エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス 画像

エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス

とても贅沢なつくりの豪華な映画。昨今の鑑賞者に対する制作者の痛烈なカウンターパンチ。笑って泣いて楽しめる娯楽映画

なんでもどこでもいっぺんに、というタイトルがまさに言い得て妙な映画です

贅沢なつくりの映画ですが、それは豪華なセットや豪華なスターが続々登場するという意味ではありません

この映画は通常の映画3本〜5本分をギュッと1作品にまとめた作品です

色んなジャンルの映画の面白いエッセンスをギュギュッと圧縮してあちこちに散りばめていて、それがとっても贅沢です

ただし、スマホをいじりながらのながら見や二倍速視聴などをしていると肝心な部分を見落としてしまうため、この映画を楽しめません

わけのわからない下品な映画という印象になって途中で鑑賞を止めることになると思います

映画が始まってすぐに(配給会社のA24のタイトルが映ったすぐあと)いろいろな色使いで製作会社の「GOZIE AGBO PRESENTS 」という文字がすさまじいスピードで切り替わっていきます

ここを見逃すとこの映画が難解なものになってしまいます

同じ文字でもデザインや色使いや背景が変わることでガラッと雰囲気が変わりますが、登場しているのは同じ文字「GOZIE AGBO PRESENTS 」です

ここにこの「エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス」という映画の特徴がよく現れています

主人公のミシェル・ヨーが登場しますが、並行宇宙ではある時は歌手だったりある時はカンフーの達人だったりと同じ人物でもガラッと雰囲気が変わります

同じことを映画の冒頭の製作会社のロゴの切り替えですでに表現しているのです

この映画はストーリーや世界観が飛びまくってわけわかんないという印象を持つ人はおそらくこの冒頭の製作会社のロゴの切り替わりを見過ごしている可能性が大きいです

製作者もちょっと特殊な作り方をしていることを理解しているため、わかりやすく鑑賞者に「この映画はこういう作り方をしていますよ」と事前に教えてくれているんですね

なのにこれをすっ飛ばしてしまうと、なんの説明もなしに主人公がいろいろ超人的な力を手に入れるわけのわからないストーリーの世界に突然放り込まれた感じになるでしょう

製作会社の文字自体は変わらないように、ミシェル・ヨー自体は変わりません

ただミシェル・ヨーを構成するバック(人生)だったりデザイン(能力)が切り替わっていくということです

昨今の映画の鑑賞姿勢として、スマホのながら見や2倍速視聴などをしていることを製作者も十分わかっているのでしょう

それでもやはり映画はスマホ片手に観てて欲しくないし、ましてや2倍速視聴なんてしてほしくないっていうのが映画製作者の本音です

だからスマホ片手にながら見する人や2倍速視聴する人は(どうせ製作会社のロゴなんて見もしないし)置いてかれるようにわざと作ってあるんです

逆に映画の冒頭から通常の再生速度で観ている鑑賞者には冒頭からこういう風に切り替わっていきますという事前準備と説明をすることによってすんなりと映画のストーリーについていけるようにしているわけです

そして映画本編の最初のカットが鏡に映る家族の団欒の様子です

これもこの『エブリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』という映画の大事な説明になっています

鏡に映っているということは虚像(実像ではない。つまり仲良さそうな感じは虚構)なので、家族が現在置かれている状況が、鏡に映っている団欒しているのとは逆の状態を表しています

主人公のミシェル・ヨーはコインランドリーの仕事に忙しく夫や娘と話す余裕すらなく家庭崩壊寸前の状態です

そしてわざわざ一つの画面の中に鏡を置いて別の世界を映すということは、実際に映っている世界とは別の世界の存在を匂わせています(つまり並行世界のこと)

冒頭の鏡に映っている家族の団欒の様子を観ることで、鑑賞者に「並行世界=並行宇宙」の存在と「崩壊している家族」のお話なんですよ、と伝えているわけです

くどいようですが冒頭の製作会社のロゴとこの本編最初のカットによって、この並行宇宙を題材にした家族愛の映画ですよとご丁寧に説明してくれているんですね

これを見落としたり見過ごしていると、上述したようにわけのわからないなにが言いたいのかわからない下品な映画という印象になっちゃうと思います

一つ証明すると、手の指がソーセージになってる並行世界が登場します

これ、じつは直前のカットで家の壁に娘が描いた絵が飾ってあって、そこに描かれた世界だったんですよね(子どもは手の指を大きく描きがち)

つまりミシェル・ヨーの中で娘の描いた絵をちゃんと記憶している(娘のことを想っている)っていう説明があるんです

娘のことを想っていてつい手の指が太い(まるでソーセージみたいな)世界を想像しちゃうんですね

映画をちゃんと観ている人ならわかるカットなんですけど、倍速視聴やながら見していると娘の絵を見逃しちゃうように作られてるカットなんです

しかも男性器の張り型でアクションシーンを映したりしてるので、ソーセージ=男性器=また下ネタか、としっかり映画を観ていない人は誤解するようにわざと構成が考えられているんです

倍速視聴やながら見していると下品で目立つシーンが印象に残りますから、安易に場面を脳内で組み立てるとソーセージの世界も手の指がまるで男性器になったような下品なわけのわかんないシーンになってしまいます

ちゃんと観ている人は娘が子どもの頃に描いた絵の世界だとわかるんですけどね(そしてその世界では国税局の職員と親密な関係になるっていう。後に足でピアノ弾いたりしてなかなか凝った世界観だとわかるようになってるんですけどね)

こんな風にして、ちゃんと観てないと「下品でわけのわかんない映画」という判で押したような感想になるように罠が仕掛けられているので、この映画の感想をきけばその人が倍速視聴者かながら見してる人だということがすぐにわかってしまうという、まるで踏み絵のようなことをやっています

そりゃアカデミー賞を受賞するのも納得ですね、だってこんな映画今までなかったから

ミシェル・ヨー演じる主人公は老年にさしかかった女性ですが、日々の暮らしに追われてこれで良かったのかなと心のどこかで思っているんです

人生とは選択の連続でできているわけで、選ばなかったほうの人生はどんなものかしら?と考えるわけですね

そしてそれぞれの選択ごとに並行世界ができていって(分岐していって)歌手になった自分もいればカンフーの達人になった自分もいて、それぞれの並行世界の自分の能力を使って「今の自分」を切り拓いていくのがこの映画の醍醐味です

根底にあるのが娘との不仲で、そこには娘のパートナーの存在があります

娘は同性愛者で主人公はそれを受け入れることができないことが映画の冒頭で描かれています

それは自分も認められないだけじゃなく、自分の父親(娘からすれば祖父)に対しての変なプライドが邪魔しているように思います

どうやら夫と駆け落ちしていることから負い目を感じているようで、国税局から追及を受けていることも主人公は父親に黙っています

その父親と並行世界で娘を守るために戦うところがこの映画の醍醐味です

一見なんの役に立つのかわからない並行世界の自分の能力がちゃんとピンチを切り抜けるのに役立っていく(伏線回収)もこの映画の面白いところです

個人的にツボだったのは国税局のおばさんのデスクにあったトロフィーがどう見ても黒いアナルプラグにしか見えないので、あとで登場するだろうなあと思っていたら思いっきり登場してきたのには笑えました

だってゴツい男が下半身丸出しでお尻にアナルプラグ刺したままカンフーで主人公と格闘シーンを演じるんですよ

日本だったら脚本段階でボツになっちゃうようなネタをアメリカは映画にしてしかもそれをアカデミー賞最多受賞作品にしちゃうんだから懐が広いですよねえ(日本だったらアナルプラグさした男が格闘する映画がアカデミー賞最多受賞なんて無理ですよ)

ホラー映画やカンフー映画や純愛映画などなど一つの作品の中に複数の映画の要素を散りばめていてとても豪華です

並行世界の夫がカッコよくて今の自分の夫に愛想を尽かすところとか、でもその夫の慈しむ心を参考にして並行世界の敵をみんな骨抜きにしちゃうラストは感動的です(おでこにお目目のシールが貼ってあるのは真実に目覚めたという象徴なんでしょうね。戦うのではなく、愛することこそが救うということ)

自分を認め、大切な瞬間を共有してほしいという娘の願いをききいれる感動シーンは素晴らしかったです

ドビュッシーの月の光がBGMで使われていて、どこかでしっかり使うんだろうなあと思っていたらまさかのあの並行世界でああいうふうに使われるとは思いませんでした

月の光を足で弾くなんて器用だなあ

主人公も父親に自分のことを認めつつ、大切な瞬間を共有して欲しかったんですね

知らず知らず、過去に自分が父親からされたことを娘にもしてしまっていたことにようやく気づいた主人公が娘のパートナーを父親に紹介するシーンはなかなか良かったです(逃げようとする娘を捕まえて父親に紹介するところ。映画の最初のころと大違いですね)

娘が全部乗せベーグル(ブラックホール)ですべて終わらせようとするのを家族全員で引っ張りだすところも感動ものです

全体的にコメディなので映像自体はふざけているものが映っているのですが、内容は感動的なため、ジーンとしながら笑いが込み上げるという不思議な感覚が味わえるのでぜひ観てみて欲しいです

『2001年宇宙の旅』や『レミーのおいしいレストラン』などのオマージュが出てきますし、全体的には今敏監督の『パプリカ』や『妄想代理人』みたいな同じ登場人物が別の世界で別のキャラクターを演じる、というコンセプトです

クリストファー・ノーラン監督作品を思いっきりコメディ寄りに作った感じでしょうか

いろんな人生の追体験ができるのが映画の特徴ですが、それを前面に出して映画の中の人物に追体験させている映画です

映画好きな人なら間違いなく楽しめる内容です

スマホが普及してYouTubeやTikTokなどを見ながら(スマホ片手に)映画を鑑賞する人が増え、長編映画などが観られなくなっていく(2倍速視聴が普通)時代になっている現代において、この『エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』にアカデミー賞を受賞させたのはとても意義深いと思います

こういう作品だったら二倍速視聴やながら見されない映画になるでしょう

でもこの映画が賛否両論な世論を鑑みると、映画の世界も厳しいと言わざるを得ないと思います

なぜなら日本ではあまりヒットしてませんし、下品でわけのわからない作品だと否定的な人もいるのは世界的に長い映像作品が好まれなくなっているようで、映画の衰退の第一歩がすでに始まっている気がして心配になりました