ニューオーダー画像

ニューオーダー

どうして日本ではデモや暴動が起きないの?という疑問に対しての答えが見つかる(かもしれない)映画

税金が上がり、国民の不満がたまり支持率が下がり続ける政権がいまだに国政を担っているこの日本に住む人間として、とても教訓になる映画です

なぜこんな支持率の低い内閣が重税を課しているのにいまだに日本では暴動が起きないのかと不思議に思う人がいるとすれば、この『ニューオーダー』という映画が一つの答えになっているかもしれません

日本人は選挙に行かないくらい政治について諦めているし、東日本大震災のときも秩序を乱さないことで外国メディアから称賛されるくらい規律正しい民族なんです

自己責任感が強いので、いまの暮らしぶりが悪いのは自分の努力不足だと思うし、どんなにつらくても他人様に迷惑をかけちゃいけないと思い込んでいる人が多いように思います

では自己責任感が強くなく、他人様に迷惑をかけてもいいやと考える人が増えたとしたらどうなるでしょうか?

それがこの『ニューオーダー』という映画の世界です

主人公は金持ちの娘で、自分の結婚式に次々と来客がやってきます

その同じ日に、貧しい人々のデモ活動が行われ、ケガ人が病院に押し寄せるような非常事態になっています

当然、大通りにもデモ隊が押し寄せてきていて主人公が結婚式をしている大邸宅にも危険が迫りつつあることが少しずつわかってきます

当然主人公もデモ隊が町に出ていることを知っています(友人が緑色のペンキをかけられたせいで遅刻しながらも主人公の結婚式に出席したのを見ています)

それでも結婚式を続け、出席者も何食わぬ顔でその場に居続けるんですね

この状況がすでに異常です

身に危険が迫っていると映画を鑑賞している我々現代日本人ならすぐにピンときますよね

でもこの映画の『ニューオーダー』の世界ではそれくらい日常茶飯事なのか、はたまた自分たちはセキュリティを雇っているから絶対安心だという自覚があるのか、鳥に糞を落とされちゃったくらいの認識でしかないんです

デモ隊(ケガ人)が病院に押し寄せるくらいですからかなり大規模なデモであることが鑑賞者にはわかっています

そして来るだろうなあって思っていると当然ながら主人公の家にもデモ隊が到達します

彼らはただ単純にプラカードを掲げているわけではありません

銃を持っています

当然ながら暴力と殺人が起きます

雇っていた警備員やメイド達までデモ隊に加わり(元から結託していた?)一緒に富裕層である出席者から金品を強奪していきます

このシーンがただ単純にスカッとする場面にならないのは(普通は貧乏人が金持ちをやっつけたらスカッとするはずなんですが)主人公が金持ちのお嬢様にしては性格が良すぎるところですね

8年も前に退職した使用人が結婚式にのこのこやってきてお金を無心するというシーンがあるんですよ

デモ隊のケガ人によって病院から追い出されちゃって手術を別の病院で受けなきゃならなくなり、そっちの病院では一時金として大金を支払わなきゃならないという理由です

もちろんこの映画の鑑賞者はこの使用人が嘘をついてないことはわかっているんですが(病院の場面が映るので)でもこの主人公のお嬢様の立場からすると、この使用人が嘘をついているかわからないわけです

当然ながら母親や兄たちは嘘をついていると思い込み、少々の金を渡して冷たくあしらいますが、主人公のお嬢様だけはこの使用人のことを信じてなんとか助けようと奮闘するんです

結婚のお祝い金を使用人に渡そうとするけれども金庫の暗証番号を親に変更されてしまって取り出せません(このことが主人公の運命を大きく変えることになります。後にこの金庫は母親によって開けられて、中身はデモ隊に持っていかれるという皮肉が描かれます)

なんとか使用人を救おうと自分の結婚式を抜け出してまでカードで病院に支払いに行こうとするくらい(金持ちには珍しい)優しい人物として描かれます

このことがあるためデモ隊が一種のヒーローとして描かれているわけではなく、かといって金持ちを完全に悪として描いているわけでもないという曖昧な感じがこの『ニューオーダー』という映画の醍醐味です

単純な善悪にしていないため感情移入が複雑になってしまい、結果的に胸糞映画になってしまっています(ぜひ鑑賞中は自分だったらどのキャラクターの立場かを連想しながら観てみてください。そしてそのキャラクターの顛末を目撃しましょう。ちなみにぼくは主人公のお嬢様の善意に振り回されて一緒に車に乗せられちゃった使用人の男の子でした。結果は予想通り)

この映画が映画祭で絶賛されることがあるとすればお金持ちである登場人物に審査員が感情移入したからだろうなあとすぐにわかります(一般庶民が審査したら感情移入的に胸糞映画なので、二回目を鑑賞したいとは思いません。そういう意味では賛否両論映画です。だってほとんどの人は一般庶民なんですから)

デモ隊というものが我々現代日本人の想像するものを大きく超えているのがこの映画を鑑賞すべき理由の一つです

ただ平和的に行進して自由と平等を叫ぶようなものではありません(デモ隊ときくとなんとなく非暴力運動の行進を想像しがちですが、デモがエスカレートすると暴動になります)

抗議するだけでは現状が変えられないとすればその手段は段々と過激になっていくのは必然であって、デモ活動がどんどん過激になっていき、暴力や強奪になっていきます

むしろ暴力や強奪くらいしてやるぜっという気力がなければなかなかデモなんか行われません

それくらいのパワーがなければ結局のところただの平和的抗議活動という名のお散歩行進になるだけです

ガンジーは「塩の行進」で非暴力の平和的抗議活動をしましたが最終的には塩を英国政府に無断で作るという違法行為をしていますし、それが違法行為が目的で行進しています

日本ではデモ活動をしたければ警察に届出をしなければならないため、そもそも違法行為を目的としたデモなんて起こらないようになっています(つまり正式な[という言葉が正確かはわかりませんが]デモをする時点でそれはやっても意味の薄いお散歩行進であることが決定しているわけです)

なので日本ではデモなんか起きやしないわけです

それでも「こんなに税金が上がって人々の暮らしが悪いのになんでデモが起きないんだろう」と疑問に思っている人の考えるデモはこの『ニューオーダー』という映画に登場するデモ隊のような(正式ではない)デモを想像しているんだと思います

つまり警察に届け出もしないような違法なデモ隊は暴徒になるわけです(暴徒になるくらいのパワーがなければ違法なデモ隊にはならない)

デモをしよう、あっそうだ警察に届けなくっちゃという思考回路がすでに日本人はお行儀がいいんです

日々の暮らしが辛いのは政治が悪いせいだからデモで暴れてやろうという人が大勢集まった時、それはそもそも違法行為なわけですから、法律に違反したとしてもやる価値がなければデモなんかしません

デモ隊にとってやる価値というのは金持ちから金品を奪うことです(これが積み重なった時に革命という名前の富の配分が発生します)

彼らは単純に世の中を良くするのが目的ではなくて、自分が富を得たいというのが目的です

なので金持ちを皆殺しにするのではなくて金品を奪って逃げていく(もちろん何人か金持ちは殺すけれども皆殺しにはしない。その殺す時間を逃走時間にあてたいから)

そのため、結局のところ本当にずる賢い金持ちは死なないという構図になります(繰り返しますが金持ちを殺したいんじゃなくて、自分が金持ちになりたいというのが目的なんです)

この事実を『ニューオーダー』という映画では如実に描いています

冒頭に娘たち三人と一緒に訪れた大金持ちは事前にボディガードから通りの危険な気配をきいていち早く脱出しています(そして危険だということを自分たち以外には漏らさない。自分たちが助かればそれで良くて、むしろ自分以外の金持ちが金品を奪われて貧するのは歓迎する。ずるい)

さらにこの大金持ちは軍部とも親しく(軍関係者?)、かろうじて生き残った主人公のお嬢様マリアンの父親に親切そうに手を貸して「娘さんを助けるのに力を貸す」という具合に恩を売りつける狡猾さです

結局のところ、デモをしたとしてもなかなか革命までいかないので貧富の差が逆転するのではなく、いくらかの富の配分が変わるだけで大元の構造は変わらないということなんですね

これがとても怖い

象徴的なのは主人公のお嬢様マリアンの家に妻の手術代を無心に来る元使用人のおじさんの最期

軍による戒厳令が敷かれたせいで夜間外出禁止の中、痛がる奥さんのために病院へ行こうとして軍隊に撃たれて死ぬんです

そしてその葬儀のシーンのあとで主人公のお嬢様マリアンの父親が自宅で看護師に世話されているシーンが映ります

なんともいたたまれない

結局デモが起きたことで、病院がケガ人でいっぱいになり、奥さんが病室を追い出されたせいで心臓の手術を受けられずにこの元使用人夫婦はどちらも死ぬんです

そして雇い主の金持ち(主人公の父親)はデモ隊に銃で撃たれるも高度な医療を受けられたおかげで命拾いするという痛烈な皮肉です

結局のところデモが起きても庶民の暮らしは悪くなるばかりで、金持ちに多少の痛みを与えるだけで終わるということをまざまざと見せつけられる映画です(むしろ損失という意味では貧乏な庶民の方が失うものが大きいということを暗示しています)

この映画のタイトルの『ニューオーダー』は新体制などの意味がありますが、文字が逆さま(一部左右逆)になっているんです

つまり新しくない🟰今までと同じということを暗示しているタイトルなんですね

新しい政権や新しい体制、新しい総理大臣や新しい政治家とみんなが期待をしても結局は今までと同じというニュアンスが含まれています(この脚本を描いた人の国はどんだけ政治が腐敗してるんだよってツッコミたくなるレベルです。まあ政治の腐敗なんて我々日本人も偉そうなこと言えませんけど)

日本はまだまだマシなんだなあということがこの『ニューオーダー』という映画を観ると思います

違法行為をしてまでデモをして他人様のものを奪おうというパワーすらもはやなくなっているような気がします

格差が広がる日本社会において少しでも学歴をつけるために奨学金を背負ったりバイト漬けになったりして若い人は自分の人生を楽しむ余裕すらないですが、それでも違法行為をするよりかは日々を真面目に生きようとする人が多いと思います

結局デモをしたところで損をするのは自分だという認識を持っている人もいるかもしれません(逆に自分はわざわざデモに参加したくないけど、だれかがやってくれないかなあと思っている人もいるかもしれません)

デモが起きない日本人を不思議に思う疑問は、デモによる先の未来を見せてくれるこの『ニューオーダー』という映画を鑑賞すれば解決します

暴徒化するくらいのデモが起きるような国の状態というのは、違法行為もへっちゃらな人が多い国ということです

違法行為もへっちゃらな人が多いという状況は貧富の差が激しく、現状が悪くなるばかりで若い人が希望を持てなくなり将来のことよりも今日明日のことしか考えなくなり、他人様に迷惑をかけてもかまわないという気運が高まった時です

我々現代日本人も度重なる増税や先行きの見えない経済ですでに希望を見出せない人が多くなりました

我々が暴徒にならないのは「他人様に迷惑をかけたくない」という一点にもはや絞られつつある気がします

その「他人様に迷惑をかけたくない」という日本人の矜持というか資質も「迷惑系YouTuber」や「巻き込み型犯罪=通り魔」などが目立つようになってきて、ジリジリと『ニューオーダー』の世界に近づいてきているように思います

アメリカの議事堂に暴徒が突入した際もSNSの影響が大きいようなので、日本で暴徒化するようなデモが起きるとすればおそらくSNSを活用したものだと思います(そもそも日本の選挙の仕組みからいっても直接総理大臣を選ぶようなものではないので、分かりやすい対立構造がないため議事堂を襲撃するようなデモは起こらない気がします)

ですが悲しいかな少子化の日本においてSNSネイティブの若い人は少なく、溢れる中年はSNSを活用してデモなんかするよりもおそらくアイドルなどの推し活に忙しいのかもしれません

中年より上の世代はそもそもSNSなど活用してないでしょうし

若い人はなんだかんだいってなんとかそれなりの生活を獲得しようとバイト漬けになってますし

日本は人口構造的にも(昔は若い人多かった)気運的にも選挙の仕組み的にも何重もの意味でデモ(暴徒化)が起きないようになっているんです

そしてそれはある意味でこの『ニューオーダー』という映画を観る限り、そんなに悪いことではないということがわかります(結局暴徒化するデモが起きても基本構造はなかなか変わらないから。むしろ一般庶民の方が損するから)

ラストシーンで、(妊婦を庇ったりして)わりと善人だった庶民のお母さんが吊るし首になるのを軍部と金持ちが見守るというなかなか痛烈な批判をしています(最後に勝つのは軍と金持ち。革命までいかないなら当然ですけど)

ちなみにぼくが感情移入して観ていた使用人の男の子はまったく救いがないばかりか、主人公のお嬢様に振り回されるだけでなく、各登場人物から振り回されるし、いつも貧乏クジを引かされていて納得の最期でした