オオカミの皮をまとう男

オオカミの皮をまとう男

映画好きな人なら絶対ハマる。二回目の鑑賞で印象が変わる映画

ナショナルジオグラフィック系の自然環境と野生動物の綺麗な映像

15分間は登場人物が男(主人公)のみ

17分後に初めてセリフが発せられる(ただしこの主人公のセリフではない)

「オオカミの毛皮は村長が買う」っていうセリフがこの映画始まってから最初のセリフ(脚本はだいぶ薄いと予想されます)

冗談みたいだけど本当にこれが最初のセリフ

素晴らしい

本当に素晴らしい

この時点でこの映画は名作だと確信しました(ただし万人受けはしない。ここまでの流れを観てつまんないと思ったらきっとこの映画は退屈になると思う)

ちなみに主人公の最初のセリフは「オオカミは捕れる。数が多い」である

人里離れた山奥でオオカミ狩りをして生計を立てているヒゲモジャの山男が主人公

なお、主人公を演じているマリオ・カサスは甘いマスクと笑顔がチャーミングな、いわゆるイケメン俳優さん

なのにこの映画ではもっさりした山男を熱演している(あまりにも普段の役柄と違いすぎて最初はわからなかった。ちなみにこの映画を観るまで、ぼくはマリオ・カサスが嫌いだった。だってチャラチャラしたラテン男って感じで自分がイケメンだって知りすぎてるような、鼻持ちならない気どった雰囲気なんだもん。それくらい普段はセクシーなイメージの俳優)

オオカミを狩りまくっている主人公はそのせいでオオカミからは当然恨まれている

番犬とヤギをオオカミに襲われて不安な主人公は懇意にしている酒場のマスターに愚痴る

新しい犬を訓練しなきゃならないが懐くか心配している主人公に結婚をすすめたのがこの酒場のマスター(昔でいうお見合いをすすめるお節介おばさんみたいな感じ)

山で孤独に暮らしている裕福ではない主人公のところに嫁いでくれる女の人がいるのか心配になる観客をよそに、主人公は心当たりがあるようです

村はずれの粉挽き小屋で働くちょっと疲れた感じの(10歳くらい)年上の女の人

いきなり訪ねていく主人公に対し、大人の関係になる女の人(だれでもウェルカムな女性なんでしょうかね)

家に帰ってしばらく考えたのちに、主人公は決心する

おそらく女の人の実家らしき家に毛皮を持ちこんで話し込んでいるシーンが続く(実はこのシーン雨が降っている。このことを覚えておくとこの後の展開がわかりやすい)

ようやく2人暮らしになり、ここから物語が展開していく

なにもなく険しい環境で孤独を感じる新妻

旦那である主人公は無口だし、山暮らしは過酷だしやることはいっぱいあるのに娯楽はない

おまけになんの脈絡もなく突然旦那が服を脱いだかと思いきや、いきなり始まる子作り

こんな暮らしで病気にでもなったらどうしよう、と心配していると妊娠が発覚

初登場時からゴホゴホと咳き込んでいる描写があるので、恐らくもともと身体が丈夫なほうではないんだと思われる

そしてどうも主人公よりもだいぶ年上っぽい

新妻がベッドで横になっていてだいぶ具合が悪そうにしている

抱えて医者に連れて行こうとするも新妻が苦しがって断念してしまう

そしてポツリポツリと新妻が口を開き、主人公はやるせない表情で部屋を出ていく

その後、主人公はヤギの乳搾りをしている

具合が悪い新妻を放っておくんじゃなくてそばにいてやれよ、と観客は当然思うが主人公はヤギの子どもを抱きしめる

このヤギの子どもを主人公が抱いているシーンが悲しい

自分の子どもだったらな、という気持ちで抱いてるんだよねきっと

自然界の動物はこうやって出産できるのに、人間(自分)はなぜそれができないんだろうとでも言いたげな目の表情が意味深

極力セリフがないので観客は自分で答えを探らなければならない

新妻がいきむシーンはあるけど、その後に赤ちゃんの泣き声はしない

カメラでゆっくりと足元のほうを映していくけれど動く気配もない

ということはつまり・・・

映画開始42分でまたひとりぼっちになってしまう主人公

この2人暮らしからの、妊娠発覚から悲劇までこの映画ではわずかな時間しか割いていない(たった13分30秒の短い新婚生活)

そして主人公は新妻の遺体を布に包み、あろうことか新妻がもともと働いていた小屋に置く

どうしてそんなことをしたのかはすぐにわかりますが、ここでもさらに波乱が待っている

父親がこの小屋を訪ねてきた時

「病気も妊娠も隠して売ったな」

という主人公のセリフに凝縮されている

つまりこの新妻は未亡人で最初から妊娠をしていたのである

どうりで主人公とすぐに大人の関係になったわけだ

あまりにも展開が早くて違和感があったけれど、ちゃんと理由があったというわけ

そしてそれをたった一言のセリフで表現している

主人公の怒りがそこに込み上げられているのだ

おそらく主人公は死の間際に真実を新妻からきかされていたんだろう

あのポツリポツリと口を開いていたシーンはそういうことだったのかとシーン同士が結びつく

この答え合わせの気持ち良さ

シーンとシーンが繋がって深みがでる味わい深さがこの映画の醍醐味

だから主人公は新妻を埋葬したけれど、怒りで許せなくなって父親に見せるためにわざわざ小屋に運んだんだね、と頭の中で納得した瞬間

まるでパズルのピースがはまっていくような快感を覚えるはずです

でもさすがに「カネを返せ」は亡くなった新妻が可哀想に思うけど、スペインでは普通の感覚なんでしょうかね

まあ父親も黙ってたわけだから腹黒いわけだけど、主人公に対して「ケダモノめ」は言い過ぎでしょ(結局この父親もゲスい)

女の人の地位や幸福なんかはどこかに忘れてきちゃったような、昨今では珍しい作風です(景色の綺麗な田舎ほど男尊女卑がひどいという隠喩になってる。美しい映像と対になって表現しているわけです)

主人公としても赤ちゃん用のベッドを用意したりして楽しみにしていたのは映像にも映っていたから、ケダモノってわけじゃないんだろうけれど

やっぱりお金を払っちゃったから生活に余裕がなくなっちゃったし(たぶんそのせいで番犬を買えなかった)孤独には慣れていても2人暮らしを知ってしまったわけで、おまけに自分の子どもを持てるって期待した分、気持ちの落差が激しいんだと思われる

なんだか結婚をすすめてきた酒場のマスターもグルだったんじゃないかと疑いたくなるね

主人公の勘繰りすぎで、主人公を傷つけないためにあえて新妻が嘘をついたという深読みはできないようになっているのも用意周到な映画(実家で結婚話をしているときに雨が降っている=この段階で結婚の結末は悲惨だという暗示がされている)

「病気になったらどうするつもり?」という新妻との会話も伏線になっていたのでお見事と言うほかない。

酒場での取引のシーンで子どもを産むメスは貴重だとか、罠を仕掛けているときにオオカミに背後をとられたけど銃を撃たなかった(メスのオオカミだったから)とかちゃんと伏線が張ってあったんですよね

そして約束の春に再度やってきた主人公

ゲスい父親がカネを返すはずもなく

ぶち殺そうと銃を構えて突入した主人公に末娘を差し出す父親(やっぱりゲスい)

そしてちゃっかり後妻を迎える主人公(こっちもゲスい)

最初の新妻と死に別れてから11分後には再婚してるっていう

もうね、清々しいくらい女の人の地位や幸福なんか考えてない映画です

もはや、家畜以下の扱い

こういう惨状を見ると、現代日本の女性の地位はだいぶ守られている方だと思う(まだまだ平等とは言えないけど)

こんなヒゲモジャの山男ですら(カネと毛皮と引き換えだけど)女の人と結婚できたのは男尊女卑だったからなわけで(女性に拒否権がない)

女性の地位や幸福を追求すればするほど(女性に拒否権がある)未婚率が上がり、それに伴って出生率も下がるという先進国の諸事情を揶揄しているわけです(そもそも山奥の小屋でヒゲモジャの無口で性欲旺盛な男と結婚したい女性は多くないと思いますが。ちなみに主人公はクチャラーです)

昔はどんな変な男(現代日本ではとうてい結婚できないような男)でも結婚できていたのは女性に拒否権がなかったからだとこの映画を観れば納得できるはずです

昔の結婚は今みたいな恋愛の果ての結婚ではなく、この映画のようなお金や生活のため(番犬代わりだったり労働力として)または悪い噂を払拭するために結婚していたんですね

仕方なく結婚させられる末娘の演技がまた絶妙(露骨に嫌だって表情に出ちゃってる)

その末娘に結婚当日、毒を渡す父親(すんごくゲスい)

「耐えられない時はこの毒をヤツに」って言ってるけど、要するに邪魔者は消すって考えですよね

末娘はまだ若いし嫁ぎ先には困らないから、主人公に孕まされるまえに主人公を毒殺しちゃえば、別の男に嫁がせてカネを稼げるからでしょ

末娘も主人公の山男と結婚生活するのが嫌なのは(表情からも)明らかだから父親は自分の手を汚さずに末娘に主人公を始末させようとけしかける(すごくゲスい父親)

この辺が日本の女性たちと違ってくる

いくら相手の男が嫌でも毒を娘に持たせて殺人を仄めかすってのは日本人の感覚にはないので新鮮だと思う(スペインでは普通なんでしょうか。怖い)

そしてここからはこの末娘が主人公に取って代わる。

明らかに主人公よりも画面に映る時間が長くなる

そして観客としてはこの後妻が主人公を毒殺するのかどうか?いつ?どうやって?に興味が移る

詳細は映画をぜひ観ていただきたいのでここではあえて書かない

けれどたぶん予想を軽く裏切るような結果になっていると思う

一つ言えるのは分不相応な結婚相手を選んでも幸せにはなれない、ということ

モテない男がよくある勘違いで、世の中には自分を理解してくれる若くて可愛い女の子がいて、その人と結婚して子どもができる、なんてのは幻想でしかないとこの映画では訴えてくる

そう、実はこの映画、ものすごい男尊女卑を描写しているにも関わらず「モテない男は悲惨」というなんとも救いのない主張をしているのです

散々女の人を軽んじて描写して女の人の怒りを溜めているけれど、ちゃんと映画を観れば男がけっこう悲惨なことになっている

全体を通して女の人の地位や幸福を蔑ろにしてきたツケがちゃんと払われるようになっている

ある意味で勧善懲悪だし、そこにあるのは「モテない男は悲惨」という救いのない現実

男尊女卑でいかに男が威張っていようとも愛がなければ結局無意味であって、モテない男にはその愛さえ手に入れることが困難な代物なのです(女性を虐げているんだから当然ですけど)

つまり女性に拒否権があってもなくても、男にとって結果は変わらないということ

未婚率の上昇や出生率の低下について考える時、昔のようなやり方に戻せば解決すると単純に考えがちだけど、それは早計であって間違いだとこの映画では静かに語っているのです

結局のところ男がどんなに女性を虐げても、最終的に自分の思い通りに操ることは不可能なわけで(事実、医学部の受験問題なんかに代表されるように最近では女性の方が偏差値が高くなっているらしいですね)

男の幸福のために女を虐げるのは無意味であるといういわば女性の復讐物語というか、立場の逆転が面白い映画なんです

これ、男性が観ても女性が観ても面白いと思うけれど多分受け止め方はだいぶ違うと思いますね

女の人の立場で鑑賞するとこの主人公に同情なんかしないでしょうし

男の立場で観ると(特にモテないタイプの人は)主人公に同情するんじゃないかなあ(はい、ぼくは同情しちゃいます)

ある日、理想的な異性が現れて結婚して幸せに暮らすっていう夢物語はシンデレラなどのディズニーものに代表されるように、とかく女性の夢に捉えがちだけど、実は男も同じ夢物語を描いているんですよね

鶴の恩返しに代表されるように、日本の民話はある日男のところに女の人がやってきて、一緒に住むっていうパターンが多いように思います

つまり男にとっても、理想的な異性とひょんなことから一緒に暮らすっていうのは王道なんですね(近頃の異世界転生ハーレム系も同じかと)

歳を重ねても相手が現れると信じて婚活を続ける女性を「いきおくれ」だの「高望みしすぎ」だのバカにする男がいるとしたら、この映画を観せるといいでしょうね

男だってモテない奴は結局同じだよ、と

男は経済力があれば結婚できると思っていたらそれは間違いだよ、と

イケメンならすべて解決すると思ってるならそれも違うよ、と(だから主人公はイケメン俳優が演じてる)

結婚すれば幸せになれると思ったら大間違いだよ、と(ここが大きな衝撃)

この映画がレアケースを扱っているとは思えない

なぜなら構図としては『美女と野獣』にそっくりだから

有名なディズニーの映画である『美女と野獣』と比較するとこの『オオカミの皮をまとう男』はかなり似てることに気がつくはずです(製作者が意図してるかはわかりませんが、オオカミの皮をまとう=野獣と考えられます)

『美女と野獣』では心が通い合ってとてもあたたかいお話になっているけれど、実際には無理だろっていう冷たいツッコミが聞こえてきそうな、そんなアンサー映画として「オオカミの皮をまとう男」は作られたんだと思う(たぶんちがう)

名作と言われるファンタジー映画が大っ嫌いな現実主義者が、ディズニー映画に真っ向勝負を挑み世の中の男女に冷や水を浴びせようと全力をふりしぼった映画です(たぶんちがう)

『美女と野獣』では真実の愛を見つければ野獣にかかった魔法が解けるっていう設定だったけれど、ではこの「オオカミの皮をまとう男」ではどうなるのか?

それはこの映画の最後のラストシーンでカミナリが落ちる音をよく聞けばわかります(そしてそれはこの映画の冒頭の最初の効果音ともつながるはず)

この映画は救いようがないお話なんだけれど、反面教師として学ぶべきことがあると思う

まずはさ・・・

会話が大事だってこと

ジローラモって人が「日本人は女性を口説いたりしないくせに二人っきりになるとすぐに肉体関係を結ぼうとする。これではレイプだ」みたいなことを言ってたけどさ

この映画の主人公もまさしくこれ

だから日本人の男の子に学校で性教育の教材としてこの映画を観せるべきだと思う(ジョークですよ、念のため)

それくらい会話って大事なんだなっていうのがこの映画を観た観客に対する優しい教訓

男女平等もまずは会話からってこと

それくらいコミュニケーションって大事だなあと痛感します

コロナ禍で人と会話をしなくなっている日本人はこれからますますこの映画の主人公みたいになっていくことが予想されます

それを防ぐためにも会話が大事だということを、全編に渡って極力セリフを排除することでこの映画は教えてくれているのです

『美女と野獣』よりもある意味で教育的なんだと思います

ただ残念ながらここまで深く考えてこの映画を観る人は少ないと思われるのが残念

だって「オオカミの皮をまとう男」ってタイトルでオオカミがちょいちょい出てきたら、てっきりオオカミと戦ったりする雪山アクションを想像するけど全然違う

あるいはオオカミの皮をまとった男がなにかとんでもないことをしでかすショッキング映画かと思いきや全然違う

非常に考え抜かれた構成と脚本、見事な演技に音楽、こだわりの小道具や照明まで細部に力を入れた「静かに力強く語る教訓映画」なのであります

説教臭くなく、それでいて胸にジーンと響く名作だと思います

キャスティングも絶妙です

ぜひ観てみてほしい

そして感想をききたくなる

そんな深い映画なのでありました