戦より前の作品なんだけど)
CGを使わずに、人々がまさに群衆となって一つの目的に沿って行動するのはものすごい力を感じる
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というスローガンで権力者を倒す弱者たち
一人の力では弱くてもみんなで団結することが肝心なんだと象徴している
街の人々からも受け入れられて新鮮な食べ物を受け取ってしばらくはほのぼのムードだったのが一転、政府軍の軍隊が銃を構えて階段の上から街の人々を背後から撃っていく
パニックになる群衆
街の人々が一斉に階段の下へと避難していく様子はまさに圧巻の一言
一人が転ぶとそれによってつまずいたりしてそこだけ倒れた人々によって低くなる
それ以外の部分が一斉に下へ下へと動いている
それはなんだか大きな一つの生き物の動きのようで、あんな映像は他では観られないと思う(現代なら間違いなくCGでしょうね。だって危ないし。実際転んでる人も映ってるし)
「蒲田行進曲」の階段落ちもすごかったけど(首の骨折れそうだった)やっぱり階段って映画で撮ると象徴的なシーンになるね
子どもが撃たれて、母親がその子どもを抱きしめて、階段を兵隊の方へ上がっていきながら「撃つのをやめて」と訴えるシーンも切ない(ちなみにだれもその子どもを助けようとしない。むしろ手とか踏んづけていく群衆)
血塗れの子どもを抱えた母親の訴えをきいて、兵隊たちはてっきり撃つのをやめるのかと思ったら、子どももろとも母親を撃ち殺す非道な感じ(ちなみになぜかこの母親が女装した男の人に見えてしまうのは私だけでしょうか?髭があるようにも見えるんだけど…)
街の人々もみんなで団結して話し合って解決しようと何人かで固まって兵隊の方へ歩み寄って虐殺をやめるように説得するも、皆殺しにされる
もうね切ないよね
話し合って解決とか綺麗事なんだっていうのをまざまざと見せつけられる
さらには階段の下にもコサック兵の騎馬隊が回り込んできて、人々を挟み撃ちにする
もうどうしようもない状況で、先程登場した黒い服の女の人が、再び出てくる
階段を乳母車を押して逃げていたんだけど(ここで子持ちの母親なんだってわかるのがうまい演出。街の人々を革命へと導いて声を張り上げたのは子どもを持つ母親なのだ)その母親もついに兵隊に追い付かれてしまう
乳母車の赤ちゃんを守ろうと自分の背中に隠すが、やはり兵隊に撃たれてしまう
なんとか乳母車の赤ちゃんには弾が当たらなかったが、力なくその場にへたり込む
そのへたり込んだ自分の背中で僅かに乳母車を押してしまい、乳母車が階段をカッタンカッタンと落ちていく(もちろんだれも助けない)
乳母車が落ちていくのを見ている人もいるけど助けようとはしない
階段を駆け降りる群衆とともに乳母車がカッタンカッタンと階段を落ちていくのはどこか神秘的
「アンタッチャブル」ではアンディ・ガルシアが足で乳母車を受け止めていたけど、この映画ではそういう助かったとわかるシーンはない(ただただ悲惨)
そこへ戦艦ポチョムキンが艦砲射撃で港町の司令部を破壊して虐殺をやめさせるからカッコイイ
まるで「宇宙戦艦ヤマト」の最初の主砲発射みたいな感じ(わかる人いるだろうか)
ここで終わらないのがこの映画のいいところ
最初は水兵による反乱シーンが見せ場でこれはまるで「パイレーツオブカリビアン」などの海賊映画を観てるみたいだった(船に乗り込んで戦うやつ)
次が階段の虐殺シーンでまるで戦争映画の悲惨なシーンみたい(「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」っぽいかな。旧日本軍の203高地で機関銃にひたすらやられていくのにもちょっと似てるか)
そしてこのあとからは軍艦映画になっていく
例えば「U571」とか「Uボート」みたいな潜水艦映画を彷彿させつつ、前述の「パイレーツオブカリビアン」みたいな海賊ものみたいにも見える
街を救ったポチョムキンは政府からの分遣隊の迎撃に向かう
水兵たちが寝ている場所が最初のハンモックから士官たちの部屋になっているのが面白いんだけど、分遣隊を見つけてからは戦闘態勢になる
これ古い船だから、戦闘準備の感じがまんま海賊映画のガレオン船の戦闘準備みたいで面白い
そしてそれぞれの部署の狭い室内(例えば艦橋や機関室や発射管室など)は潜水艦映画みたいに男たちの距離が近くて汗臭そうな感じが漂う
分遣隊を正面突破しようと全速前進する戦艦ポチョムキン
なんかねもうね1世紀近く昔の映画なのに、すごく興奮するんだよね
圧倒的な戦力の敵の艦隊に、たった一隻で正面突破をしかけるってこれだけでハラハラする
射程距離に入って敵艦も発射準備をしたことがわかる
どうしてわかるかっていうと砲塔が上がるから(3本の砲塔が端から順番に上がっていくのは「戦艦大和」みたい。主砲が三連だから敵の艦だってすぐにわかるのがうまい。ポチョムキンは二連砲塔)
戦艦ポチョムキンは敵艦に手旗信号でこちらに合流するように合図を送る
敵艦の水兵たちの心に訴える作戦
下手したら撃沈されるかもしれない緊張感の中、アップになったポチョムキンの水兵の顔が笑顔になる(この演出がまたうまいよね)
敵艦の甲板に水兵たちが大勢出てきてこちらに手を振る
彼らも一致団結して権力者に立ち向かうことにしたらしい
艦隊に迎えられたポチョムキンの艦首が海を切り開いていくのを正面から捉えてエンド
もうね、この終わり方もカッコいい
運命を切り開いていくのを予感させる終わり方。
ここまで66分。無声映画だからほとんどセリフなし(たまに字幕出るけど)
いやあすごい映画でした。
ほぼ全編にわたって音楽が流れていて、無声の映像を観ていると、やっぱり映画っていうのはオペラやバレエに通じるものがあるんだって思える。
そういう昔からの芸術の上に映画があって、だからこそ芸術性が高まるんだろうなと思った。
どんなに時代が進んでも良い映画っていうのはあるんだなと思える。
こういう映画をもっと作ってほしいと思う。
こうして観るといろんな映画の元ネタなんだなとわかる
約100年も前にすでにこんなすごい映画が完成していたことにおどろき
ちなみに監督がチラッと出演しているのも憎いよね(あの存在感ある神父さん。ちゃんと階段に頭ぶつけるあたりがこだわってるなあ。痛そう。ヒッチコックはこれに比べるとさりげなさすぎて…)
普遍的なテーマをしっかりと見据えて、ちゃんと丁寧に作れば100年後も受け継がれている作品になるってことだなあ
こういう作品をもっと観てみたいと思う今日このごろなのであります
以下蛇足
淀川長治さんは解説で「ポチョムキンの大砲に驚いた人々が階段で避難-」とおっしゃっているが、これは明らかな間違い。いきなり現れた兵隊に背後から襲われて避難しているのであって、ポチョムキンは避難している街の人々を助けるために、その兵隊の司令部を破壊するために撃っている。「砲撃→避難」ではなく「避難→砲撃」である。なぜこんな間違いを解説で喋っているのだろう。しかもDVDソフトに収録されている。
1.ポチョムキンが司令部のある劇場を砲撃したのを、街の人々への攻撃と勘違いした2.映画を観たのが昔で記憶が曖昧なまま解説した
とも考えられるけど、さらに別の可能性も考えられる。
3.良い映画だけど、古いし白黒の無声映画で、退屈だと思って実際には見ないで解説だけきいて映画を観たつもりになっている知ったかぶりを暴くため
ではないかと深読みしてみた。一度でもこの映画を観れば簡単にわかることを、自分の名前のついたクラシック映画100選シリーズのDVDソフト版に収録した解説でこんな間違いをするなんておかしいから。
仮に上記1か2の場合、このDVDに関わったスタッフが誰一人としてこの映画を観ないでそのまま解説収録してDVDを発売・流通したことになるわけで、そんなことはいくらなんでも考えられないように思うから。
つまり確信犯的にあえて間違えた解説をしゃべったんじゃないだろうか。
映画通ぶってる人にポチョムキンの「砲撃→避難」か「避難→砲撃」かの簡単なクイズで嘘がわかってしまう(それでも正答率は50%だからあまり確定要素ないけど)