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アデル、ブルーは熱い色

これぞ異文化交流映画。見聞が広がること間違いなし。

LGBTQが認知される世の中になってきているとはいえ、まだまだ理解が足りない世の中であります。

数あるLGBTQ映画の中でもこの『アデル、ブルーは熱い色』は映画としても凝っていて、セクシャリティに関係なく楽しめる映画。

自分の知らない世界を見せてくれる、という映画ならではの楽しみを存分に味わえます。

知的好奇心が刺激され、長い上映時間(2時間59分)にも関わらず、最後まで観てしまう。

今回は舞台がフランスなのでLGBTQ関連だけではなくて、フランスという異文化についてもいろいろわかって面白い。

たとえば

牡蠣はレモンをかけて動いているかどうかで新鮮か見分ける(つまり生きている新鮮な牡蠣を食べる)とか。

高校生なのにデモに積極的に参加するとか(同級生たちとまるでパーティー感覚でデモに参加している)

主人公は高校生なんだけど、登校前に校門の近くでみんなとタバコで一服するとか(吸った後はポイ捨て。日本の高校生じゃ考えられない。別に不良だからではなく、みんなごく普通にやってる)

なんなら校舎の敷地内でも普通にタバコ吸ってたりとか

ケータイ持ってる人がいなくて、SNSに夢中な子がいない、とか

そのかわり友達との会話をしょっちゅうしているとか

授業では黒板もノートも使わず、ひたすら教科書を読んで解釈について話し合うとか(これは何を表現しているかとかを考えさせる。一目惚れについてを授業で扱っていてそれが映画のストーリーともリンクしている)

デートの会話に当然のように哲学者や文学者の話が出てきて、教養がないと会話が成立しないとか(実存主義について話し合う高校生と大学生って日本の恋愛映画じゃ想像できない。そして会話に出てくるキーワードがこの映画のストーリーともリンクしているのが憎い演出。自己についてとか)

初めてのデートでベッドに誘わないと、自分に好意がないんだと女の子は思ってしまい、後日めっちゃ不機嫌になるとか(日本女性の感覚とは全然違う。ベッドに誘わないと失礼という感覚。個人的にはこれが1番衝撃だった)

家族の夕食で当たり前のようにワインを飲んでるとか(17歳の高校生なのにほぼ毎日飲酒)

校舎内でキスやイチャイチャは当たり前とか(先生も誰も注意する人なし)

未成年と性行為しても捕まらないとか(繰り返しになるけど主人公は高校生)

でもそんなフランスでも友達が同性愛者だとわかると集団でからかっていじめるとか。

こんなに文化は違っていてもやはり同性愛者はマイノリティであって、本人は周りと違うことを自覚していてカミングアウトもなかなかできないし、すごく悩んでしまうっていうのは万国共通なんですね。

45分くらい過ぎないとレア・セドゥのセリフはないので、ファンの方は頑張って45分は観続けましょう。

個人的には主人公のアデルがいつも口が半開きなのが気になった。

僕としてはなんかアホっぽく見えてしまって全然セクシーだとは思えないんだけど、フランスの人にはとてもセクシーに見えるらしい(主人公は友達にも美人だと言われるくらいモテてる設定)

さらにレア・セドゥも前歯が空きっ歯で僕としてはそこが特別セクシーとは思えないんだけど、やはりフランスの人にはセクシーに見えるらしい(美人な主人公が一目惚れするくらい美人っていう設定)

キスは映画全体を通して100回はしてるんじゃないかと思う。

『ダイハード3』が5分に一回ピンチ(山場)のある映画って言われてるけど、これは5分に一回キスシーンのある映画。

それくらい愛情表現が豊か(友達にもおはよーって挨拶しながら毎朝ほっぺにチューしてるくらい)

そしてジーパン率が高い。ほぼみんなジーパン履いてる(笑)

日本の高校生の私服で男も女もこんなにジーパン履いてるシーンなんて見たことない。

映画の冒頭、主人公はイケメンって評判の先輩とお付き合いをすることになる。

でもなんかしっくりこないのは同性愛者だからなんだねってわかるシーンがある。

先輩と待ち合わせして街を歩いている時に、主人公はたまたますれ違ったレア・セドゥに一目惚れしてしまい、頭から離れなくなる。

そしてその日(イケメンとデートした日)レア・セドゥのことを思い出しながら自慰をする。

ここで主人公が同性愛者なんだなってわかるシーンなんだけど、あまりにも表現が直接的すぎて関心してしまった(日本の映画ではさすがに表現できないと思う。せいぜいフラッシュバックで顔をチラチラ映すくらいで観客に感づいてもらう演出になるかと思う)

このイケメン、とても紳士的なんだけど主人公のアデルとしてはもう頭の中レア・セドゥのことでいっぱいだからデート中一緒に映画観てても心ここにあらずなんだよね(なんかイケメンが可哀想になる)

そして翌日、ベッドに誘わなかったことを謝りにきたイケメン先輩と、とりあえずベッドを共にする(このとりあえずエッチしてから考えようって感覚もすごいよなあ)

そこでもやっぱりレア・セドゥのことで頭がいっぱいで心ここにあらずな主人公(この時のどこかノリの悪い感じがすごくうまかった。演技が下手だとただのぎこちない感じになっちゃうけど、本当に微妙にノリが悪い感じ)

そしてカフェテリアでイケメンとは別の男の子と会話するシーン。

正直、だれだこの男の子?!ってなるけど、なんとなく昔から親しい間柄なのかなと想像できる。

そしてイケメン先輩に別れ話をする。

納得できない感じのイケメン(可哀想なイケメン)

主人公も自宅に戻って泣く(自分が男の子とはお付き合いできないとハッキリ自覚したってこと)

そしてその後の女友達に美人って言われてキスされるシーン。

そりゃこの女友達も自分と同じ側の人間(同性愛者)だと思い込んじゃうよね。

でも翌日思い切ってトイレでチューしたら「あれは盛り上がってしただけで、そんな気は(同性愛者じゃ)ない」と言われてしまってショックを受ける。(盛り上がりで同性にチューなんてするなよ〜。しかも美人って言われてすっかりその気になってた主人公可哀想。でもイケメンも可哀想だったから同情できない)

そして学校を飛び出したとき、声をかけて心配してくれたのは、イケメンに別れ話をする前にカフェテリアで会話してた男の子。

そしてその男の子に気晴らしに連れてこられたのはゲイクラブ。そう、この男の子も同性愛者だったのだ、と観客がわかるっていうこの一連の流れがすごくスマートだった。

当然男の子に連れてこられたクラブは男ばかりで女はいない(つまり主人公としてはつまんない)ので、窓の外を見たら女同士でイチャイチャしながら歩いていく集団。

後をつけていって人生初のゲイバー(女の人ばっかり)に足を踏み入れるっていう、下手な冒険映画顔負けのアドベンチャー感。

おずおずと足を踏み入れてキョロキョロする主人公を二階席からレア・セドゥが見つけてカウンターでお酒を一杯奢るっていう、なんか恋愛映画としてもキュンキュンくる流れになっています。

それでも最初は「偶然入っただけ」と自分が同性愛者であることを認めようとしない主人公アデル。

それをレア・セドゥのイタズラ少年っぽい人懐っこい笑顔とスマートな会話で少しずつ心を解きほぐしていく感じがとてもいいシーンでした(たぶんこうやって色んな女の子を口説いてきたんだなあっていう。手慣れた感じ)

よくあるゲイを演じている女優さんではなくて、ゲイが素で演じているみたいなすごく自然な感じはさすが世界的女優のレア・セドゥだなあと思いました。

こうしてみると、『ボーイズ・ドント・クライ』のヒラリー・スワンクはやっぱり違和感ありありだった。

ベッドシーンはそこまでエロくなく、むしろ美しい感じに仕上がってる。

主人公アデルとレア・セドゥのベッドシーンの直前に裸婦の絵画を2人で一緒に鑑賞するシーンがあるけど、まさにあんな感じ。

たしかに裸婦が二人画面に映ってはいるけど、決してセクシュアルよりではなくて、あくまで芸術よりになってる。

それは激しく絡んでいる二人にも関わらず口元や指が濡れてないことから明らか(液体を使っちゃうと途端に品が下がっちゃう。日本のアダルトビデオではわざとローションを多量に使って淫靡な画面作りをする)

でも決して表現に手を抜いているわけではなくて、事が進むに従って頬が上気しているようにチークでメイクの工夫しているし、お尻をペンペンして赤くなっていく過程を見せる事で盛り上がっていることを表現している。

喘ぎ声も派手ではなく、むしろ控えめ。それでいてちゃんと乳房と秘部が映ってるいるという監督のこだわりが随所に散りばめられている。

こんなキレイなベッドシーンはとても貴重。

やってるフリではなくて本当にシちゃってるように(さすがに舌は出してないだろうけど、少なくとも実際に顔を突っ込んで)見えるあたりが女優さんの本気を感じる。

それでいて秘部が丸見えにならないようにうまくカメラワークに気を使っているのが好印象(チラッとしか映らない)

下品にならないように、それでいて二人の情熱を表現するという難しい画面作りに成功している。

ハリウッドみたいな派手な映画(『ブロンズ!私の銅メダル人生』では新体操しながらのベッドシーンだった)や日本みたいなぎこちない感じのベッドシーンは多いけど、こういう芸術的かつ情熱的なベッドシーンはさすがおフランスってところ。

なお、セリフにもそれは表れていて、主人公アデルは甲殻類が嫌いっていう設定。そしてレア・セドゥは牡蠣が好きっていう設定になっている。

そこで二人の会話

「でっかい鼻くそみたい」と牡蠣を表現して嫌いだと言う主人公アデルに対してレア・セドゥが「もっと他のものに似てる」と言うけど、主人公はそれがなんなのか想像がつかない。

「わからない」と答える主人公アデルのことを意味ありげに見つめるレア・セドゥ。

そして二人が結ばれた後にレア・セドゥの実家で夕食を食べる。

メニューは牡蠣。

苦手だと言っていた主人公アデルはレア・セドゥに手伝ってもらいながら牡蠣を食べると「おいしい」と言うのです。

もうね、すごくエロが上品なんです。

(貝≒女性器)

他にも様々なゲイカップルが出てくる。それも男同士や女同士だけでなく、ドラッグクイーンやおじさん同士やおばさん同士など。

印象的なのは誰一人悲壮な感じはなく、みんな自分を肯定して今を全力で楽しんでいるということ。

この人たちを見ていると日々の小さな事でウジウジ悩んでいる自分がバカらしくなってくるはず。

それでも主人公は自分の両親にはなかなかカミングアウトできない。(どうやらイタリア系の親っぽい。『あしたのパスタはアルデンテ』でも描かれていたように、同性愛者に厳しい親なのかもしれない)

とっさに彼氏がいると嘘をつくレア・セドゥ。チラッと主人公の方を見る表情がなんとも切なくていい演技。

セリフはないけど、心の中での葛藤をレア・セドゥはよく表現していたと思う(それもパスタを食べながら)

そして夕食後、主人公アデルの部屋で事に及ぶ。口を押さえながらなのが芸が細かい。

そしてポイントはレア・セドゥが主人公アデルの口の横をちょっとだけ噛む。

この仕草に先程の夕食で自分を恋人と紹介されなかった不満が表現されている(ただのエロシーンではなくてあくまでも愛情表現のシーンなのであります)

そしてなんの説明もなく月日が流れている。

主人公アデルが幼稚園の先生になっていることから、高校を卒業したんだなとわかる。

このあたりから段々と二人の恋人の間に亀裂が入っていく。

象徴的なのはレア・セドゥの家でパーティするシーン。

レア・セドゥは画家なので集まる人も画家や画廊関係者や俳優などの芸術家ばかり。

主人公アデルは恋人のために料理を作ったり(多分ラビオリだと思う)お酒を注いだりパスタを取り分けたりと、レア・セドゥのお客に気に入られようと努力する。

でも決定的なのが、会話が成立しないこと。

レア・セドゥのお友達の中には大学院で論文を執筆中の人もいて、「エゴン・シーレ知ってる?」とふいに尋ねられても「わからない」と答えてしまう。(エゴン・シーレはクリムトの弟子。ヌードを多く描いた。人間性はピカソみたいなクズ。28歳でスペイン風邪で死んでる。僕は「黄色い街」という作品が好きです)

もちろん事前にレア・セドゥから画家についての知識を与えられていたっぽいがもともと興味がないのか覚えていない。

その後のレア・セドゥが「私はクリムトの方が好き」というお友達との会話にもついていけず、結局会話が成立しないのだ。(このあとパスタを振る舞って面目を保つけど)

幼稚園の先生だし、文学は詳しい主人公アデルでも絵画関係の知識がないためにイマイチ深い人間関係を築けない。

そしてレア・セドゥはそれが不満らしい。

パーティの後片づけをした主人公アデル。(レア・セドゥは手伝わない。なんか亭主関白っぽくベッドでエゴン・シーレについて書かれた本を読んでる)

ベッドにいるレア・セドゥに甘えようと入ってくるけど、主人公アデルは冷たい対応をされてしまう。

「なにか書いたら?文章の才能あるんだから」としきりに主人公アデルになにか芸術活動をするように促すレア・セドゥ。

主人公アデルは乗り気じゃない。「個人的な雑記を人に見せる気はない」と断ると、「あなたに幸せになってほしい」とレア・セドゥ

「今のままで幸せ。これが私の幸せなの」と主人公アデルが答えると「幸せならいいんだけど」とレア・セドゥはいまいち納得していない。

このあと主人公アデルが「キスして」と言っていつものように求めるけれど「生理だから」と言ってかわすレア・セドゥ。

あんなに情熱的だったのに、こんなふうに冷めていくんだなってある意味怖くなるシーン。

その後はお決まりのパターンをたどる。

すなわち、レア・セドゥは画家の仕事が上手くいかなくなり、同じ頃主人公のアデルは職場の同僚といい雰囲気になっていく。

ちなみにこの同僚、冒頭にお付き合いしていたイケメンの先輩に似てるのが笑える。

イケメン先輩との違いといえば初デートでベッドに誘ったこと(映像には映ってないけど、翌日の主人公のアデルの気怠げな感じと、どこか余裕のある態度からして、たぶん同僚とベッドを共にしてる)

そして世界的女優のレア・セドゥが見逃すはずがなく。当然浮気はバレる。

ブチギレのレア・セドゥ。フランス語って怒っているのになんかリズム感がいいよね。語感がいい。

あえなく失恋する主人公(一回だけならまだしも2.3回同僚と寝たってんだから自業自得。たぶん回数はもっと多い気がする)

でも実はレア・セドゥ自身も元カノのリーズって女の子とヨリを戻そうとしてる節があって、このあたりのドロドロ感が好きな人はたぶんハマると思う。

そして月日は流れ、再会する二人(ここでも文字で何年後とか表示するんじゃなくて会話で経過したことがわかるのがおしゃれ。臨月の女の子の子供が3歳になったとか)

そして相変わらずレア・セドゥにぞっこんの主人公アデルは熱烈に求愛するのです(カフェバーなのにいきなり事をおっぱじめる。僕が観光客だったら目が飛び出ちゃうよ)

でも結局レア・セドゥは主人公アデルではなくて元カノ(劇中では否定してるけどたぶん元カノ)との暮らしを選ぶ。

まあお互いに芸術家なんだし、そりゃ気が合うだろうし。でも夜の営みはイマイチなことが会話からわかっちゃうのがなんとも悲しい。

でも中途半端に身体の関係を続けようとか考えるんじゃなくて別れを選択したのはある意味で男気があるレア・セドゥ(ただ別れ際に「死ぬまで想い続ける」なんて言っちゃうあたりが憎い)

そしてまたしばらく月日が経って、レア・セドゥの展覧会に招待された主人公アデル。(レア・セドゥに会いに行く時は青い服を着ていく。つまりまだ未練があることが映画鑑賞者に伝わる演出が上手い)

そして、ラストは元映画俳優の不動産屋が主人公のアデルを探すけど見当違いな方向へ走っていく。

アデルは泣きながらタバコを吸って歩いていく後ろ姿が寂しく続く(たぶんローマの休日のオマージュかと。それかチャップリンかも)

いずれにせよ、主人公としては微妙なラストになる。

いろんな男が主人公のアデルに夢中になるんだけれど、主人公アデル自身はやっぱりレズビアンなわけで。

結局レア・セドゥにモデルとして利用されて終わったわけだけど、絵の中の主人公アデルは永遠の美しさを手に入れている(妊婦姿の絵もあることから元カノであるリーズも描いていたことがわかる。他にも色んな女の子を描いていることがこの展覧会でわかる)

現実はかなり厳しいし、画家とお付き合いするってこういうことなんだなあってしみじみする。

おそらくこの後レア・セドゥは画家として有名になっていくわけで、モデルとなった主人公アデルも本来なら誇らしいんだけど、なんかスッキリしない終わり方だよね。

エゴン・シーレが劇中の会話に出てくるあたり、かなり画家っていう職業を意識して作られた映画だと思う。

素晴らしい絵画の裏ではこんなドロドロの人間愛憎劇があったんだろうなと想像できる。

絵画鑑賞する気持ちが少し変わるようなそんな映画でした。

以下蛇足

ベッドシーンが特徴的ですが、どうやら偽の性器を使って撮影しているようなので、ご心配なく。

なお、日本では18禁(ちなみに北野武の『アウトレイジ』は日本では15禁)となっておりますが、本国フランスでは12(警告)というレイティングです。

つまりフランスでは小学校6年生くらいから観られる映画なんです。

日本の性教育の遅れやLGBTQへの理解の遅れがこういったところにも現れているような気がします。

例えば欧米では薬局で低容量ピルが買えます。日本は産婦人科の診察を受けないと処方されず月に数千円かかってしまいます(フランスは内科でも処方してくれます。値段も保険適応で300円くらい)

日本では避妊の主導権を男性が握っていますが(コンドーム)フランスでは避妊の主導権を女性が握っています。

どちらが予期せぬ不幸な妊娠を防げるかは自明です。

女性の身体と権利を守るためにも、日本も欧米と同じようにしっかりとした性教育が必要だと思います。

だってヤクザが「おいコラ!」とか怒鳴って指を詰めたり人を殺したりする映画よりも、この『アデル、ブルーは熱い色』のほうが年齢制限厳しいなんて、どう考えてもおかしいです(この映画ではだれも死にません)

青少年へ与える影響ってことで考えるならヤクザ映画の方が悪影響に思います(高校生くらいだとまだヤクザに憧れる不良少年が多い)

18禁だからといってこの映画を淫らで不適切な作品だと毛嫌いするのではなく、どうか寛大な気持ちで鑑賞していただきたいです。

繰り返しになりますが、フランスでは小学校6年生から鑑賞できる映画です。

健全な性教育というものはこういうところから始まるように思います。