ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 画像

ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌

大事なタネ明かしをすごくサラッと映すので、見逃してしまいがち。ミュージックビデオ(MV)っぽい映画ながら、歌と映像(絵)という主軸に沿っています

主人公のまるちゃんは、ある日の音楽の時間、大石先生から『めんこい仔馬』という歌を教えてもらいます

ですが大石先生は5番まである歌詞のうち、1番の歌詞しか教えてくれません

この大石先生というのがキーパーソンになっています

なぜ歌の歌詞を最後まで教えてくれないのか、という謎があるわけです

この大石先生という人物の個人的な思い出が、主人公のまるちゃんが馬の絵を描くことに繋がります

そしてこの馬の絵について悩んでいたまるちゃんが絵描きのお姉さん(しょう子)と出会い、このしょう子から、大石先生からきかされなかった2番から5番の歌詞を教えてもらいます

歌と絵、音楽と映像という主軸を大切にしながらも大切な思い出というセンチメンタルなメッセージを訴えてくる情感的な映画です

そもそも物語冒頭の学校の宿題が情感的ですよね

「歌の情景を絵にする」なんていう、ずいぶんとロマンチックな宿題を出すところに感心しました

でもこれはこの「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」という作品の主軸になる部分、歌(音楽)と映像の融合に沿っているんですね

前半はほぼほぼディズニーの『ファンタジア』みたいにしょっちゅう歌と映像が流れるのでMV集を観ているような感覚になります

ここで脱落してしまう人がおそらく多いと思います

ちびまる子ちゃんが観たい人はMVが観たいんじゃなくて、物語を観たいと思っているはずで、ミュージックビデオを観たいわけじゃないからです

おまけに30年以上も前(1992年公開)の手描きのアニメーションですので、最近の『君の名は。』とか『すずめの戸締まり』などのキレイな映像とエモい音楽との融合に慣れちゃってる人はまず間違いなく退屈するでしょう

でも、もともとアニメーションと音楽の融合は『ファンタジア』をはじめ昔から試みられてきたことなんですね

この「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」はタイトルにもあるとおり、歌がメインですので、やはりMVは仕方ないのかなと思いますけど、今の若い人の目にはキツイでしょうね

手描きなので味があるのでだんだんクセになっていくんですが、デジタルが主流の今ではその味の良さも伝わらないと思います(今の若い人の感覚だと絵が下手という印象を抱くと思う)

でも逆に言うと、いま流行しているデジタルが主流のアニメも30年後に観たらチープな映像に映る可能性もあるという警告でもあります

歌を絵にするというお題が与えられた時に、はたして最近の歌は情景が目に浮かぶでしょうか?

ぼくは情景が浮かぶ歌がとても少なくなってきているように思います

映像のキレイさと音楽のエモさだけで感情を揺さぶるテクニックに頼るのは危険だなあとこの『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』を観ていて思いました(今から30年後に未来の若い人に映像がチープだと思われてしまったら、あとは物語性で勝負するしかないのに、情景の浮かばない歌ばかりで勝負することになります)

この『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』に登場する歌はどれも個性が強めで、最近の流行の歌とはまったくといっていいほど正反対です

エモさのかけらもありません(おっさんおっさん言ったりするし)

どっちかというとクセの強い曲ばかりです

例えば「ぼくは君の首をそっと絞めたくなる」なんて歌詞が流れます(子ども向けアニメ映画なので、今だったらコンプライアンスにひっかかって使用できないでしょうね)

そんな癖の強い曲に合わせて渾身の作画が行われていて(今だったらデジタルで簡単に表現できるようなことを、すべて手作業で描いているという緻密さ)それだけで鬼気迫るものがあります(通常のアニメ映画よりセル数が多い)

作品の中心になる歌は、主人公のまるちゃんが大石先生から教わる『めんこい仔馬』という歌です

この歌、1番だけだとほのぼのとした歌ですが、2番から5番まで聴くと大切に育てた仔馬が軍馬御用となって離れ離れになるという、悲しい歌だと判明します(じつはそう単純じゃないんですけど、詳しくは後述します)

大切な馬との別れを、この『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』では大切な「人」との別れになぞらえています

そもそもなんで大石先生は音楽の先生でありながら、わざわざ1番の歌詞しか教えなかったのでしょうか?(知らないはずはありません)

ここに物語の謎が生まれて続きが気になるようになっています(なんだけどいかんせんMVがしょっちゅう入るから物語が進んでいかないんですよね・・・)

この大石先生がなぜ1番の歌詞しか教えなかったのかがわかるのは、映画を半分以上観終わってからです(だいたい55分くらい観たあとです)

当番で遅くなった主人公のまるちゃんが下校中に大石先生を見つけ、一緒に歩きます

歩きながらまるちゃんは大石先生に、『めんこい仔馬』という歌がほんとは悲しい歌なんだよね?とたずねるんです

大石先生はそれを認めつつ、チラッと画面左の方を見ます

そしてほんの2〜3秒だけ、日の丸の旗を持って汽車を見送る人の群れを映すんです(出征)

このとき、よくみると、画面右端にメガネをかけた大石先生にそっくりな女の子が出征する若い兵隊のほうを見つめていることがわかります(ほんの短い時間なので見逃しやすいカット)

つまり大石先生は若い頃に、大切に想っていた人が出征し、それを見送った経験があることがわかります(画面左をチラッと見る目の動きと、次のカットで画面右側に映っている女の子の目が、前のカットと同じように左の方を向いていることから、この女の子が大石先生の若い頃だと推測できます)

そして「あの歌、最後まで歌うと先生涙が出てきちゃうから、みんなには1番しか教えなかったの」というセリフから、おそらくこの大石先生の想い人である出征した若い兵隊は生きて帰ってこなかったと推測できます

ここまでわずか12秒しかありません(目線のチラッから出征のカットからセリフまで全部合わせて12秒しかない)

たった12秒のタネ明かしです

もうね、すごいとしか言いようがないです

この映画の登場人物の動きのメインになる部分、つまり主人公のまるちゃんが馬の絵を描くキッカケが大石先生なのに、その大石先生のタネ明かしにたったの12秒しか割いてません

92分もある映画の中で、おそらくかなり重要なシーンであるにもかかわらず、すごくサラッと描かれているので見逃してしまいがちです(MVが長く続くので、鑑賞途中で飽きてきて手元のスマホとかいじってたりしてたら見逃すでしょうから、この映画の肝心のミソの部分がわからずにチープな映画だという印象になってしまいます)

おそらくこの『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』が公開された1992年当時はまだ戦争経験者の方々が多く生きていて、おそらくは劇場で孫と観に来ているでしょうから、サラッとした描き方でも十分だったんだと思います(『めんこい仔馬』という戦時中の歌も当然知っているでしょうし)

「仔馬を可愛がっていた想いはずっと変わらないわよ、ってお姉さん言ってた」とまるちゃんが言うのに対して大石先生はまるちゃんのほうを見て

「(別れてもずーっと忘れない)そうねえ、そういうことって人が生きていく間で何回もあるねえ」とこたえます

この時、(別れてもずーっと忘れない)の部分は口が閉じたままセリフが流れます

つまりまるちゃんには聞こえてなくて、大石先生自身の想いなんです

この大石先生は大事な人との思い出をずーっと忘れないでいたことが伝わってきます

この「ずーっと忘れない」というキーワードがまるちゃんと絵描きのお姉さん(木村しょう子)との絆に繋がっていくという展開も見事です

この絵描きのお姉さんは付き合っている彼氏がいるのですが、この彼氏が北海道出身で親の跡を継いで牧場主になると言い出し、木村しょう子に一緒にきてくれと頼みます(『めんこい仔馬』の歌詞と絶妙に絡めている気がします)

しょう子のアドバイスで描き直した絵で、まるちゃんはコンクールで入賞するのですが、その帰り道、しょう子に賞状を見せようとアパートにまるちゃんがやってきて、二人の修羅場を目撃するのもいい展開ですね

一緒に北海道に来てくれと頼まれて断るしょう子をアパートの物陰からきいていたまるちゃんが、「お兄さん行っちゃうよ、お兄さんはたった一人しかいないんだよ、絵は北海道でも描けるよ」と言ってしょう子に彼氏の後を追いかけるように説得するシーンもすごく感動的です

なお、このしょう子が走って彼氏を追いかける時のBGMには歌がありません(今だったらここぞとばかりに主題歌が流れてもおかしくないんですが、さんざんクセ強い曲流しておきながら、ここでは王道の演出です、それがまたイイ)

走って彼氏を追いかけていくしょう子を見守りながら、ポツンと一人たたずむまるちゃんの表情もいいですね

主人公のまるちゃんにとっては、しょう子と過ごす時間はとても大切なものだったはずです

でもしょう子が北海道に行ってしまったら、静岡に住んでいるまるちゃんはもう会えなくなります

そこがまたグッときます

つまりしょう子と彼氏との距離が近づけば近づくほど、まるちゃんとしょう子との距離は離れていくわけで、歌詞のある歌を流すよりも、王道な演出でまるちゃんの寂しさを強調する方が効果的になっています(歌詞があるとそっちに意識が集中しちゃって距離感をつかめなくなる)

そして、もらったばかりの賞状をお姉さんのアパートのポストにそっと差し込むまるちゃんがいじらしくっていいですね

ほかにも、結婚式が行われる当日に学校を抜け出して、ジャングルジムから手を振るシーンもなかなか良かったです

呼ばれた人しか入っちゃダメと言われて、式場に入ることが叶わないまるちゃん(子ども向けアニメなのに展開が妙にリアルなのが笑えるポイントです)

ジャングルジムから叫びながらしょう子に手を振りますが、このときまるちゃんはしょう子からもらったペンダントを振りまわしていて、キラッと光を反射してそれでしょう子が気づくというのも憎い演出ですね

ジャングルジムがあるくらいなので公園ですから、子どもの「おーい」という叫び声なんてしょう子の周りの人はだれも気にしていません(ふと顔を上げるのはしょう子だけ)

ですがまるちゃんのことをずーっと忘れないでいたしょう子は、まるちゃんの声に敏感に反応しますが遠くてわからないところを、自分があげたペンダントの反射光で気づくというのはとてもいいなあと思いました

作画の関係でジャングルジムとしょう子のいる廊下が近いように見えますが、のちに全体の配置がわかるカットを入れていて、そこではジャングルジムと廊下にかなり距離があることがわかります(なので反射光がないと気がつけないことがわかります)

ここでもペンダントの反射光をほんのわずかしか描きません(瞬きしてたら見逃すレベル)

大事な部分の描き方が本当にちょっぴりしか描かないので、ここを見逃すとこの「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」の演出の良さが伝わらないのでもったいないなあと思います

すべて手書きの膨大な数のセル画ミュージックビデオと、王道演出の展開とエモいメッセージ性を込めていて、子ども向けアニメ映画にしてはかなり意欲的な作品のように思いました

以下蛇足

この『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』に登場する『めんこい仔馬』という歌について補足しておきます

この『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』という作品の中では『めんこい仔馬』のことを戦時中の歌で別れの悲しい曲だという前提で物語が進んでいきます

ですがこれだけだと、この映画がただセンチメンタルなものだけになってしまいます

『めんこい仔馬』という歌は1941年に公開された『馬』という映画の主題歌です(ちなみに配給は『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』と同じ東宝の前身である東宝映画。主題歌として作られましたが、じつは劇中では流れていません。国民歌謡として放送されてヒットしました)

『馬』という作品についてですが、監督は山本嘉次郎という人物で、慶應義塾大学在学中にたまたま俳優デビューしたことをキッカケに、映画にハマって慶應義塾大学を中退しています

その後はエノケン映画(簡単に言うとコメディ映画)を多く監督します

フィリピンに映画を撮りに行って(誰も止めなかったの?)戦火に巻き込まれて捕虜になっていますが、収容所で慰問演劇団の大顧問に就任して大盛況だったとか

おもしろい人物が監督しています

この山本嘉次郎監督がラジオで馬の競市を聴いていた時、かすかに女の人の泣き声が入っていて、そこから発案したのが『馬』という映画です

軍馬の育成を描く映画を作るべきだと主張してまんまと企画を通し、軍から映画会社に製作命令を出させます(この時点ですごい人ですよね、山本監督。自分の作りたい映画のために軍部をたらしこむんです)

そのため東條英機陸軍大臣の推薦文が冒頭についていたりして、戦意高揚のための映画に見せかけていますが、元々の発案自体が全然戦争とは関係ないため、内容は国策要素は薄くなっています

つまり『めんこい仔馬』という歌が戦意高揚のための歌だというのは、あくまでも(軍部に対する)表向きのイメージなんです

『馬』という映画は誤解を恐れずに簡単に言えば、馬と牧場の娘を主軸とした一攫千金物語です(もちろんそこに至るまでにいろいろドラマが展開するわけですが)

馬は育てるのにお金や手間がかかりますが、うまく育てて立派になれば高値で売れるため、貧しい牧場主にとっては一攫千金のギャンブルのようなものでした

『馬』のラストも苦労して育てた仔馬が高値で売れてハッピーエンドになります

そうなんです、馬との別れは悲しいわけじゃないんですよ(いやもちろん愛情もって育ててるから悲しいんですけど)それ以上にお金が入ってきて生活が豊かになって幸せになることなんです

なので『めんこい仔馬』が馬と別れる悲しい歌かと聞かれれば、半分正解で半分不正解といったところでしょうか

別れるのは悲しいけれど、大金が入ってきて幸せになるので、そこまで悲観的ではないんです

『めんこい仔馬』が主題歌として作られた『馬』という映画が軍部のお墨付きなので、『めんこい仔馬』が戦意高揚の歌かと聞かれれば、やはりこれも半分正解で半分不正解というところでしょうか

いちおう軍部のお墨付き映画の主題歌ではありますが、劇中でそもそも流れてないし、肝心の『馬』という映画そのものがあまり国策臭くない映画だし、あんまり戦意高揚の歌って感じはしません

なので『めんこい仔馬』を「戦時中の戦意高揚のために歌われた歌で、悲しい歌」だと考えてしまうのはちょっともったいない気がします

まあそんなこと言ったら『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の肝心な部分がブレちゃうので、元も子もないんですけどね

ちなみにこの『馬』という映画で助監督を務めているのはあの、黒澤明です

山本嘉次郎は売れっ子で忙しかったため、半分くらいは助監督の黒澤明が撮ったと言われています

黒澤明を周囲の反対を押し切って助監督として採用したのも、山本嘉次郎監督です

黒澤明は面接会場にボロボロの格好できて、審査員からの評判が悪かったんだそうです

ついでに言っとくと三船敏郎のことも周囲の猛反対を押し切って採用するなど、山本嘉次郎という人物はかなり先見の明があった人です

それなのに腰が低い人で、助監督には「先生」とは呼ばせずに「ヤマさん」と呼ばせたそうです(いい人だなあ)

助監督の採用基準は「酒がキレイに飲めて性病にかかったことがある人」というものだったそうですが、これはたぶん冗談だと思います

なお、この『馬』という映画で主演を務めたのが高峰秀子という女優さんで、初めて馬に乗った時に落馬しそうになり、助監督だった黒澤明が抱き留めて二人は恋に落ちます

その後は結局二人の仲は引き裂かれてしまい、『明日を創る人々』という作品以外では黒澤明監督作品で高峰秀子は出演していません(詳しいことは知りません。大女優と才能ある助監督なので仕事への影響を懸念して、周囲が引き離したんじゃないかなと推測します)

ちなみに、ぼくは高峰秀子という女優さんが出演している『カルメン故郷に帰る』という作品を以前映画日記で書いたことがあります

「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」のテーマでもある「ずーっと忘れない」というキーワード部分に1番共感するのは『めんこい仔馬』という歌でもなんでもなく、じつはこの「高峰秀子と黒澤明の実らなかった恋愛関係」なんじゃないかなあ、と思う今日この頃です