アシスタント画像

アシスタント(2022年マレーシア)

アシスタント役の笑い声がクセになる映画

主役の父親がヒョロイのに対してアシスタントはめっちゃマッチョなのがうまく対比されていて面白い(主役はわざと貧弱な身体に見えるようにブカブカな服をチョイスしている。そしてその服は同居しているおっさんからの借り物という設定なのも上手)

ジャンキーの巣での格闘はこの映画の見どころ

一昔前に流行った狭い場所での複数人による超近接格闘(『ザ・レイド』などに代表されるいわゆるインドネシアアクション)ではなく、あえて一人ずつ立ち向かっていき、距離感をちゃんと計りながら、無理のない自然な速さ(ここが大事)でキメています

どことなく日本の時代劇の殺陣にも通じるような相手との間合いを意識したアクションは、インドネシアアクションからさらに昇華させた(よりリアルで自然な)アクションへと進化を遂げています(例えるならばCGで綺麗に見せていたのを実写回帰したような説得力)

あまりにも現実離れしたアクションが続くと最初はおおって思うけれど、あまりの数の多さに不自然さが生まれたりどうしても人間の動きとして速さが相手と噛み合ってない(わざとやられ役の人がゆっくり振りかぶって主役が全速力で動くみたいな)映画的な動きが観客に伝わってしまって説得力に欠けてしまう(綺麗すぎるCGは逆に嘘っぽくて印象に残らない。彩度や明度を上げればいいってもんじゃない。最近のアクションを皮肉っているのか火のCGをやけに安っぽくしているのは、たぶん意図的なんだろうと思われる。もしくは予算的に・・・)

この映画『アシスタント』のアクションは原点回帰でいて構図や動きは洗練されているので見ていて飽きません(ジャンキーの巣での戦闘では『オールドボーイ』のアクションを思い出しました。あちらは武器がトンカチでしたが)

ちゃんと狭い場所での戦闘時には得物を短い斧に持ち替えたりするなど、考えられています(深く考えないアクションものだったら狭い廊下なのに鉄パイプでアクションを繰り広げてしまう。そんな長いのどうやって振るの?みたいな。で、結局下から上に振り上げてやっつけるカットしか撮れなくなってしまうみたいな。撮りたい画面を先に考えてしまうから場所に配慮した武器を選定できない)

このアシスタントという映画では一見地味に見える格闘シーンがとても洗練されています(メリケンサック対小さな手斧とか、字面だと地味だし実際地味だけど映像になると説得力がマシマシなのでむしろ緊張感があって説得力のある画面になる。これ、採用した人はかなりアクションに詳しい人なはず。詳しくなければそもそも採用されないでしょう。だって地味だから。無難に鉄バットと鉄パイプでチャンバラさせちゃったりしちゃうでしょうね)

しかもこのメリケンサックを使うのが高身長のゴリマッチョっていうところがいい(身体の幅がほぼ廊下の幅っていうイカつさ[誇張表現]あなたどうやって角曲がるの?っていうツッコミを入れたくなるくらいで思わず逃げ出したくなる。そんなゴリマッチョがメリケンサックを廊下の壁に押し当てながら[金属がコンクリを削るゴリゴリ音をさせながら]画面の奥から観客の方へ向かってくる映像は思わず逃げ出したくなります)

そして体格と力で劣るアシスタントがどうやってこのゴリマッチョに勝つのか?はぜひ映画を観ていただきたいのですが、小さな手斧で上手く処理しています(身長の高い相手に対してリーチの長い武器を選びたくなりますが、なるほど手数の多い方が有利だよね。という格闘になってる)

接写での超近接格闘(いわゆるインドネシアアクション)ではなくて、ほどよい距離感と体捌きで処理していくこの『アシスタント』という映画において、なかなか見応えのあるシーンでした(インドネシアアクションは映画『ジョン・ウィック パラベラム』など欧米のアクション映画にも取り入れられているので今後はこういう程よい距離感と無理のない速度での説得力と現実感のあるアクションが主流になっていくのかな?『ブレッド・トレイン』でのブラッド・ピットさんのアクションが気になる今日この頃[ぼくまだ観てない・・・])

主役なのに肝心のアクションシーンは全部アシスタント(映画のタイトルもアシスタントでちょい紛らわしい)に任せっきりなのも好感ポイントです(個人的に主役がカッコつけない作品が大好物。昔NHKで放送されていた『名探偵モンク』は永遠の名作。観てない人にはぜひ観ていただきたい)

そしてアクションをした後はちゃんと汗をかいているのが素晴らしい(さすがに髪が湿ってないのでスプレーか何かで首元に吹き付けただけなのはバレバレなんですが、それでもキラッと[ヌメっと]光る汗があるだけでアクションに説得力が増します。こういう演出を疎かにしている作品がとても多い[血糊はいっぱいつけるのに汗はかかない]中、ちゃんと手を抜かないのがいいですね。ちょっと脱線するけど『ケイト』という作品では主役のメアリー・エリザベス・ウィンステッドさんが敵を倒すごとに顔や身体が汚れていって芸が細かかったです。綺麗な女優さんなのにラストシーンにいくにつれてどんどんボロボロになっていく感じがすごく好感ポイントでした。鼻血を流したままで演技するってすごい。あまりにも顔がぐちゃぐちゃなるから普通はサッサと拭いちゃうところだけど、あえてそのままにしている[女優として自分を綺麗に見せるよりも作品の説得力を優先する]ところがすごい。そういえば『ダイ・ハード』の記念すべき一作目でもブルース・ウィリスさんが鼻血出しっぱでしばらく演技してたなあ。彼はもともとコメディ系の人だからってのもあるけど・・・アクションと鼻血の話は長くなるのでこの辺で終わり)

このアシスタントが最初に主人公と会う場所と二度目に出会う場所から、勘のいい人ならこの人物の正体に早い段階で気がついてしまう

同じことが主人公の親友にも当てはまってしまうというわかりやすさ(まるでチンピラみたいな格好した開発会社の若社長っていう時点で、ねえ。スーツに黒シャツにゴツい腕時計に金髪にゴールドアクセに美人秘書をそばに置いて、黒服のガードマンまでいたらもうバレバレなんですけど。セリフでも犯罪まがいのことをやってるって言ってるくらいだから隠す気もないんでしょうけど、テレビに出る時くらいもう少しまとも[カタギ]な格好すればいいのに。あえて観客に人物像をわかりやすくしてアクションに集中してもらうための仕掛けなんだろうか)

なお、ラストシーンについては賛否両論ある終わり方になっていてある意味斬新でした

たぶんだれも予想できない(えっ?っていう終わり方。マレーシア映画だからこそなんだろうなあ)

一瞬戸惑ったけど、まあこれはこれでありなんでしょう(ありきたりなラストシーンだとよくあるリベンジアクション映画と同じになっちゃうから、いろいろ考えてこれになったんだと思います)

ぜひ鑑賞した人と意見交換したい部分です(賛否どちらなのかについて)

ちなみにこの映画でぼくが演じたいなって思ったのは珍しく主人公です(髪型も坊主だしね、ハハハ)ただ体格がぼくはゴツいので似合わない。なので次の候補としては主人公の家の近くで女性の着替えを盗撮していた「のぞき魔」役かな、と(ちなみにブラインド越しなので女性の着替えなんてほとんど見えないのでこの『アシスタント』という映画は全然そういうお色気シーンのない映画でもあります。べつにオッパイくらい映したっていいと思うけど、推測ですがエイドリアン・テー監督は[アクション映画には一切お色気必要なし。いるのは男の血と汗のみ]というこだわりをお持ちなんじゃないかと。これがハリウッド映画だったら例えばもっと奥さんとイチャイチャするベッドシーンとかがあるはずなんですよね)

この「のぞき魔」の撮影した映像を手がかりに主人公は犯人を追い詰めていくことになる(ほんのちょっとしか出番がないけど)重要人物なんです

そしてこの「のぞき魔」から映像データをアシスタントがカツアゲするわけですが、あまりにも叩かれてすぎてしまい、最後はアシスタントが手を振り上げただけでビビるんですが、そのときに自分で自分のほっぺたペチペチするんですよ(笑。アシスタントは叩かないで、のぞき魔はアシスタントに対して手で制して叩かないでぇって感じでビクビクしたあとに自分で自分をペチペチするっていう。きっとアシスタントに打たれるよりも自分で叩くほうが痛くないってことなんでしょうけど、すごく印象に残る演技でした)

ちなみにアシスタントは女好きなので、事件とは関係ない「のぞき魔」のほかのコレクションも手に入れて鑑賞したことが映画で匂わされます

現実にはできないようなことに挑戦できるのが役者の醍醐味だとは思いますが、でもこれ出演実績のところに「映画アシスタント のぞき魔」って役名で出ちゃうとちょっと恥ずかしい気もするなあ。なんか前科がついた気分になっちゃうかもしれない。でも観た人なら絶対印象に残ってると思う、そういう短いシーンでも印象に残る役者さんはすごいと思いました

ちなみに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という作品の中での主人公のお父さんとお母さんの馴れ初めは、お父さんがお母さんの家の近くで「のぞき魔」をしていてお母さんの父親(主人公の祖父)の車に轢かれたのがキッカケです

映画において「のぞき魔」というのはしばしば使われる題材で、『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』や『ディスタービア』は「のぞき魔」が主人公ですね

観客は映画(カメラのレンズ)を通して事象を鑑賞するわけで、いわば映画を観るという行為と「のぞき魔」の行為は同じなんです

そのため映画の題材としても「のぞき魔」というのは都合が良いいわけです。クリント・イーストウッドさんの『目撃』という作品はまさにのぞき見した行為(目撃)が映画の核心部分でもあります(役としては泥棒役ですけどね)

のぞくという行為と映画の鑑賞という行為の密接なつながりを再認識できる映画でもありました(でも、のぞきなんてやっちゃダメ、絶対)

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