ヘルタースケルター画像

ヘルタースケルター

身も蓋も無い残酷な結論をこれでもかと見せつけてくる映画。それでも我々現代日本人は直視しなければならない

最初にプリクラを映す

つまり若い子が一生懸命に「盛る」という願望を映すことによって多くの女性にとって普遍的な願望であると示すとともにあくまでもそれは虚像であって実物とは乖離しているという意味がある(今の時代で言うとたぶん加工アプリ。この映画は2012年の映画)

桃井かおり扮する社長がサンドイッチを一口食べただけの主人公に「食べ過ぎじゃない?あとで吐いときなさいね」というセリフの後に、カレーを食べてるシーンを映すリンクの面白さ(人には食べるなって言っときながら桃井かおりはがっつりカレーライスを食べてるわけです)

マネージャーの寺島しのぶが裏切る直前は羽が床に散らかっていたり(自分の羽を散らかしてまで周りを楽しませるっていう例え話とリンクしている。つまりこの後のスキャンダルの予兆の演出)

映画の最初の方で映画制作プロデューサー(哀川翔)に枕営業をするシーンにも伏線がちゃんと張ってある

ベッドでプロデューサーが腰を振っているが主人公の沢尻エリカはどことなく一本調子に喘いでいる(その前の本命彼氏との濡れ場ではこれでもかってくらい官能的に映しているのでそれの対比になっている)

そしておもむろに腕の時計を見て「そろそろイッていい?」ときく

時計を見て頃合いを計ってイッたフリをしているわけで、つまり主人公は風俗嬢だったんだろうなあと想像させるシーンとなっている(ちなみにこのシーンで使われたラブホは実在します。川崎の「迎賓館」の305号室と405号室。ベッドシーンは305号室で沢尻エリカの入浴シーンは405号室の浴槽かなと推測。豆知識終わり)

自分がめちゃめちゃ整形して苦しんでいるのに生まれつきカワイイ女の子(水原希子)には勝てないとか(整形しなくて生まれつきカワイイ人もいるという残酷さ)

そしてそのカワイイ人であっても当然のように食事後は吐いて体型を維持している(それくらい細い体型のモデルにとって吐くのは当たり前のこと)

生まれつきカワイイからこそ、自分と同じようにカワイイ子は他にもいることがわかっている

だからこそ、それがマネージャー寺島しのぶ襲撃時のセリフに繋がっているんだと思う

「顔と名前が変わるだけでまた新しい人にすげ変わるだけ」

なんとも虚しい真実。でもそのとおり

若くて可愛い女の子でもいずれは歳を重ねていくし、毎年のように可愛い新人モデルはデビューしていくわけで、いつまでも自分が一番でいられるわけじゃないことを達観している

こういう自分の市場価値を理解している賢い子は若いうちに見込みのある男を見つけておいて(若いうちから婚活して)あざとく自分の市場価値が下落する前に結婚を決めるんだという映画の主張を感じる(映画では水原希子の結婚シーンはないけど)

その証拠に映画では主人公の沢尻エリカは窪塚洋介演じる金持ちのイケメンに遊ばれて結婚できない(窪塚洋介は政治家の御令嬢と結婚を決めてしまう)

ムカついた主人公は寺島しのぶを洗脳して(たらし込んで)寺島しのぶの彼氏(綾野剛)とともにアシッドアタック(顔に硫酸)をしかける

寺島しのぶはとにかく主人公の見た目が好きで、どんな理不尽な命令でも聞いてたのにそれが整形を知った途端に裏切るあたりが妙にゲスい

つまり寺島しのぶはファンの代表として扱われている気がする

自分が崇拝する女性(アイドル)を綺麗だともてはやすけど、それが作られた(整形)嘘のものだとわかった途端にファンをやめるオタクみたい(彼氏がいるってわかった途端に炎上するアイドルと同じ構造。そもそも整形もなしでそう簡単に綺麗になんてなれないし、幻想を抱きすぎ。可愛い女の子に彼氏がいるのは当然なのにそれを許せないファン心理と同じってこと)

2週間に一回メンテナンスでクリニックに通わなきゃならないとか、整形したあとのメンテナンス(維持費)にもめちゃめちゃお金がかかるとか、このへんがリアルで良かったと思います(整形というものは美しさの前借りをしているようなものなので、メンテナンスを怠ると美しさは失われてしまう)

映画では分かりやすくするために全身に広がっていくアザとしてそれを描いているのが鑑賞者に伝わりやすい工夫に感じられました

「自分の中でカチコチ音がする」というセリフも美の期限がせまっているという表現でとてもわかりやすい

主人公が蝶々の幻覚を見るようになり精神が崩壊していく雨のシーンでもショーウィンドウの中に時計を映しているくらい、美の時間制限を意識して作られています

それは見た目で仕事をしている人にとっては自分の賞味期限(美の有効期限)と同じ意味です

見た目はいずれは衰えていきますし、メンテナンスをどんなにがんばっても身体の加齢には逆らえません(20歳に見える80歳がいないように限界があるわけです)

見た目が悪くなったり旬を過ぎれば別の誰かが自分の仕事や座を奪っていくというかなりシビアな世界でもあります(見た目で評価される世界というのはそういう世界)

我々鑑賞者は映画を観ていてこの劇中に登場するその他大勢の一般市民(常に新しいものや流行りのものにとびつく)と同じ目線で観ていくとともに主人公の沢尻エリカの立場も観ていくという構造でわかりやすくこの悲劇が伝わってきます(キレイで売り出していた沢尻エリカのあとにカワイイで売り出す水原希子を観て実感するはず)

元デブのブサイクな風俗嬢が全身整形をしてトップ芸能人として光り輝くという設定が昨今の整形を肯定する考え方が広がるとともに映画の現実味を増していきます(最近では整形を告白する有名人も多いしそういう整形系インフルエンサーも多い)

見た目にこだわるあまり、自分の寿命を縮めることになってまで整形をするという一種の美に対する強迫観念

主人公の沢尻エリカがことあるごとに周囲の人の見た目を貶すところにも現れています(看護師やマネージャーにもブス的な発言をしている)

寺島進が演じる刑事の言葉「十分若くて綺麗なのに」というセリフは一般人の我々も考えつくセリフですが、この映画ではちょいちょいエキストラを映すことでそれを否定しています

沢尻エリカや水原希子に比べるとやはりエキストラは見た目では勝てないわけで(当然ですが)沢尻エリカや水原希子みたいになりたいと思っても不思議ではないわけです(実際に映画を見ていく上でエキストラを観るより沢尻エリカや水原希子を観ていたい鑑賞者のほうが多いはずだから)

見た目の世界ってのは綺麗事ではないってことです(うまいこと言った)

もしも自分がデブでブサイクな見た目で、それを全身整形で変えることができるとしたら、あなたはやりますか?と常に自問自答しながら鑑賞すると感情移入して面白く観られるはず

全身整形をしたから一生免疫抑制剤を飲み続けなきゃいけないし体型を維持するために食事も制限しなきゃならない(かなりキツい)

仕事って言っても見た目でやる仕事なんだから場合によっては事務所の社長命令での枕営業もしなければならない(映画では哀川翔でしたが、実際にはブ男の小汚いおっさんかもしれません)おまけに維持費もかかるし初期投資を回収しなければならないので稼いでも稼いでも大した儲けにはならない

そんな未来が待ってるとしても全身整形をしたいでしょうか?

痛い手術に耐え、食べるものも厳しく制限をして、薬を飲み続けて美容に時間を使い身体のお手入れをしょっちゅうして、お金を稼いでも維持費に消えちゃって手元には残らないし、好きでもない男と枕営業をしなければならない

華やかな世界の裏側をまざまざと見せつけられます

実際に全身整形をしている人やかなり際どい整形手術をしている人が情報発信をする時代になってきたので少なくとも実感としては伝わりやすいと思います(この映画が公開された2012年よりもSNSの発達した現在の方がこの映画の評価は上がる気がします)

「若いのは美しいけれど、美しさは若さではない」という検事役の大森南朋の言葉が最後に重くのしかかってきます

美しさというものの根源について考えるキッカケとしてはこの映画は成功していると思う

韓国では整形が流行っているそうだから(美容整形目的で韓国に旅行に行く人もいるくらい)、この映画も韓国映画として作られてたならまた違った見方ができたかもしれません(おもにエンターテイメントとしての完成度)

マスクを外すかどうかも政府の正式な表明がないと決められないくらい現代日本人は素顔を隠したがっています(若い人ほどマスクをつけたがるように思います)

この『ヘルタースケルター』では全身整形によって自分を変えていますが、主人公の沢尻エリカのようにあまりにも整形をしまくって原型がなくなるくらいになるともはやそれは自分というオリジナルではないように思います(いわゆる量産型の顔ばかりな昨今のアイドル事情)

つまりオリジナルを消すということは自分の存在を隠すことと同じであって(主人公の沢尻エリカは仕事で見せている表向きのキャラと実際の自分との乖離がひどい)現代日本のマスク依存症とも言うべき過度な素顔隠し(によって得られる安心感)はもはや自己の隠滅だと思えるのです

「美しさ」というものを考えるとき、万人受けの美しさを極めるとどれも似たような顔になってしまうわけで(結果として量産型のアイドル顔)それでは逆に埋没してしまって無個性となり美しさにはつながっていかないという矛盾について考えることになると思います(加工アプリで作られた顔は本人とはあまりにも違ってる)

つまりこの映画では美しさを作られたものではなくて個性だという主張なんですね(後輩モデルの生まれつき美形のキャラクターは美に執着していないのがその証拠)

つまり作られた無個性の美では意味がなくて持って生まれたもので美しさが決まるというなんとも残酷な結論をこの映画では掲示しているわけです

主人公の沢尻エリカが全身整形をして副作用に苦しんでまで目指した美しさは、生まれつき美形である後輩モデルからすると理解できないんです(インタビュー風の独白シーンで「なんであんなに執着心あるんですかね」と言ってる。他のモデルにも「もう落ち目だったでしょ」とか言われてしまう。つまり彼女たちは沢尻エリカみたいに全身整形をしてまで美しさにこだわる気持ちが理解できない。それは生まれた時からすでに持っているものだから)

後輩モデルたちが主人公の沢尻エリカの気持ちを理解できないというのは、生まれつきの金持ちが生まれつきの貧乏人の気持ちを理解できないのと同じ(だから政治家の中には「議長になっても、毎月もらう歳費は100万円しかない」などと発言する人物が出てくる。100万円は大金ですよ)

一方、美しさを作る立場であるメイク担当の新井浩文からは「彼女と仕事ができて良かった。誇りだ」というセリフが救いになっています(美しさを持って生まれた人なのか、それとも美しさを作らなければいけない人なのかどうかという構図。美しさを作る苦労を知っていれば、究極の作り物の美しさを持つ主人公である沢尻エリカのことを誇りに思うわけです)

この映画が評価されない理由があるとすればこの身も蓋もない結論ではないかと思います(美しさはもっと複雑だとかいくら言っても、結局は持って生まれた者には叶わないという残酷な結論)

「美しさは若さではない」というセリフからは歳を重ねた落ち着きのある美しさとかそういった一般的な美を想像しがちだけど、そんな手垢のついたおためごかしで鑑賞者の気持ちが救われるとは思えない(この映画に出てくるモデルは若い美人ばっかりだから)

古い美術品の美しさとか、絵画における美しさ(モナリザは現代日本人の感覚で美人?)とかいろいろ思いつく無難な逃げ道のセリフを用意しているだけで、結局は美しさ(特に女性の)に関してはこの映画では残酷なまでに「持って生まれたもので決まる」という残酷な結論なんです(主人公の妹が最後の方に登場するけど、やはり後輩モデルの水原希子たちと比べると力及ばずなのがその証拠)

主人公の沢尻エリカに言われて痩せて二重にして恋人もできたみたいだけど、この恋人がいかにもチャラそうだし、検事に渡す名刺はどう見ても風俗か水商売(たぶん風俗)

つまりあれだけ純情そうにしていて間近に実の姉の結末まで見ている妹であっても、主人公の沢尻エリカと同じ道を辿ろうとしている(上京して水商売して整形する)

いくら整形の恐怖をあおっても若さに期限があっても持って生まれた美しさには勝てないとわかっていても人はそれを欲してしまう。「美しさ」というのは麻薬に近いものということ(主人公の沢尻エリカが車の中でマネージャーの寺島しのぶにメイクをすすめて「気をつけて。麻薬みたいなものだから」というセリフからもわかる)

映画ではポエムばかり呟くよくわからない厨二病風の検事である大森南朋にはイマイチそのへんの女心がわかっていないっぽい(助手の鈴木杏が「まず若さと美しさを与えてそしてそれを奪うのはなぜ」というセリフに対して「若さは美しいが美しさは若さではない」と言い切っちゃうところからそれがわかる)

おそらくこの大森南朋が演じる検事はアンチエイジングとか美魔女とかいうものを知らないんだと思う(巷ではハイフ施術が絶大な人気)

美しいほうが一般的に若く見えるというある程度女性と接してきていれば誰でもわかるこの普遍的な事実を知らないという点において、この大森南朋が演じる検事はもしや童貞なのではないかと疑う(裏設定で中年童貞ってなってたりして)

この映画は漫画が原作だそうだけど、もしも原作者に質問できるチャンスがあるならきいてみたい。美しさは若さじゃないというこの検事のセリフについて、どう思うのか?(いわゆる上記したような一般的な回答しかしないなら、なぜ執拗なまでに若いモデルを登場させて主人公を苦しめたのでしょうか?主人公を救済する人物として「美しさは若さじゃない」を体現したキャラクターをなぜ登場させなかったのでしょうか?おそらく、結局は美しさは若さにつながり、若さも美しさにつながるということだからだと思います)

歳を重ねた美しさって主張したところで若い美人には勝てないって作者は知ってるんだと思う(婚活で男性が希望するとしたら若い女の人が人気。年齢が同じなら美しい女の人のほうが人気)

主人公を救済しなかった(つまり鑑賞者も救済されなかった)時点で、やはりこの映画の結論は「人の運命は持って生まれたもので決まる」という結論になってしまっています(御曹司役の窪塚洋介が「あの家の長男として生まれた時から決まってるんだ」というセリフからもそれがわかります)

物価上昇に苦しむ庶民が大勢いるのに生まれつきお金持ちの人はちっとも苦しんでいない二極化がすすむ現代日本にとってそれは直視しなければならない問題なんだと思います

ボディポジティブとかお金以外の新しい価値観とか耳障りのいい言葉をメディアを中心に嘘をつく世の中ですが、結局のところ、生まれつき美人には勝てないし生まれつきお金持ちには勝てないという現実(誰もが目を背けたくなるような事実だからこそ、この問題を解決して少しでも幸せな人を増やすことを真剣に考えなければいけないんです)

やっぱり不細工よりも美人な方がいいし、貧乏よりもお金持ちの方がいいはずです(そんなことはないと否定する人は財産を全部ぼくに寄付してみてください。不細工になる方法は寄付された財産を見ながら一緒に考えましょう)

生まれつきの美人やお金持ちには、不細工や貧乏人の気持ちは結局わからないんだよ、という残酷な結論を散々見せつけることによって、持たざる者としてなにができるのかを考えるキッカケを作る映画なんだと思います(例えば政治家に期待するんじゃなくて、自分で投票に行かなくちゃとか。見た目に関しては・・・う〜んマニアックな嗜好を持つ人を頑張って探すとかかなあ。ちょっと思いつかないや)

この『ヘルタースケルター』という映画の製作者も結局のところこの残酷な結論をどうしたらいいのかわからなくてあのラストシーンになったんだと思います(個人的には気に食わない。好意的に観るなら主人公がここから這い上がっていくという意志の表れなのかもしれない。でも後輩の顔を傷つけるとは思えない。なぜなら一番のクライマックスになるはずのシーンを映さないから。暗転して悲鳴とかもないし。笑顔ってことは余裕があるってことなのか、はたまた単純に狂っちゃったのか。御曹司をうまくたぶらかして整形のお金を出させてこれからもモデルを続けていくということかもしれない。その場合は結局持たざる者と持つ者の戦いは果てしなく続く、という陳腐な結末になる。いずれにしろ白黒つかないのが腑に落ちない終わり方)

格差が広がり物価は上がり、未来に絶望している人が増え、人の目を気にするあまり熱中症のリスクよりもマスクを優先して没個性の美しさを追い求める現代日本の問題点をストレートに批判した映画でした

映画としてはあちこちにクラシック音楽を流したり(かと思えば突然の浜崎あゆみ)色彩も赤と白を効率良く使ったり(おかげで目がチカチカしてくるけど)日本映画としてはかなり頑張ってるベッドシーン(肝心なところは映らないように配慮しつつエロを追及してます。男性向けAVというよりも女性向けAVっぽい雰囲気重視の作り)など、メッセージ性以外にも映画(映像)として楽しめるようにがんばっています

個人的には寺島しのぶが徹底的に脇役に回っていて好感を持ちました

チラッとだけ斎藤工が映ってるんですよねえ(興味のある方はぜひ探してみてください)

破天荒な(奔放とも言える)主人公と沢尻エリカという女優がうまくリンクしてるような気がして、そこに監督の個性というかこだわりみたいなものがハマってるように思いました(主人公の沢尻エリカはハマり役でしたし、奇抜でカラフルな画面作りも薬物が絡むこの映画の内容とリンクしてましたし、監督と女優とキャラクターがそれぞれ似通ってるんじゃないかなと邪推します。つまり3人はそれぞれ同一人物なんじゃないかってくらいうまく落とし込めてると思います)

食わず嫌いではもったいない映画なんですが、いかんせん結論が身も蓋も無い残酷なものなので、万人にはオススメできない映画なのがおしい

この映画を主人公である沢尻エリカ目線(ぼくはこっちでした)で観るか、それとも生まれつき美人な後輩モデルの水原希子の目線で観るか、はたまたマネージャーの寺島しのぶ目線で観るか(マゾな人にはこのルートが1番いろいろ体験できてオススメ)だれの目線で観るかによっていろいろ面白く観れる映画です

観終わったあとの感想を聞けば(誰の目線かで)その人が内心では自分自身をどう思っているか簡単にわかってしまう心理テストのような映画でもあります

よって誰かと鑑賞した後に感想を言う場合は気をつけないと、生まれつき持たざる者だということがすぐにバレてしまうので、見栄を張って生きてる人は要注意な映画なのでございます

以下蛇足

AV法案(被害者救済法案)が今国会で可決されようとしています

成人年齢を18歳に引き下げたことにより、18歳でAV(性交を伴う)出演が合法化されるということを受けてのものかと思います

それに便乗する形で立憲民主党の議員がAVの性交自体を禁止しようと発言していて、共産党の議員も同じようにAVの性交自体を禁止しようと発言しています(最近の野党の「自ら自滅しにいくスタイル」は理解に苦しみますね。こういう調子だと次の選挙でまた自民党が圧勝してしまいますね)

あのね

そんなことを心配するならそもそも成人年齢を引き下げなきゃいいんじゃないですか?

成人とは一般的に身体的、精神的に十分に成熟している人のことを言うんですよ

AV被害者の救済はもちろん大事ですけど、だからってAV(≒性交)を禁止してどうするの?(性交のないAVってAVって言えるんでしょうか。チャーシューのないチャーシュー麺みたいなもんですね)

アルコールが良くないからって理由でかつてアメリカでは禁酒法というのが制定されました(今では悪法と名高い。『アンタッチャブル』という作品が有名ですね)

※禁酒法は1920年制定。もぐりのバーが乱立し、禁酒法が制定されてからの方が人々の飲酒量は10%も増えています。また禁酒法施行後の1920年に比べて1927年には飲酒運転が467%も増加しました。人間は禁止されると余計に欲しがる生き物であって、結局飲料メーカーやマフィアなど一部の企業や利権団体が儲かるので禁酒法を利用しただけで、政治家も政治利用しただけ。人々の暮らしが上向きになったわけではないんです

何かを規制することで一部の人たちと政治家が儲かって、僕たち一般庶民に我慢を強いて暮らしぶりを悪くするっていうのはこのコロナ禍の日本で嫌というほど経験してきたはずです(ちなみに禁酒法施行後も医師の処方箋があれば酒を買うことができました。ビックリでしょ?なんのための、あるいは誰のための禁酒なんでしょうかね)

けっきょくもぐりで闇営業をするだけで違法になったからといってなくなるものではありません(禁酒法で儲けた有名なマフィアにあのアル・カポネがいます。禁酒法施行前までギャングの平均寿命というのは55歳だったそうなんですが、禁酒法施行後は平均寿命が38歳になっています。警官との銃撃戦が多発して下がりました。当然市民も巻き込まれて被害が出てます。いったいなんのための、あるいはだれのための禁酒なんでしょうかね二回目)

※なお、この禁酒法は次第に人々の反感を買うことになり、禁酒法改正を訴えたフランクリン・ルーズベルトが大統領選挙で勝利し第32代アメリカ合衆国大統領となり、第二次世界大戦を戦っていくことになります。ちなみに禁酒法を施行したことで本来入るはずだったアルコールの税金が政府に入らなくなり、アメリカ合衆国連邦政府の財源に悪影響を及ぼすまでになっていました。豆知識終わり

日本の政治団体にも禁酒法みたいな近視眼的な法律の制定をしようと考える人がいることが心配です(ちなみに中国ではすでにAVは違法です。所持も鑑賞も禁止されています。ところが日本の元AV女優の蒼井そらは中国で大人気。中国の有名な反日スローガンに「钓鱼岛是中国的、苍井空是世界的[尖閣は中国のもの、蒼井そらは世界のもの]」というのがあるくらい)

そもそもそんな被害者(AV出演を強要されたとかの被害者)が出ないようにしたり、健全な性教育をするほうが大事だと思います(性教育が疎かなのにAVを敵視するなんて意味がわからない。少子化の日本において、どうやって子どもを作れというのでしょうか?まさか保健の授業で体験学習するわけにもいかないでしょ)

マスクを強要され続けた子供たちや大人の中には「マスクは顔パンツ」として人前で脱ぐのが恥ずかしい(素顔を見せるのが恥ずかしい)という感情があるそうです

そして口や鼻を「汚い」と認識してしまう子どもたちも増えているんだとか

大人の勝手な都合で子どもたちの健全な成長が妨害されていることに不安を覚えます(マスクを外すのが恥ずかしいなんてこと言ってたら子作りなんてできないような気がします)

あまり潔癖すぎる教育は日本の少子化をますます進めるだけだと思います(もしかしてそれが政府の真の狙いかもしれませんけど)

二次元に夢中になったオタクは三次元の生身の女性を汚いと感じてしまって(処女じゃないとか、毛があるのが嫌だとか、大人の女性は嫌だとか=低年齢化)少子化を醸成する道まっしぐらに思いますが、今回の「いつまでもマスク」と「AV≒性交を禁止」というのは日本の少子化を強力に進めることに結びつくと思います(そもそも付き合ったら素顔を見せ合うわけで、どこかで顔を晒さなければなりません。マスクをしたままで恋愛がうまくいくのでしょうか?)

「感染対策のためにマスクをしよう」や「AVは被害者が出るくらい良くないものなのだから、ついでに卑猥なAV≒性交そのものも禁止しちゃえ」というのは短絡的な思考だと思います

熱中症の危険や子どもたちの表情を読み取る能力(言語能力)の低下を招いたり、マスクによる肌荒れや肌のたるみを受け入れてまでマスクをするのは意味がないように思います(マスクは正しく装着しなければそもそも意味がない。汗や雑菌だらけのマスクをするほうが健康にもよくないし、マスクの着用率は関係なく感染数が増減していることに対して専門家は口を閉ざしている)

耳障りのいい当たり障りのない言葉を大義名分にして無理やり市民権を得るやり方を僕は「正義感の暴力」と呼んでいます(今20秒くらいで考えた)

真実から目を逸らし、当たり障りのない無難なやり方(言い分)を続ける日本人が多い中で、真っ向から言いづらいこと(身も蓋もない結論)をぶつけるこの『ヘルタースケルター』みたいな映画がもっと製作されるべきだと思います

ちなみに若い女性がマスクを装着し続ける理由として、マスクをすると顔の下半分の造作が隠れてアイメイクで、だれでもそれなりにキレイでかわいくなれるというのも一つの要素かと思います

でもそれって結局上記の映画日記でも書いたように、個性の埋没であって本末転倒に思います(隠すことによって本来の自分を失っていく。いつまでも永遠に隠すことはできないし、無理して隠せばいつか破綻する)

美しさを画一的な(平均的な)ものにすることでの安心感を日本人は特に求めすぎている気がします(右ならえの学校教育にも問題があると思いますが、話が長くなるので今日は割愛)

18歳の(成人の)AV被害を心配するのもいいのですが、それよりもパパ活だとかの問題をもっと真剣に考えたほうが国民の健康上いいと思いますけどね(梅毒が若年層の女性に流行っています。また外国人観光客を受け入れることで感染が広がらないといいのですが。いまは円安ですから日本女性が安く買われてしまう)

こういう本質的な問題(女性の気軽な売春とそれを助長するマッチングアプリやSNSの問題)を放置して目立つ問題(AVやマスクを外すこと)に対してNOを突きつけるだけの日本政府とそれを支持する日本の有権者に危機感を覚えます(同時に危機意識の浅さも感じます)

いっそドイツみたいに国営の風俗店を作る方がみんなが助かるんじゃないでしょうかね(FKKエフカーカーといって、入場料[食事と飲み物付き]の6000円を支払い、中にいる裸の女性にさらに6000円[30分あたり]払うとゴム本番ができる場所)

AV被害者を助けることも大事ですけど、こういうドイツみたいな開き直った政策も大事なのではないかと思います(少なくとも頭ごなしにAVの性交禁止とかってやるよりはよほど健全だと思います。なお、オランダやスイスにも似たような施設があります。ちなみにスイスの売春合意年齢はなんと16歳!!)

それから日本の法律である売春防止法では売春の要件に[不特定の相手方]とありますので、対償を受けて性交をしても愛人は売春にならないみたいです(なんじゃそれ)

繰り返しになりますが、本質に目を背けて耳障りのいいものだけを取り入れても根本の解決にはならないことをこの『ヘルタースケルター』という映画で学ぶことができます

『ゴッドファーザー』のセリフに「女も酒も教会が禁止しても人々が求める」というのがあります

実情から目を背けることで本当に救済されるべき人が救済されなくなるかもしれません

こんなやり方だから経口中絶薬について厚生労働省が「配偶者の同意を必要とする」なんて頓珍漢な見解を示すんですよ(この薬が必要なときはそもそも配偶者の同意なんて得てる場合じゃない。というか得られない状況)

こんな議論をするなら、日本でも無痛分娩の産院をもっと増やすべきだと思います(麻酔科医が常駐している産院が少なすぎる。費用も高すぎる)

日本の女性の立場が未だに弱いのはこういう部分なわけで、こういうところから女性が率先して声を上げていかないと日本の男尊女卑の考え方は永久に変わることはないでしょう(女性を管理職にしたり映画の中で活躍させても意味がないです)

女性の気持ちを理解しようとすらしない人が多いってことです(特に政治家)

この映画を観て少しは女心を勉強したらいいと思います

AVに関してついでだからもう少しだけ

最近の若者はとにかく有名になりたいんだと思います

そのための手段の一つがAV出演ってだけかと(ただの風俗嬢よりも元AV女優のほうが集客できるしね)

ユーチューバーになったって、元AV女優ならみんな観るけど、例えば江戸川区で不動産屋をやりながら映画日記を書いている変人の中年男はだれもみないでしょ?

SNSで承認欲求が満たされない若い人が多い中、有名になればそれだけでたくさんお金を稼げるわけで(インフルエンサー)そのための手段がAV出演のような気がします

つまり昔と比べて気軽に女性が性を考えるようになったような気がするんです(パパ活)

なんならマスクで顔も隠れるし、素顔を晒しても整形すれば顔も変わるし、有名になればそれだけで高額な収入になるし、なにより承認欲求が満たされる

結婚して子供を産むことが昔は女性の幸せだと世間の同調圧力も含めて厳しい時代がありました

それを良しとしない女性にとってはその価値観(良妻賢母)は窮屈だったことでしょう

でも女性の社会進出が進み、結婚や出産を必ずしも強要されなくなり(お見合いやおせっかいおばさんの減少)自分の生き方は自分で見つける多様性の時代になりました

でも多様性として選択肢が増えた分、かえって女性は自分の立場を苦しくしているように思うんです

右ならえで人と同じようにしていることで安心感を得る日本人にとって、「人と違う生き方」というのはやはり選択しにくいわけです

仕事や結婚や出産などを含めた選択肢が多くなればなるほど、自分らしい生き方(人と違う個性)を出すのが難しく、自分という存在が埋まってしまう(誰かと比べないと幸せを実感できない人が多い)

そんな多様性という選択肢の乱立した世の中では自分を認めることが難しいので(別の選択肢を選んでいたらどういう未来だったかを考えてしまって自分の選択に自信がない)だからこそ承認欲求が満たされないんだと思います

多様性というのを叫べば叫ぶほど実際には窮屈になっているように思います

いくら時代が進んでも女性が若さや美を求め続けるように、人が幸せを感じるものも実は限られているんだと思います

映画鑑賞をすることで、自分にとって「なにが幸せか」を見つめ直すキッカケになればいいなと思いました