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ガンジー

希望を持たせる内容だがとっても切なくなる映画。歴史の表舞台に出て来ないたくさんの英雄の物語

イギリス人は持たなくていいという身分証を無理やり持たされるインド人

この差別に抵抗するためにまずはガンジーがこの身分証明証を焼き捨てる

これが第一のメインどころ

ベトナム戦争に徴兵に反対するためにアメリカの若者が招集状を焼き捨てるシーンを彷彿とさせる

ガンジーは警官に殴られながらも支援者たちの身分証を焼き捨てていく。ここが感動のシーン

支援者自らが焼くのではなくてあらかじめ箱(タンスの引き出し)に集めておいてそれをガンジーが焼くというのがドラマチック

なぜなら警官に暴力を振るわれるのは直接焼き捨てているガンジーだから

この身分証を焼くところからガンジーの抵抗が始まる

新聞に投書して呼びかけたガンジーは1000人くらいは集まると予想するも結果は少数しか集まらない

それでも女性が集ったことに驚く富豪

奥さんが呼びかけて必死でなんとかかき集めたことがわかる

奥さんのガンジーへの愛が伝わるシーンとなっている

この映画を観ていて切なくなるのはガンジーの非暴力に対する暴力的な弾圧ではなく、ガンジーの周辺の人々の団結力

差別に奮起するガンジーを最初に支援するのは南アフリカで最も成功したインド人である富豪

そもそもこの富豪の弁護士として南アフリカにやってきた時に一等列車から追い出されたのがガンジーが差別に抵抗するキッカケとして描かれている

一等列車の切符を持っていても有色人種は一等車両に乗れないし、南アフリカで最も成功した富豪であっても白人と同じ道を歩いていたらドブに突き落とされるくらいひどい差別なのです

この富豪がガンジーを勇気づけます

「ちょっとくらいの面倒ごとは覚悟の上だ。いや、むしろ面倒ごとが起こった時こそ団結しようじゃないか」

個人的にはこのシーンがとっても印象に残りました

演じているのは「アムリーシュ・プリー」ガンジーに出演した2年後に『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』でインディ・ジョーンズの心臓を抉り取ろうとする悪役モラ・ラムを演じた人です

『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』では怖い悪役でしたが、『ガンジー』では最初にガンジーに手を差し伸べる優しくて勇気のある富豪を演じていてとても面白いです

ガンジーが身分証を焼くときのスピーチも、あまりにも演説が下手くそなガンジーに代わって途中からスピーチをします

さらに警官に身分証を焼いた者を逮捕すると言われてもくじけずに自分の身分証を焼き捨てます(そのせいで逮捕されます。ちなみにガンジーとは後に刑務所で再会します)

こんな勇気があって気骨のある富豪が日本にいるでしょうか?

ぼくはこの映画を観ていてとても切なくなりました

差別の象徴である身分証を焼くという行為すらうらやましいと感じてしまいます

マイナンバーカードを持たせたい政府の策略によってマイナポイントというエサでつられる日本国民に果たして同じようなことができるんでしょうか?

ゴリ押しでこのままマイナンバーカードを持つことが常識とされ、政府に健康状態や財産の状態や宗教思想まで管理される管理社会にいずれはなるでしょう

そうなったときにこのマイナンバーカードを焼き捨てようというガンジーのような人物が出てきて、それを支援する富豪(しかも投獄される)が登場するとは思えません

この『ガンジー』という映画は最初にガンジーが暗殺されてしまい、葬儀の様子が映されます

その際にレポーターの言うセリフがまた印象的です「後の世の人々はしんいいないでしょう。このような人物が生身の体を持ち、実際にこの世に存在したことを(アインシュタインの言葉)」

現代日本に生きる我々日本人にとって、このガンジーのような人物はまさに信じられない存在となっています

ガンジーの奥さんも危ない目に遭う夫を心配しつつもずっと応援し続けます(奥さんも逮捕されます)

この映画の素晴らしいところは後の世の人々に残そうという気概を感じるところです

逮捕されるという表現が出てきますが、現代日本に生きる我々日本人の感覚とは違います

ガンジーが逮捕されても頑張りましょうと集会で一人の男が大声を上げます

「刑務所に行くということがどういうことかわかるか?拷問されるんだぞ」

そうです、ただ逮捕されて前科者になって懲役するわけではなく、さんざん殴られたり拷問を受けるということです

それでもガンジーは無抵抗を主張します

「殴られて骨が砕かれ、私の死体を彼らは手に入れるでしょう。でも服従は手にできないのです」

その言葉に感動してみんなが立ち上がって賛同するシーンもすごく感動的です

ハリウッド映画であれば拍手喝采のシーンですが、みんな無言なんですよね

ほんとに決意を固めた感じがしてすごくいいです

そして最初に立ち上がるのが年老いたお爺さんなのがまた哀愁が漂っていていいです(日本にこれだけの気概を持ったお年寄りがまだいるでしょうか?戦後から骨抜きにされてきて、少ない年金の日本人にはもはや立ち上がる気力さえ残っていません)

格差社会の日本ですがインドも同じで貧富の差が激しいことが中盤にかけてガンジーがインドに渡ったところからわかります

南アフリカでの反抗の象徴として英雄扱いをインドで受けるガンジー

早速富豪に新聞を発行しろと言われます(ガンジーはお金を稼ぐために弁護士の仕事をすると最初は断りますが、お金の心配はいらない、支援するには富豪の特権だとしてインドの独立のために新聞を書くようにすすめられます)

その際に富豪から「インドは貧富に差が激しい」と言われ、「書くことがない」というガンジーに「ここでは見つからない、探しに行け。新聞を待ってる」と言われてインド国内をめぐるたびに出るわけです

日本も経済成長しない30年のせいで貧富の差が激しいわけですが、国のことを思ってガンジーのような人物を支援する富豪がどれだけいるでしょうか?

ここでもぼくは観ていてとても切なくなりました

葬儀のシーンでレポーターが言う「科学的業績を残したわけでも軍隊を持っているわけでもない彼がインド独立の英雄になった」と紹介されますが、ガンジーの活躍の影には何人もの富豪の援助があったんですね

名前は表には出ませんがガンジーに協力して(自分の立場や財産がなくなることもいとわずに)援助した富豪がいたからこそガンジーが活躍できたわけです

それをこの映画では丁寧に描いているのが特徴的です

決してガンジーの演説にほだされてファンになったわけではないんですね(そもそも最初はスピーチが下手くそ)

そこに後の世に残そうというこの映画制作者の気概を感じました

つまり、富豪が保身に走るのではなく団結することが大事だと

果たして日本の富豪にそれができるでしょうか?

氷河期世代を見捨てた政府は自己責任論で片付けてしまい、お金が稼げないのは自分のせいだと思い込まされて金持ちにこき使われる日本の労働者の姿が、この『ガンジー』の映画に出てくる労働者に姿にダブって見えます

『ガンジー』では富豪の存在によって戦う希望がじょじょに見えてくるのが面白いのですが、あまりにも日本社会の惨状(まるでアメリカと中国の植民地である日本)とイギリスの植民地時代のインドがダブって見えます

映画としては当初スーツをビシッと着込んでいてヘアスタイルもバッチリなガンジーの姿が少しずつ歴史の教科書で登場したようなガンジーの姿になっていくのが面白いところです

例えばガンジーがついに逮捕されて刑務所に収監されて最初に援助してくれた富豪と再会した後、釈放されてインドに行きます(なお、このときも富豪は恨み言一つ言いません。団結は岩よりも固いと言ってガンジーを励まします。ガンジーよりも長く収監されているはずなのにめげてないんです)

ガンジーがインドに降り立った時は、スーツではなくてローブ姿になっています

服装がいわゆるガンジーっぽい感じになっています

ガンジーいわく「刑務所にいる仲間と同じ服装がしたい」という理由で粗末な服装にしていることがわかります

さらにインドの富豪の援助でインド国内を見て回ったあと、独立運動の集会でスピーチを頼まれた時、あの丸いメガネをかけます

少しずつ私たちがよく知っている馴染みのある姿になっていくのが面白いところです(なお、最初の暗殺場面ではあまりにもガンジーにそっくりなのでビックリしました。いまだったらCGで再現するんでしょうけど、この映画は1982年の映画です)

面白いのはこのメガネをかけたスピーチのシーン、民衆がどんどん帰っていくんですよね

独立運動の中心メンバーとはいえ、あくまでもお神輿(ゲスト)としてしかガンジーを扱ってないんです

なので独立運動を推し進めているジンナーの言葉はみんな拍手喝采で盛り上がるのですが、その後のガンジーの登場では民衆がどんどん去っていく(興味ない)

ちなみにネルー(初代インド首相)も登場しています

演じているのはロシャン・セスという俳優でやっぱり『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』にも登場しています

ここでもいわゆる官僚的な役回りで観ていて面白いですねえ

ガンジーも自らがゲスト扱いなのはわかっていて「きみの新聞は素晴らしい」と声をかけられ「うれしいお言葉です。本当に読んでいてくださればの話ですが」と返します

「ここでの話し合いなど、インドの大部分の人々にとっては無意味なのだと。我々の演説は内輪の仲間とたまに取り上げてくれるイギリスの雑誌社にしか向けられていない」とスピーチするガンジー

まさにそっくり現代日本にも当てはまってドキッとしますね(たとえば国会中継なんてほとんどの人が観てもいませんし、政治家は内輪に向けたアピールばかりで大部分の民衆は置いてきぼり)

「肝心の民衆はまるで蚊帳の外」というガンジーの言葉がグザグサ刺さります

「彼らの思想や信条はパンと塩に閉じ込められている。字が読めなくとも彼らは愚かではなく、自由に名の下イギリスにとって代わりたいだけの一部のエリートに付き従う理由など何もないことを知っています」

まさに簡潔にして素晴らしいスピーチが続きます

日々の暮らしでいっぱいいっぱいのせいで思想や信条を閉じ込め(政治に無関心にさせている)

一部のエリートに付き従う(一部のエリート層が大部分の民衆を意のままに操るということですね。例えば財務省のエリートが頭に思い浮かびました。彼らは民衆が苦しい生活をしているのに増税するべきだと正気で思っているのでしょうか?)

物価の違いから外国人旅行者に安い安いと日本を観光されて悔しくないんでしょうかね?(安いってバカにされてる気がします)

つまりすでに日本は植民地化している気がしますね(30年かけて子どもを減らして生活を苦しくさせて、民衆を政治に無頓着にさせて植民地化を推し進めてきたように思います。たまに不満が出そうになると周辺国の脅威を持ち出して防衛費だとか社会保障費という大義名分で増税してきました。風が吹けば桶屋が儲かるような感じで、ミサイルが飛ぶと税金上がるですね)

スピーチは「インドは70万もの村々で成り立っているのです。デリーやボンベイに住む数百人の弁護士のものではない。額に汗し炎天下で働く何千万者人々と同じ土壌に共に立ってこそ、そのときこそ初めて我々はイギリスに立ち向かえるのです。全インド人の心を一つにして」

と続きます

まさに名スピーチですね

民衆と同じ土壌に共に立って初めて立ち向かえるという部分は日本の政治家にきかせたいところです(彼らは国民から選ばれたという特権意識がある。まずは先生と呼ぶのをやめてはどうでしょうかね)

災害級の酷暑で国民が死んでいるのを尻目にフランスへ研修という名の遠足に行って嬉しそうに写真を公開するあたりからも、それはうかがえます

国民と同じ土壌に共に立っていないものが国民の代表として真に国のためになることをするとは思えません

ガンジーの後ろに控えているメンバーが立派なスーツなのもこのシーンを際立たせています

ガンジーのスピーチに、最初は帰りかけていた人々がチラホラと座り始めききいる姿は感動ものです

さらにこのスピーチに感動した数人の男がガンジーの暮らしている質素な村にやってきてガンジーから話をきくシーンも素晴らしいです

「なにを理解し、どう暮らすのがインド人らしいのか、それを決めているのはイギリスだ。激しい貧困の上にあぐらをかきながら、統治者たちは我々に何が正義で何が悪かを説く。そうやってこの国全体が操られてきたんだ。経済的に恵まれた若者たちがインド人の誇りを唱えながらも西洋の流儀にどっぷり浸かってしまうのも無理はない」

まさにアメリカと中国に板挟みになっている現代日本人にそのまんま当てはまります

日本人の誇りという部分は経済成長しない30年間ですっかり失われてしまいました

かつての技術大国日本の面影はなくなり、中国からの訪日客に歓喜し、韓国ドラマやアイドルに熱狂し、欧米のシステムを取り入れようと躍起になっています

もはや経済・メディア・政治の分野において日本人の誇りというものは存在しません

それぞれの国によって何が正義で何が悪かを決められてしまい、現代日本人は自ら考えることを放棄しています

一部のインフルエンサーが言ったことを盲目的に信じたり、だれに投票しても無駄だと思わされてしまい、無投票や白票という行動に誘導されています

ここでもガンジーがインド人らしい格好をしているのに対して、訪問客の方は立派なスーツ姿で対比させています

やはりこの映画を観ていて切なくなるのはガンジーの登場するインドは自治権がないんです

だからこそこういう言葉に重みがあるわけです

現代日本は自治権があるにも関わらず、イギリス統治下のインドと同じ状況に感じますね

ガンジーは戦わない人というイメージがありますが、ハッキリとセリフでも言っています

「この世の不正義となら、私はいつでも戦う。でもそれは変革のためで、罰するためではない。もし本当に何かを変えたいと思うならもっといい方法があるはずだ。列車を脱線させたり刃物で刺すよりね」

つまりテロを否定しています

精神の部分での戦いに切り替わっていきます

インドの小作人をいじめるイギリス人の地主に対してガンジーは現地の視察に出かけると、逮捕されてしまいます

貧しい小作人をいじめる地主の構図ですが、まるで江戸時代みたいです(バカにはできませんよ、江戸時代の年貢率は五公五民。現代日本の国民負担率は46.8%でほぼ江戸時代と同じ負担率です。さらに世界の税収ランキングで日本は2位です。1位はアメリカ。高福祉として知られる北欧のスウェーデンは12位です)

税収は多いのですが、借金は世界一というヘンテコ。(政府の借金であって国民の借金ではありません。もしも政府が黒字になるということは国民の暮らしが厳しくなるということです。景気が良くないのに借金を減らしたいからと増税ばかりして税収を増やすのに、借金は減らない=なにに使ってるんでしょうねえ)

ここでもガンジーのために周囲に人々が動きます

仲の良い牧師が電報を打って記者達を集め、さらに民衆が裁判所に押しかけてガンジーを助けます

世論が味方となり、ガンジーたちの要求は通ります

現代では情報統制や軍隊の早期集結が可能なため、なかなかこうはいかないでしょうね

さらにこの後、悪質な法改正に抵抗するため、施行日を「断食と祈りの日」にしようとします(事実上のストライキで、3億人以上が参加する予定)

受け身の抵抗ではなく、積極的かつ挑発的な抵抗というわけです

そしてまた逮捕されるガンジーですが、相次ぐ小競り合いを収めるため、「非暴力を訴えるなら釈放する」という条件で助かります

非暴力というキーワードがまわりまわって自分の身を助けることになるのが面白いところです(現代だったら自殺に見せかけて殺すか不審死を遂げるような気がしますが、そもそもこのインドの解放を目指すグループ自体が一枚岩ではないので、ガンジーという神輿をうまく利用しようとイギリス政府も考えたのかもしれません)

無抵抗の民衆が虐殺される事件の後、いよいよイギリス側の統治者とのトップ会談になりますが、ここでも「イギリスの軍隊の駐留がなければ国が維持できないのではないか?」ときかれるガンジーは非暴力の非協力運動を行い、イギリスに出て行ってもらい、自分たちの国の問題は自分たちで解決するという姿勢を見せます

ガンジーはこの後、上半身裸で過ごすたりしてどんどん質素になります。イギリス製の布をみんなが買うせいで、インドの手仕事(機織り)が廃れてしまったことに対する反抗だということがスピーチからわかります(この辺のことは教科書では伝わりにくい部分なので映画という映像作品ならではの伝え方だと思いますね)

ガンジーの呼びかけに応じてイギリス製の布で作られた服を燃やすシーンは象徴的です

集まった人々が自分の着ているものを脱いで火に投げていくシーンなんですが、ここまでくると現代日本人ではとても真似できないよなあと思います

たとえば中国製品の方が安いから国産品が売れずに経済依存が脱却できないから、国産品以外は燃やそうと呼びかけてもだれも賛同しないしできないでしょうね(虐殺事件が起こるくらいの衝撃に対して憤りを感じる民衆だからこその行動だと思います。安保闘争以来、デモや集会に興味をなくした現代日本人には響かないと思うんです)

小競り合いの末の殺人が起こり、ガンジーが断食で非暴力運動をやめさせようとするところがすごいですね(普通ならこの勢いに乗って革命を目指すところが、わざわざチャンスの芽を自ら摘んでそのために断食するって、なかなかできない決断だと思います)

革命を止めたにも関わらず、ガンジーは扇動罪で逮捕されます(この時ガンジーは抗議活動したらまた断食するぞと言っておとなしく逮捕されます「インドが独立するにはまだ未熟だ」とも言っています)

そしてガンジーは判事に「イギリスは悪です。法体制が本当に正しいと真実お考えなら最高刑にしてください」と言い放ちます

(余談ですが死刑になりたくて無差別殺傷をするくらいなら、ガンジーみたいに生きて死刑を求めて欲しいなあと思いますねえ)

なお、このときガンジーは禁固6年の刑を言い渡されます(2〜3年刑務所に入れておけば民衆はガンジーのこよえお忘れてすべて丸くおさまると思ったんでしょう)

ガンジーは出所後もインド各地を回ってまたもや非暴力運動を訴えます

そして虐殺のあった日に海に着くように逆算をして、海で塩を作ろうと呼びかけます

人々がガンジーのことを忘れていないのが感動ポイントですね

そしてここでも報道陣を集めてくれる記者(演じるのはマーティン・シーン)のおかげでこの運動が成功します

ガンジーを助けてくれる義侠心のある人がいたからこそ、ガンジーの運動が成功したとわかるシーンになっています

抵抗運動の要は相手が反応するまで挑発して主導権を握り、法律を変えさせることだとガンジーは考えていることが記者とのやりとりでわかります(この映画を観るとガンジーがけっこうイケイケな活動家だというイメージに変わると思います。ひたすら無抵抗な弱気な人物ではなく、かなり戦略家で人たらしでイケイケな人物)

当初相手にしなければ抗議活動の意味がなくなると考えて、相手にしなかったインドの総督でしたが、報道陣にニュース映画にされたことで世界中の笑い者になってしまい、躍起になって塩作りをやめさせようとします

各地で運動の幹部が逮捕され(ネルーの妻子はもちろん、母親も逮捕されます)かなりの弾圧を受けるも塩を作る人々は後を絶ちません(9万人の逮捕者が出てもまだ続けるという人々の執念がすごい)

この後、ガンジーは逮捕されたりイギリスに招待されたり我々のよく知っているガンジー像になっていきます

ライフの記者に語る「貧困は最悪の暴力」という言葉が重くのしかかります

このときガンジーは離反したジンナーのことを気にかけているのがわかります(ジンナーが戦争協力により発言権を得たこと)

一枚岩ではない宗教対立による統一の難しさをガンジーもヒシヒシと感じているわけです

なお、この時代のガンジーの見た目はさらに老け込んでいてヒョロヒョロの体に歯抜けに白髪頭という見た目の作り込みがすごいですね

「もし、相手がヒトラーでも非暴力で対抗しますか?」という記者からの質問に「苦難を覚悟せねばならんだろう。でもそれなら戦争はどうだ?楽かな?」という切り返しは実に言い得ていて妙ですね

この後の奥さんとの最後の別れのシーンは映画としてとてもよくできていてすばらしいです

静かなカメラワークと落ち着いた画角、そしてガンジーの表情と握られた手、神が見下ろすような画面からポツンと置かれたベッドとガンジー顔の角度

すべてがもののあわれというか、情感たっぷりです(とくに夫婦の最後の会話があるわけでもないし、奥さんの顔のアップがあるわけでもない、どちらかというと退屈な演出なんですが、それがいかにもガンジーらしさが出ていて素晴らしいと思いました)

ガンジーのような自己犠牲の精神に溢れた人とそれを支援する自己犠牲の精神に溢れた大富豪が現れることを夢見ながら、インドカレーを食べたいなと思う今日この頃です