返校 言葉が消えた日 画像

返校 言葉が消えた日

現実世界(1962年)のほうがよほどホラーだよねという皮肉になっている。1962年の台湾が舞台

この皮肉を成立させるために、この作品はホラーとして撮らなければならないし、ホラーパート(夜の校舎)が陳腐でなければならない(実際には予算の関係上陳腐なんだと思うけど、それを逆手にとっている)

逆手にとってそれを効果的な演出にするというのは秀逸なホラー作品では常道

たとえば『バイオハザード』というPS1のソフトでは、どうしても部屋と部屋の往来時に次の部屋の読み込みロードを挟まなければならず、ホラーとしての緊張感が薄れてしまう問題があった

そこで制作陣はどうしたかというと、それまで三人称視点だった画面を、ドアの開け閉め(部屋の往来時)のときだけ一人称でドアを開けるムービーを挟むことにした(通常はローディング中という画面になるところをあらかじめ設定しておいたドアを開けるムービーにした)

これによって緊張感が増し(むしろプレイヤー自らがドアを開けたように錯覚する)ことでホラーの世界観に没入することになった

まさに弱点を強みに活かした好例だとぼくは思う(ちなみにリメイク版などで後の作品になるとドアを開けるロードがいらなくなりこの仕様ではなくなる)

この『返校 言葉が消えた日』も同じように造り込みの甘さを、あくまでも現実世界の独裁政権の恐ろしさを引き立たせるためのエッセンスとして扱っているのがうまいところ

そして最初の「悪夢」とサブタイトルがつけられているパートは純粋にホラーチックな映像が多く映し出される

「悪夢」というサブタイトルにあるように、主人公の少女が教室で目が覚めると暗い校舎に取り残されているというものだが、同時に密告者は誰なんだろうと想像を掻き立てるパートにもなっている

主人公である少女は同じく校舎に取り残された男の子と一緒に学校からの脱出を求めて協力していくのだが、この男の子は発禁本を読む読書会のメンバーだった

どうやら校舎を巡るうちに読書会のメンバーが何者かの密告によって憲兵に捕まった(拷問された)ことがわかってくる

さて、密告したのは一体誰なんだろうという謎を、鑑賞者も一緒に楽しめるようになっている

正直いろんなホラーを観ている人にとっては全然怖くない描写が続くので退屈しがちだが、この密告者はだれかという疑問が残ることでなんとかホラーパートを乗り切ることができる

退屈の原因の一つは既視感だと思う

例えば昼間の校舎と変わって暗い校舎はどこか古びている

これはどう考えてみても『サイレントヒル』の影響を受けているとしか思えない

校舎の外の、激流の川で脱出が不可能な点も(道が途切れている感じが)まんま『サイレントヒル』とか『サイレン』の影響に思う

追いかけてくる怪物もどこかで観たような造形で、正直ちっとも怖くない

むしろ怖いのは昼間のほうです

とくに「密告者」というサブタイトルのパートは初っ端から両親が言い争いをしている(「誰のおかげで飯が食えてるんだ!」という典型的なやつ)

主人公の母親はひたすら仏壇に向かって念仏を唱え続け、父親は酒を飲んでは怒鳴り散らして酒瓶を投げつける

これで主人公が銃を手作りして元首相を暗殺したらまた別の映画になりそうだけど、この『返校 言葉の消えた日』の主人公の女の子はビクビクしながらもどこか諦めた様子で学校に向かいます(ちなみに観世音菩薩に念仏を唱えている。日本の浅草寺[浅草観音]も同じように観音様ですね。声に出して唱えることで助けてくれるんだとか。だからこの母親は必死で声に出して唱えているわけです。観世教の理念としては心から観世音菩薩をたたえれば救われる、というものですので、この母親は家庭の状況を少しでもよくしたくてのめり込んでいるようです。父親の酒乱とどちらが先だったのかはわかりませんが・・・)

この「密告者」パートは家庭環境に問題ありの主人公の女の子が生活指導の先生とプラトニックラブするのがメインなんですが、正直ぼくは観ていて微妙でした(女生徒と教師は一定の距離を常に保つべきであって、この先生はちょっとチャラい)

ただ怪物の正体がわかったり(ライトの陰影で正体が分かるのが素晴らしい演出)密告者が誰なのかわかったり(まあ序盤からバレバレなんだけど)大事な展開があるので仕方ないですね

そしてこの密告者が実は1人ではないというのがこのパート最大のポイントでしょうか

よくある「怪異から生還した人」の物語が続くのが新しい試み

続く最後のパートの名前が「生きている人」というド直球なのもわかりやすい

ホラー映画なのに最後はなんだか恋愛映画みたいな終わり方なのも斬新でしたね

ちなみにこの映画の監督であるジョン・スーが主人公の女生徒と恋に落ちる高校教師に見た目がそっくりなのは果たして偶然なんでしょうか

いっそ恋愛映画として作れば良かったんじゃないかとも思うのですが、ホラー映画として作った理由があるはずです

この「返校 言葉の消えた日」のバックボーンを支える「自由が制限された」時代は決して台湾独自のものではなく、戦前戦中の日本の特高(特別高等警察)も同じようなものでした

戦争の悲惨さを訴える作品はたくさんあり、いまの若い人にいくら観せてもピンとこないように思います

それを若い人が興味あるであろうホラー作品(若い男の子と女の子で暗い校舎に閉じ込められるティーンエイジャー向け)にすることで、訴求効果を狙っています

戦争になれば当然軍国主義一色になるわけで、言論統制や特高や憲兵や発禁本なども当たり前になるわけで、それら「自由を取り締まる」ことが恐怖だとすることで遠回しに戦争批判をしているわけです(用務員室の男は国民党での従軍経験があることがセリフからわかる)

戦争は良くないとか、命を失うかもといった当たり前に大切なことはいろいろな作品に溢れすぎていて耳タコ状態の若い人に1番効果的なのは「自由がなくなる」ということだと、この『返校 言葉が消えた日』の制作者はわかっているようです

戦争の現実の(現場の)悲惨さを知っている人からすれば「自由がなくなる」くらいどうってことないことでしょうが、経験がない若い人にとってはまさに自分のものさしで見た悲惨さなわけで、世代的に恐怖のイメージが湧きやすいんだと思います(そもそも命の力が溢れんばかりの若い人に、死を説いてもピンとこないわけで、それよりも自由を謳歌する若い人には自由が制限されることの方がよほどイメージしやすいということですね)

1962年という半世紀以上前の出来事で当時のことが忘却され、独裁政権(一党による長期政権も同じですよ)の危うさにみんなピンときてない中、例えば台湾が中国共産党に支配されるようになれば、再度このような「自由がなくなる」台湾になるという危機感をこの映画からは感じます

北朝鮮から弾道ミサイルを何発撃たれても遺憾しか表明しない政府に飽き飽きしている日本国民もこの『返校 言葉が消えた日』を観ることで中国共産党の脅威を感じ取れるはずです(個人的には防衛費を名目に消費税を上げるよりも、いっそこの映画を首相官邸で上映する方が国民の理解を得られる気がしますけどね)

風刺映画とはこうやって作るんだというお手本のような作品です(いかにもアジア的な作り方。アメリカ的な『ドント・ルック・アップ』という映画みたいな直球勝負ではなくて変化球で深読みしないとわからないようになっている)

日本は社会主義国になりつつあり(もうなってる?)中国共産党に逆らえないのが明白ですので(中国政府はビザを発禁したのに日本政府は同様の措置を取らずに抗議のみしたことがあった)このままいくとこの『返校 言葉が消えた日』のような社会になるんじゃないかという恐怖感を抱きましたね

あるいはアメリカの実行力に不信感(ほんとにアメリカが日本を守るか疑問)のある日米同盟という名の共闘体制のもと植民地支配が進むのかなあ(すでに金利差で日本円は価値が下がりまくってますけどね)

ロシアがウクライナに軍事侵攻してもいまだに全地域を支配できていないように、中国が台湾や沖縄に軍事侵攻しても全地域を支配できるかは甚だ疑問です(陸続きのウクライナ侵攻よりも島国への上陸作戦の方が難しいはず)

ですが文化的な意味での支配(自由の制限)から逃れるためには日本国民一人一人が政府や世界情勢に敏感になる必要があるわけで(少なくとも無関心ではダメ)この『返校 言葉の消えた日』を観ることで危機感に一石投じることができ、とても効果的な映画です

誹謗中傷はよくないことですが、言論統制もよくないわけですので、ぼくが常々言っている「誰も反論できない大義名分で本当の目的を隠す」ことにならないかを心配しています

コロナでただでさえ人と人のつながりを断ち、ネットに移行させ(ネットはいつでも遮断できるしフェイクも多い)さらにはマスクで顔を隠すことで孤独感を植え付けているように思います(相手の表情がわからないのでコミュニケーション能力が下がる=討論力が落ちる=政府に無関心になる気がします。さらに物価上昇によって生活を苦しくさせて副業を奨励することで国民の自由時間を削り、ニュースや世界情勢を学ぶ余裕をなくしていますね)

物価上昇に手を打たずに国民生活を苦しくさせて、現金を配布する代わりにマイナポイント配布をエサにしてマイナンバーカードで国民情報を管理しようとしたがる日本政府(口座や健康保険と紐付けすることで個人の能力や健康状態まで筒抜けになれば、反政府的な言動をする人はどういう人かビッグデータから割り出せます。そしてそういう人材を企業は雇わなくなるでしょう。いずれ企業がマイナンバーを活用という名の下に個人情報を管理するでしょうね。以前、某就職サイトであったような就活生の内部データを流用するような感じです)

つまり、健康で上(政府)からの命令に従順な人だけが生き残れる社会を作るような気がします。要するに健康を害したり、従順でない人は貧乏になっていくでしょう(もうそうなりつつある)

そうなると現場に疑問を持つ人は必然的にいなくなるので国際競争力が落ちます(日本の国際競争力が落ちたのも丸暗記と内申点重視の学校教育に責任の一端があります。独創性や討論力やコミュニケーション能力は軽んじられてきました。これらが軽んじられると挑戦しづらい社会になります。そして挑戦者の足を引っ張る=出る杭は打たれる社会になります)

国際競争力が落ちた結果(経済が煮詰まった結果)戦争によってすべてご破産にしようとするんじゃないかと心配です(歴史上、金持ちの入れ替えは戦争によってたびたび引き起こされています)

革命にしろ戦争にしろ人と人が殺し合う悲惨なことにならないためには常に疑問を抱き続け、政府を国民が監視しなくてはなりません(政府が国民を監視するなんてあべこべです)

そのためには「自由」が大切です

この『返校 言葉が消えた日』はその「自由」が脅かされた世界を描いているのでまさにホラー映画なんです

「子曰く、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)

と古代中国の思想家(哲学者)孔子が残しています

高齢者ばかりの日本の国会議員は(菅義偉は1948年生まれ、岸田文雄は1957年生まれ) 「耳順う」や「心の欲する所に従えども、矩を踰えず」ができているのでしょうか

歴史は繰り返すものですので、注意深く勉強と監視を続けていく必要がありそうです

以下蛇足

『返校 言葉の消えた日』というタイトルは正直もったいないと思う

シンプルに『返校』だけで良かったように思う

言葉の消えた日、という言葉を付け足すことによって言葉が消えるどころか増えちゃってんじゃん、とツッコミたくなる

ただ、『返校』だけだと『学校』というタイトルや『転校』の誤字っぽくも見えるのでなにか付け足したい気持ちもわかる

だったらやはり原題どおりの『返校(Detention )』のほうがカッコよかった気がする

せっかく若者向けの啓蒙映画なのに、『返校 言葉の消えた日』なんてダサいタイトルじゃそもそも若い人が観ないから本末転倒なわけで、『返校(Detention )』のほうがウケる気がするんですがいかがでしょうか

ちなみにDetentionとは「勾留」という意味で、学校に閉じ込められることや憲兵に捕まることを含む他、社会全体で自由が制限された国といういろんな意味を含んだ良いタイトルだと思います(まあ普通に学校で教える英語じゃまず使わないので読めない人が多くて意味が伝わらないという懸念もあるけど)他にも「居残り」という意味もあるので、主人公の女の子が悪夢のパートで学校で目覚めるあたりはまさに居残りっぽいですね

そして1962年という時代設定にもかなり意味深なものを感じます

1962年は台湾が中国に大規模な攻撃を仕掛けようとしていました(台湾の大陸反抗計画)

結局アメリカの圧力に屈して中国への武力行使はなくなり現在にいたることになります(アメリカは台湾と中国の争いに巻き込まれ、米中戦争に発展するのを嫌ったためだと考えられます。つまり今後とも台湾有事の際に米国は介入しない可能性が考えられます。もちろん当時とは状況が違うので確実とは言い切れませんが・・・)

ちなみに台湾はアメリカと米台相互防衛条約を結んでいました(1954年12月調印)ので台湾単独で中国を攻撃することはできずにアメリカの許可を求めたわけです

アメリカは中国と台湾を併存させる方向で舵を切ったので、現在まで続く対立関係になっています

当時の台湾の目的としては中国大陸に攻撃を仕掛けることで台湾の橋頭堡を作り、中国共産党を分裂させ弱体化させることが狙いでした

アメリカは1958年に中国と交渉した結果、中国から台湾への攻撃はないと判断します

よって台湾から中国へ攻撃しなければ争いを避けられると判断し、攻撃の許可を出しませんでした

言ってみればこれは停戦状態ですね

面白いのは武力行使を一切禁じたわけではなく、米台共同声明(1958年)では中国で大規模な反乱が生じた際は武力行使を認めていることです(中国で反乱が起こる可能性はものすごく低いとアメリカが判断したわけです)

アメリカは台湾を支援することで中国と揉め、それによってソ連が介入するのを避けたかったのかもしれません(冷戦真っ只中ですし。あのケネディですし)

中国の台湾侵攻が囁かれる昨今、いろいろと考えさせられる作品です