タブー視されている社会問題をエンタメ映画に仕上げることで啓蒙を促す巧妙な意識改革映画
実話を基にしていますが脚色や誇張表現があると思います
でもそれはエンタメ映画に仕上げるために仕方なくやっていることであって、この映画はそれを意図的にやっています
実在の人物のドキュメンタリー映画を作るのではなく、1人の男のサクセスストーリーに仕上げることで笑いあり涙ありのエンタメ映画になっています
エンタメ映画なので説教臭くありません
なので鑑賞者は自然と楽しみながらこの『パッドマン 5億人の女性を救った男』という映画から意識改革を促されていきます
この意識改革こそがこの映画の主目的です
それは「生理の時にナプキンを使いましょう」ということです
たったこれだけのことを伝えるためにこの『パッドマン 5億人の女性を救った男』という映画は作られています
それくらい深刻な問題なんですね
インドでは現在でもナプキン普及率が3割程度だそうです(劇中では12〜18%の普及率)
ではナプキンの代わりになにを使っているのかというとボロ布を使っているんです
このボロ布を生理処理に使っているというのは江戸時代の日本人もそうでした
21世紀の現在のインドでも日本の江戸時代のような生理処理事情となっています
不衛生な生理処理のせいで不妊になったり病気になったりしてしまいますが生理について語ること自体をタブー視するインド社会のせいで改善の余地が見込めません
タブー視されている社会問題を扱っていますが、エンタメ映画色を強くしてできるだけ鑑賞者が嫌悪感を抱かないように配慮をしたせいか、最初の16分間はとにかく退屈です(安っぽいMVか観光地イメージビデオを観せられているようです)
主人公のラクシュミの奥さんが生理になって突然家のベランダに行ったあたりからようやくストーリーが展開していきますのでそれまで辛抱が必要です
主人公が奥さんを溺愛していて、生理のたびに5日間も外で過ごし(インドでは生理中は穢れているということで生理が終わるまでの5日間は家の中には入らずに、ベランダで寝泊まりする風習があります。ところでインドの女性はみなさんきっちり生理が5日間で終わるのだろうか)
さらに生理処理にボロ布を使っているのを見てナプキンを買いに行くという絵に描いたような優しい旦那さんとして描かれています
ところがこの生理ナプキンはとても高価で一般的なものではありません
主人公は奥さんだけでなく、母親や妹たちとも同居しています
奥さんは最初こそナプキンをプレゼントされて喜びますが値段を知って「妹さんたちまで使ったらお金がなくなっちゃうし、自分だけで使ったらお母さんになじられる」と言ってナプキンを拒否します
医者から「毎月10人以上の女性がここに来る。生理処理に雑巾や葉っぱや灰を使ったせいで。病気を招けば必ず来る。子どもが産めなくなったりする。命を失う女性も。それほど危険だ」と教えられた主人公は安価で手に入るナプキン作りに挑戦します
しかし手作りナプキンは綿を包んだだけのものだったため経血が漏れてしまう失敗作で、奥さんから使用拒否されてしまいます
改良を重ねるものの、奥さんに拒否されてしまっているので感想をきくことができずに困るあたりが妙にリアルです
妹や地元の女子医学生に頼みますが変態の烙印を押されてしまいます
挙句の果てには隣の家の初潮を迎えたばかりの女の子にナプキンを渡そうとして見つかってしまい近所中から狂った変態と罵られてしまいます
さらに奥さんからは「女の股の間(直接的な表現をしない上品な言い方ですね)になぜそんなに興味があるの?」とまで言われてしまいます
奥さんが不衛生な生理処理によって病気になることを心配しているのに「あなたこそ何の病気?」と言われるはめになります(かわいそうな主人公)
ここから主人公がひたすら過酷な環境の中でナプキン作りに励む姿が描かれていきます
奥さんとは別居することになり(義兄から離婚届を送るとまで言われる)借金をしてまで安価なナプキン製造機を開発します
巨大なベルトコンベア式ではなくて人の手作業を必須とする代わりに安価に製造できるナプキン製造機の開発に成功します(手作業で布を織るチャルカという伝統に近いものを感じます)
そしてそのナプキン製造機を手に職のない女性の自立を助けるために役立てていくところが夢があっていいですね
現代日本でも貧困によって生理処理にボロ布を使用している人もいるでしょう
貧困以外にも「恥ずかしい」「隠すもの」という意識からなかなか生理用品を手に入れられない環境にある人もいるでしょう
そう、生理処理問題(生理の貧困)は現代日本でも起こっている問題なのです
世界では生理用品を無料提供している国が10ヵ国以上あります
例えばスコットランドでは学校や公共施設のほか、公共のジムやプールや薬局などで手に入るだけでなく、アプリで最寄りの提供場所を検索したりデリバリーしてもらうこともできます
オーストラリアやフランスや台湾でも無料提供を行っています(ちなみにフランスでは18〜24歳の女性の30%が経済的理由で生理用品を定期的に購入できません)
日本では国による制度は存在しません
一部の地域や学校で無料配布が行われているだけです
無痛分娩の普及率も低く(対応できる麻酔医の常駐している産院が少ない)子宮頸癌ワクチンの普及率も低い日本は当然ながら生理の貧困問題も深刻であると考えねばなりません
とかく日本の女性に耐えさせることばかり強いる国です(例えば女性に男性と同じように管理職になるように国は目標を掲げていますが、同時に少子化対策として子どもを出産するように頼んでいる状況です)
女性に仕事を任せて、子どもを産ませてさらに子育てもさせて家事もさせようとしているのです(女性の家事分担率は84.6%で日本の男性は家事を女性に頼りきっています)
「女性を守れないで男とは言えません」という主人公のラクシュミのセリフが響きます(日本では昨今のポリコレ・コンプライアンス的になかなか作られなくなっているシーンですね。こういうことを映画でさらっと表現するからこそ、インドは中国を抜いて人口世界一なんでしょうね。表向き女性の権利ばかり主張する日本は少子化です)
男尊女卑のインドでは男性に男らしさを求めていますがこれに対する痛烈な皮肉になっているんですね
男性らしさとは女性を虐げることではなくて女性を守ることだとこの『パッドマン 5億人の女性を救った男』という映画では訴えています
だからこそ女性を生理の貧困から守ろうとする主人公(と主人公に感情移入する鑑賞者)を変態ではなくてヒーローなんだよと強く訴えることに繋がっていて、生理というタブーを扱っているにも関わらずサクセスストーリーとして映画が成り立っています
男尊女卑のインド社会にあって、金も名誉も失い、それでも女性を守ろうとする男を描くのはなかなか斬新な気がします
主人公のラクシュミが製品を完成させたはいいものの普及させる方法がなく最初のお客さんであるパリーに手持ちのナプキンを何枚も渡すシーンがとてもいいですね
パリーは英語を話すのですが主人公のラクシュミは英語を理解はできるものの話すことは苦手で、たどたどしい英語(独学で身につけた英語だからリングリッシュと本人は呼称している英語)でパリーの手にナプキンを重ねていきます
「本当に私が最初の客?」「君が1番(1枚)、2番(2枚目)3番、4番、5番」
このセリフが後半のパリーとの空港でのお別れシーンでの伏線になっているのが憎い演出ですね
ずっと普及活動を手伝ってくれていたパリーは主人公のラクシュミが世間に認められるとともに段々と心惹かれていきます
でも主人公は別居中の奥さんのもとに帰る決断をするので空港で最後のお別れをするんです
「僕はパッドマシンを作る。でもパリーが僕を作った。君の名前はナプキンにだけでなく僕の心に刻まれている。さよなら。ありがとう。僕にとって君は1番、2番、3番、4番、5番(ここで背中を向けます。生理が終わる日数=僕たちの関係も終わりという暗示)6番、7番(歩き出します)、8番、9番、10番、11番」
とても感動的ないいシーンなのでがんばってここまで観てほしいです(だいたい2時間2分あたり。別れのシーンそのものは1分くらいしかないから見逃さないでほしいです)
主人公のラクシュミを演じるのはアクシャイ・クマールというインドで最も高額な出演料の俳優です
そしてこの『パッドマン 5億人の女性を救った男』という映画の原作・製作をしたのはアクシャイ・クマールの奥さんであるトゥインクル・カンナーです
この夫婦のコンビが功を奏したように思いますね(もともと奥さんは別の俳優を起用しようとしていたのを主人公のモデルとなった実際の人物より推薦されて夫のアクシャイ・クマールに決まりました)
変態と罵られながら女性のために生理用品を作る映画に最も高額な俳優が出演するというのがインド映画社会のすごいところだなあと思います
『パッドマン 5億人の女性を救った男』という映画を観ればわかりますが、生理用品のナプキン(パッド)を見せただけで嫌われてしまう男尊女卑のインド社会において、映画というものを社会貢献の手段として昇華させた素晴らしい事例と言えます
映画としても素晴らしいシーンがあるので(とくにお別れのシーンや国連でのスピーチのシーン)完成度の高い娯楽作品です(ただし最初の16分間は退屈)
ちなみにぼくは吹替ではなく字幕で鑑賞しました(時折混じる英語で少しずつ世界に認められていく様子が演出されていますし、リングリッシュの独特な発音が聞けるので字幕がいいと思います)