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素晴らしきかな、人生(2016)

感動する映画。涙が出るので泣きたいときに最適。悲しい気持ちがスッキリする映画

「あなたは子どもを亡くしたのよ、元に戻すなんてできない」

経験者だからこその言葉にずしっと響く

ドミノは象徴的なんだと思います

ものすごく時間をかけて慎重にやってきたことが、倒れるときはあっという間

つまり手塩にかけた子どもを亡くす行為に似ています

ドミノをずっと繰り返すのは、子どもを失った事実を自分に突きつけている(事実を受け入れたくない自分に対して、冷静な自分がわからせようと繰り返している)ということ

登場人物の一人、サイモンは息子が産まれる2週間前に持病が悪化して体調が悪いのに毎日健康なフリをしている

具体的な理由をできるだけ避けているのは鑑賞者に感情移入しやすいようにしてもらいたいからだという工夫を感じます

その証拠に互助会グループの女の人が娘の病名を言って亡くなったことを言うシーンがあるけれど、知らない人からするとやはり壁を感じてしまう(主人公のハワードも娘の名前を教えないで去ろうとする。そしてこれがクライマックスの伏線になっている)

一応、しつこくきかれた末にサイモンが病名をちゃんと告げることで、鑑賞者のストレスを溜めないように配慮もされています

面白いのはそれぞれの役者と打ち合わせする三人の幹部がちょうど自分の問題と対になっているところ

サイモンは[死]の担当になってハワードが[死]について書いた手紙からどうやってアプローチしていくかを相談する

このサイモンは体調が悪く、死が近づいていることがわかる

そして[時間]を担当するクレアもまた、出産のタイムリミットが近づいていることが会話からわかる

子どもを失った親のエピソードがちょいちょい登場してきて毎回泣けます

とくにナオミ・ハリス演じるマデリン(互助会グループのリーダー)の話は一種の希望を持たせるものになっています

子どもを失った悲しみは無くならないし、一生つらいままだけれど、すべてのものと繋がっているという感覚(幸せのおまけ)があるというもの

ウィル・スミス演じるハワードも最初はそれを否定する「幸せのおまけなんてあるもんか」と

この幸せのおまけをウィル・スミス演じる主人公は信じていません

それどころかすべてのものから遠ざかっている(インターネットも電話もない部屋に引きこもってる)

自分からシャットアウトした世界で、返事がくると思っていなかった三つの概念から返事がきたことで心が動くというのがうまい流れだと思います

[愛][時間][死]という三つの概念で人は心が動かされると冒頭で主人公が自分自身で言っている

決して返事がくるとは思っていなかった3つの概念から返事がくることで希望を見出すことになる(子どもが生き返ることがありえないように、概念から返事が来ることもありえないこと、ところがありえないことが起こったことで主人公の気持ちに変化が起きていく)

絶望から救ってほしいという自分の心の訴え(もとの精神状態に戻りたい、というセリフがある)に呼応して登場したと思い込むことで達成されています(返事がくると思っていなかったのに人間の姿で現れるから)

なにをしても癒されず、宗教や科学や詩を読み漁っても悲しみを消化することのできない主人公が自分の中にある信念([愛][時間][死]で人は動く)に語りかけられ言い返すことは自問自答していることと同じ

自分の中で答えはすでに出ているんですね(つまり悲しみを癒すことはできないとわかっている。でもそれを受け入れられない。受け入れるということは娘が死んだ事実を認めることになるから)

娘の死を受け入れて認めているナオミ・ハリス演じるマデリンとはそこが対照的になっています

事実を受け入れなければ先に進むことはできないわけで、この映画は悲しみを癒す映画ではなく、悲しみを受け入れて一歩踏み出すまでを描いているのが特徴的です(悲しみを癒す系にしなかったことでスッキリしませんので、そこが評価の分かれるところかと思います)

最後に立て続けに[時間][死][愛]が現れて自分の感情をぶつけます

そこでようやく自分の中の悲しみを受け入れることができる(溜め込んでいる思いを吐き出すから)

なお、この映画に登場する「幸せのおまけ」というキーワード

これを解くヒントは最後の会議のシーンで主人公のハワードがエドワード・ノートン演じるホイットに言う言葉

「娘はお前が持っている中でいちばんの宝物だ。だが明日があると思うな」

失うものがあるからこそ、存在するものに感謝するということ

亡くしたことでそばにいる人の大切さに気づくということ

主人公のハワードは子どもを亡くしたあと奥さんと別れています

その奥さんの家にクリスマスイヴに訪ねていくところがクライマックスのシーン

「もう一度他人になれたら」という手紙がヒントになっています

もう一度他人になって、最初からやり直したいという気持ちがヒシヒシと伝わってきます

さらに言うなら他人になってももう一度愛し合えるなら、無からの再生を信じることができるからでしょう

子どもは失ったけれども愛する存在がいるので、一緒に乗り越えていくということです

生きていることそのものに感謝するようになる(いつまでも当たり前に存在すると思ってはいけない)ということに気づくのが「幸せのおまけ」なんだと思います

この言葉を言った人物が最後の最後でわかるのが憎い演出です

とてもいい映画なんですが、一つだけ不満があります

タイトルの『素晴らしきかな、人生』というのは、言わずとしれた名作『素晴らしき哉、人生!』(1946)にあまりにも似ていて良くないと思います

たしかに内容としては(ストーリーは全然違うけど)流れが似ているようには思います

でも、もうちょっといいタイトルはなかったのかなあと残念に思いますね

名作『素晴らしき哉、人生!』(1946)のリメイクだと勘違いしちゃう人も出てきそうな感じ

そもそも原題の『Collateral Beauty』とはだいぶ違います

美しいものが広がっていくという意味なので(ドミノ倒しはタイトルの意味を補完している)こっちのほうがより映画の内容に沿っています

素晴らしい映画なのですが、悲しいかなこの映画をいいと思える人って親族を失って人生について考えた経験がある人や、病気などで自分の命とかについて考えたことがある人じゃないと響かないと思うんですよねえ

少子化が深刻な現代日本で、「子どもを失った親の再生ストーリー」なんて流行らないと思います

実際にこの映画は予想を下回る興行収入となり、週末興行収入ランキング初登場4位というウィル・スミス主演映画の中では最低記録の作品です

つまり数字で見た場合に完全に失敗しているわけですが、映画としてはとても素晴らしいものとなっています

出てくる俳優・女優も豪華ですし、色彩も色鮮やかでオシャレだし、なにより役者が登場人物となる珍しい映画です

三人の舞台役者がそれぞれ[愛][時間][死]を演じるといういわば劇中劇になっていて面白いですね

ラストシーンについてはウィル・スミス演じる主人公はまだ立ち直っていく最中なので[愛][時間][死]が見えているけれど、奥さんのほうは立ち直って受け入れているので[愛][時間][死]をわざわざ意識する必要なないってことなのかなあと思いました

まあ、メタ的な発言をするならば、最後奥さんにまで見せちゃうと、[死]と面識があるってことになっちゃって脚本がややこしくなるので、いっそスパッと見えないようにしたのかなあって気もします

この映画のようにほっこりする作品は貴重なので、どんよりした空気感の現代日本人こそ観るべき映画だなあと強く思います

生きる気力がわかないときにこそ、感謝の気持ちを忘れないようにと、気づかせてくれる映画です

この映画で感動する人が増えればもう少し住みやすい国になる気がしました