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一度死んでみた

手垢のついた設定、古臭い演出。でもまじめに誠実に作ることで素晴らしい映画になっている。王道中の王道コメディ映画

はねっかえり娘という役どころがハマっている広瀬すず(わかる人はわかっている現実世界のいろんなスキャンダルからしてハマり役。ちなみに出身大学が明らかに慶應を匂わせているのが最初のお笑いポイントになっている)

家の中まで赤いテープできっちり棲み分けをしているくらいの難しい年頃という設定(の割に朝食は一緒に食べるとか非現実的。しかも大学生になってまで父親と一緒に朝食を食べるなんてどう考えても反抗期の娘じゃない。年齢設定を令和の今だったら小学生くらいにしないと説得力がない。ここらへんが古臭いと感じてしまうマイナスポイント)

ファブリーズ(劇中で明確になっていないが明らか)で父親に「臭い」と言いながらスプレーする娘の広瀬すず

いわゆるおっさんが考える「年頃の娘に嫌われてるお父さん」像がそこにはある

開始から15分はとても退屈

そもそも最初のシーンが父親である堤真一が社長を務める会社の就職面接で崎陽軒のシウマイ弁当の食べ方にこだわりがあるという自己PRのシーン

この時点で鑑賞をやめようかと何度か挫けそうになった(崎陽軒のシウマイ弁当は860円もする高級弁当です。それをたかだか大学生がこだわりの食べ順ができるくらい食べてるって時点で十分お嬢様なんですよ。父親にいくら反抗してても所詮は社長令嬢のお嬢様って描写なんです。後のバンド仲間から社長令嬢ってからかわれるシーンからも明らかです)

そして間髪入れずに広瀬すずのデスメタルバンドのライブシーンになります(このデスデス言ってる耳に残るメロディが肌に合わないならこの映画の音楽は肌に合わないと思う)

いきなり父親が死んで悲しむ広瀬すずにラストの展開が簡単に予想がついてしまうのはご愛嬌

母親(木村多江)の死が反抗の原因なのも火曜サスペンス劇場並みにわかりやすい演出で教えてくれます

ちょいちょい有名俳優が端役で登場するのがサービス精神溢れてますね(広瀬すず・吉沢亮・堤真一・リリー・フランキー・小澤征悦・嶋田久作・木村多江・でんでん・柄本時生・城田優・古田新太・竹中直人・妻夫木聡・眞鍋かをり・野口聡一などざっと確認できただけでもこんなに豪華)

万人受けする脚本をこれまた万人受けする古臭い演出でまとめた優等生映画です(100点ではないけどすべての項目で80点を目指す映画。めちゃめちゃ感動するわけではないけど、めちゃめちゃ駄作でもないのである意味で興行収入が安定して見込めるのでビジネス的な映画です。これが透けて見えちゃうくらいに映画フリークな人にはオススメできない。実際に興行収入は4億6700万円と日本のコメディ映画としては頑張ってるほうです)

言葉で言わなきゃわからないとか、生きてる時に後悔しないのはなぜかとか、もう散々どこかの別の作品で観たようなテーマばかり

でも散りばめられた伏線を綺麗に回収していく展開は真面目に誠実に映画を作っていると評価できます(パスワードやジイさんの名前やロッカーの早着替えや立てる指を間違えてるポーズなどなど)

これらは昔からの映画の王道の作り方であってそこにLINEなどの現代技術を絡めているところが工夫されていました(特に最後の既読がつくシーンは現代映画ならではの屈指の感動シーンとなっています)

これ、作ってる人はかなり歳いってる人だと思う。そしていろんなCMを観てる人のはず(清掃員の人のスプレーの決めポーズは思わず懐かしい気持ちになりました)

一つ一つのシーンにちゃんとツッコミを入れていたり、5分だけ観てもクスッと笑えるような作り方が長い長いCMを観てるような(あるいはCMをいくつも繋ぎ合わせたような)鑑賞者を飽きないように苦心しているのがわかります(堤真一と死神リリー・フランキーの掛け合いとか、会議のシーンで最後に結論がひっくり返るとか短いシーンなのにそれぞれちゃんとオチをつけてる)

ただ面白いことを言ったりあり得ないことが起こってズッコケて笑わせるような冗長なコメディが多い中で工夫を感じました(個人的には三途の川のシーンでモルダウを使うのがツボりました。たぶん川つながりなんだと思う)

死にまつわる耳タコの寒いジョークはご愛嬌(死んだらぶっ殺すわよとか、死にたくなりますね、あっ死んでたとか)

広瀬すずが肝心なところで「〜わよ」と発言するのが脚本の甘さを感じました(今時の女の子は「〜わよ」なんて言わない。このセリフを聞いた時点で脚本及び監督はかなり歳いってるとわかってしまう。そもそも父親を臭いと言うような娘は父親と一緒に住まないし会話もしないで無視です。このあたりの詰めをもう少し頑張ってほしかったですね)

それでも広瀬すずとゴースト吉沢亮の二人で社内の裏切り者相手にあの手この手で立ち向かっていくのは楽しかったです(作品の上映時間が短いのが幸いしたと思います。短い時間にちょいちょい有名俳優を使うのでダラけないで鑑賞できました。有名俳優を使ってだらけさせないコメディ手法はハリウッドのお得意芸なので、この映画の製作者は海外のコメディや映画をいろいろ観てるのがわかります。とくに『ゴースト/ニューヨークの幻』の歌「Unchained Melody」を主人公のラブシーンで使うあたりは確信犯)

短い時間にサクッと笑えて泣けて毒にも薬にもならない(製薬会社が舞台)映画です

万人受け映画なので誰にでもオススメしやすい映画です

以下蛇足

先日、父親が死にました

人の死が周囲に与える影響を考えてしまいます

もしもこの映画のように「二日で生き返る」薬が開発されたとしても安易には使わないでほしいです

孔子は「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん(まだ生きることについてさえよくわかっていないのに、死についてなどわかるはずもない)」と言っています

劇中で引用されているデカルトの「我思う、ゆえに我あり(世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない)」を「なんのために生きるか目的がないなら死んでるのと同じ」と映画の堤真一が解説していますが人の存在を軽く考えています(大量生産大量消費のテレビ業界っぽい解釈だなあと思いました。30年も経済成長していない日本において、重税に苦しみ、結婚も出産も明るい老後も見通せないでいる労働者が大勢「なんのために生きているのかわからない」状態です。それをこの映画では「死んでるのと同じ」とピシャっと断言しています)

なお夏目漱石はこのデカルトを鼻で笑い飛ばしています(『吾輩は猫である』の猫が「人間は長い歴史の中でこんな当たり前のことしか思いつかない愚かな生き物だ」と言ってます)

生きるということは大勢の人に影響を与えています(『素晴らしき哉、人生!』という作品においてクラレンスという二級天使が発言しています)

人の死を笑いやコメディに変えてしまい生きる目的がないなら死んでるのと同じと軽く考えてしまうところに日本の格差社会の怖さを考えてしまいました(この映画の製作者はおそらく勝ち組のお金持ちだし、スポンサーもお金持ちだと思います。だからこの脚本やセリフにGOサインを出したんでしょう)

ロシアによる侵略戦争によってウクライナで親を亡くした子供や息子を亡くした母親の嘆きが報道されている昨今、父親の死というものをもう少し真剣に考えなければならないことをここに記さねばなりますまい

一人の人間の死がその後の残された人にとって多大な影響があるということを常に念頭に置かなかればこの映画を手放しに褒め称えることは危険だと感じました(重箱の隅を突くような批評であることは重々承知)