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十一人の賊軍

時代劇の皮を被ったヤクザ映画。しかし本当に表現しているのは昨今の世界情勢と日本の現在

最初に断っておきますが、この映画はハッキリ言って面白くないです

なぜなら観終わったあとにスッキリもしないし、楽しい気分にもなりません(ハッピーエンドではない)

あまりにも巧妙に社会風刺しているため、その裏テーマがわからない人にとっては単なる首チョンパがいっぱい出てくるスプラッタームービーになってしまいます

では裏テーマの社会風刺がわかる人にとっては面白い映画かと問われると、ハッキリ言って今の時代が暗すぎてそれを的確に突いてきているのでちっとも気持ちよくありません(この『十一の賊軍』という映画は2024年公開)

よほどの人でないと裏テーマまで気付きませんし、気付いたところで面白くないというなんとも不恰好な映画です

それは現代日本社会がそれくらい危機迫る状況だということを表現しています

映画を観終わって、それが現代日本社会と繋がっていることに気づいた時、背筋がゾッとする、言ってしまえば新感覚のホラー映画だとぼくは思います

ジェットコースターだと思って遊びに行ったらお客さん参加型の人がいっぱい死ぬ謎解きショーを観せられて、しかも真犯人は自力で考えなければならず、解答用紙は用意されていないという硬派なエンタメです

こういう作品が日本で作られたことに感心してぼくはこの映画日記で取り上げることにしました

もう一度警告しますが、時代劇だと思って観てはいけません

すごくつまらないものになります

この映画はヤクザ映画です(プロットを考えたのは笠原和夫『仁義なき戦い』の脚本家)

勝てば官軍という言葉があるように、どんな戦争も勝利者が正しいという風に歴史が書き換えられます(ウクライナ戦争もロシアが侵略したのは紛れもない事実なのに、それをトランプ大統領は容認して利益を得ようとしています)

さて、紐解いていきましょう

主人公は山田孝之演じる政(マサ、という名前です)

主人公の名前が政治の政を使っていることから、政治批判だよというヒントになっています(この映画の裏テーマに気づけない人はそもそも主人公の名前すらあやふやな人だと思います)

これ、どこかに漢字が表示されるわけではなくて、最後のエンディングロールで主人公の名前の漢字がわかります(ここに裏テーマである社会風刺だと思って鑑賞していた人向けに、その見方が正しかったんだとわかる仕掛けになっています)

この政が奥さんを侍にレイプされてしまい、奥さんをレイプした犯人(侍)を殺して罪人になるところから物語が始まります(侍殺しなので死罪)

冒頭、奥さんのもとへ走って駆けつける政の映像から始まります

そしてこの映画のラストシーンも走っていく映像で終わります

先に言っておくと、このラストシーンはいま僕たちのこの時代が猛スピードで戦争へと向かっていることを表現しています。そして街の人々が、♫めでたいな めでたいな♫と歌っています

このラストシーンが象徴的なのですが、このラストシーンまで155分という長尺を鑑賞しなければならず、裏テーマの社会風刺がわからないと退屈なものになってしまい、おそらくラストシーンにたどり着く頃には疲れきってしまっているかもしれません

最初はレイプされた奥さんのもとへ駆けつける足の映像が、映画のラストで戦争に向かう(劇中では登場人物が逃げる)シーンにリンクしているのが興味深いところです

なんでこんな古めかしい映画の冒頭にしたのかが最初はわかりませんでしたが、このラストシーンに繋げたかったからだと最後まで観るとわかります

このように社会風刺に繋げたい意図があるため、どうしてもストーリー展開がご都合主義に寄ってしまっています(撮りたいシーンが先に頭にあるので、お話をこじつけてしまっている)

そのため、単純に映画としてみると意味のわからない整合性のない展開やシーンが多いのがこの映画の特徴です

例えば橋を渡って敵陣に行くシーンが登場しますが、その前のシーンで橋のど真ん中で爆弾を爆発させていて、映像上は真っ二つになっています

でも次のシーンでは橋の綱が向こう側までまだ繋がっていて(ありえない)、主人公たちはこの綱を渡って敵陣の真上まで行きます

そして爆弾を使って一気にカタをつけようとするんです

これ、要するに綱渡りをさせたかったんだと思うんですよ

爆弾を使えば勝てるって思っている主人公たちに綱渡りをさせるシーンを鑑賞者に観せたかったんだと思うんです(黒い油を流して爆弾で着火させるという表現で、一応少しボカしてはいますが、時代劇にそぐわないほど高性能な爆弾がたくさん登場するのは明らかに核爆弾を表現しています)

核爆弾を使えば大軍相手にも勝てるって思っている人への警告をしているシーンなんですけど、おそらくほとんどの人がご都合主義ってだけで片付けちゃってると思います

案の定、爆弾で敵をやっつけますが自分達にも被害が出てしまって、そこからは総力戦になっちゃうんですよね

必ずしも敵を全滅させられるわけではなくって、核を爆発させちゃったら自分達にも被害が出るだけでなく、結局血みどろの戦いに巻き込まれるよねってことです

例えば、核兵器を持てば侵略されないから日本も独自の核兵器を持つべきだって思っている人がいるんですけど、憲法9条で日本は戦争を放棄しているので核兵器を持ったとしても相手国にミサイルを撃ち込むことができません

使えるのは専守防衛時、つまり敵に侵略された自分の領土に対して撃つことしかできません(侵略された自分の領土に核ミサイル撃つ意味がそもそもわかりませんが)

なので核兵器を所有しても侵略されないということはありえません

相手国もそれをわかってますから、現状では核兵器を所有しても意味がありません

抑止力として核兵器を使うためには憲法を改正して日本が戦争できる国(先制攻撃できる国)にしなければなりません

今までイラク戦争やアフガニスタンへの自衛隊の派兵を憲法9条を盾にして日本はのらりくらりと拒否ってきたわけですけど、憲法9条を改正したらどうなるか

日本はアメリカと同盟を結んでいるので、アメリカの指示(実際には命令)に従って自衛隊(憲法改正後は日本軍)をアメリカと敵対する国に送ることになりますね

ようするにアメリカの代わりに戦争に日本の兵隊を送ることになります(アメリカはアメリカ人の死傷者を減らしたい)

日本が他国に侵略された際に、日米同盟がどこまで有効かはその時にならないとわかりません(その時のアメリカ大統領がだれかもわかりません)

世界で唯一の被爆国である日本が核廃絶を訴えて世界平和を目指す国になっていくのか

はたまた黒船来航から明治維新が始まったようにアメリカや周辺国の動きに合わせて軍備増強に走って軍国主義の国になっていくのか

現代日本はいま瀬戸際に立たされています

そういう不安感から強力な兵器に安心感を求めがちです

この『十一の賊軍』はそんな現代日本人の不安感を的確に捉えていて、時代設定も戊辰戦争(明治維新)の最中にしています

映画全体から「戦争なんてバカバカしいよね」という気持ちになるように作られていてそこが好感持てるポイントです

強力な兵器は一度使ったら血みどろの戦いが待っています

この『十一人の賊軍』は少数で官軍を迎え撃たなければならず爆弾を有効活用させます

劇中では焙烙と表現されているこの爆弾、ノロというキャラクターが作ります

ノロ(うすのろ)という名前でわかるとおり、知的に障害がありそうなキャラクターにしているところにこの『十一の賊軍』という映画を作った制作者の爆弾開発者への嫌悪感を感じます(そしてちゃっかり最後まで生き残ってるんですよね。ドイツの核爆弾開発者をアメリカとロシアが取り合って生き残っている史実を表現しています)

この映画で最後の方に出てくる

「おめえみてえなバカなら口封じされずに、逃げ切れんだよ」というセリフに見事表現されています

言われたのはもちろんノロというキャラクターで言ったのは政

日本でも戦後に口封じされずに生き残れるのは核兵器開発者だよ、という意味と、口封じされない(検閲を通り抜ける)にはバカ(のふり)しかないという意味の二重の意味があります

重要なセリフなのでここは決めゼリフとして山田孝之をしっかりアップで映して表現しています

すでに検閲が厳しい社会主義国の現代日本において、どうやって社会風刺するかを考えた映画ですね(消費税増税大好きな財務省の解体デモを主要メディアが報じないのはもはや社会主義国家のようです)

あまりに堂々と社会風刺しても黙殺されるだけですし、検閲(主要メディアが取り扱わないことによる事実上の検閲)を通らなければ人々の目や耳に届きません

外国との戦争にしてしまうとあからさまなので国内の内戦という設定にして、みんな大好き戦国時代にしなかったのは明治維新(日本が鎖国による平和をやめて軍国主義に走っていく時代)にしたんでしょう

まるで昨今の政治家はチンピラばっかりなので(トランプとゼレンスキーの喧嘩別れの会談のとき、まるでトランプはチンピラみたいでしたね)

国同士のやり取りや交渉はヤクザ同士のやりとりに似てるってことを表現するためにヤクザ映画っぽく作っています

阿部サダヲ演じる家老に切腹を迫るシーンなんか、まるで指をつめろって迫るヤクザの親分みたいな迫り方でしたよね

登場人物の名前や最初と最後の走っていくカット(とその際の♫めでたいな)でわかる人にだけわかるようにメッセージを残して、裏テーマである社会風刺(政治批判)を堂々とやってのけたのは賞賛に値します

なんせ、大作時代劇ってことで表向きはただのエンタメ映画ってことにしてますから検閲にも引っかからずあちこちで宣伝もできるし、いろんな役者が演技をがんばってくれています(社会風刺映画ってバレたらおそらく日和見主義の日本企業や芸能プロダクションは協力しないでしょう)

山田孝之演じる政をはじめ、10人の死刑囚が勝てば無罪放免と引き換えに、無理やり砦の死守をさせられます

この戦い、べつに大義なんてないんですよ

戊辰戦争中の新発田藩(しばたはん)の裏切りという史実を元にしています

官軍(天皇万歳)である新政府軍と、賊軍(将軍万歳)である奥羽越列藩同盟との戦いです

我々現代日本人は歴史を知っているので、当然官軍が勝つことを知っています(そしてその官軍と共に太平洋戦争まで駆け抜けていくことになりましたね)

東北の小国である新発田藩はその領土的立場から賊軍(将軍万歳)である奥羽越列藩同盟に加入しています

新発田藩は現在の新潟県のあたりですから、周辺国からの圧力で渋々加入です

官軍(天皇万歳)である新政府軍は薩長を中心とする勢力ですから、新発田藩からは離れているため、周辺国の奥羽越列藩同盟に加入させられるのは当然っちゃ当然です

でもこの映画の時代背景である東北戦争時には官軍の勢力が江戸城を無血開城させていますから、奥羽越列藩同盟はいわば落ち目です

新発田藩の藩主は官軍側につこうと考えます(小国ゆえに周辺国からイジワルをされてきたのでその恨みもあります)

でも(地理的に近いから)すぐ到着した奥羽越列藩同盟軍が城内にいるためあからさまな態度(官軍側につく)をとれません

そこで阿部サダヲ演じる家老が一計を案じて、自国の兵に奥羽越列藩同盟軍の格好をさせて、官軍と戦わせて表向きは戦争に協力姿勢を見せます

そうしておいて表向きは恭順姿勢をとって奥羽越列藩同盟軍の機嫌をとり、その裏で、奥羽越列藩同盟軍が自国の城を立ち退いた後は官軍の味方につこうとします

官軍と戦うために奥羽越列藩同盟軍がすぐに軍勢を城内から引き上げると家老は思っていたため、死罪である罪人たちに2日間だけ国境沿いの砦で官軍を足止めしろと命じます

でも奥羽越列藩同盟軍はいつまでも城に駐留します

酒を出してもてなす新発田藩

新発田藩の女に手を出してダラダラ過ごす奥羽越列藩同盟軍(まるで日本と米軍みたいですね)

当初二日間の予定だった砦の死守命令はどんどん長引いていき、主人公たちもどんどん死んでいく、という映画です

この映画が単純な時代劇じゃなくてヤクザ映画なのはみんなチンピラっていうところです(もうすでに書きましたけど、大事なことなのでもう一度復習)

そもそも罪人は(かわいそうな事情もありますが)犯罪者集団ですし、小国だからとバカにして平時にはなにかと金品をたかってくるくせに戦時には協力を求めて軍勢を進めてくる奥羽越列藩同盟軍

そして罪を赦すと言っておきながら降伏してきた主人公を処刑しようとする官軍

さらに、無罪放免と言っておきながらことが終わったら関係者を口封じする新発田藩の家老

もうね、ヤクザ映画を観てるようでした(ゆすり、たかり、脅迫、殺人)

最初の奥羽越列藩同盟軍が新発田藩にやってきて家老と対面しているシーンなんか正にヤクザ映画っぽい作りです

高圧的な態度で戦争への協力を迫る様子はヤクザが命令しているような雰囲気(演じている松角洋平の雰囲気が侍というよりヤクザなので明らかに意図的だと思います)

飯と酒と女を好き放題する奥羽越列藩同盟軍に耐えながらなんとか出ていってもらうまでの辛抱をする阿部サダヲ演じる家老

そして新発田藩の藩主はまだ若く、勢いのある官軍側につけばいいじゃん、と単純に考えています

タイミングを考えずに官軍につくことを表明したら奥羽越列藩同盟軍と官軍が領内で戦闘になり、領民の犠牲者が出るため、なんとかそれを避けたい家老

でも「多少の犠牲は仕方ない」という発想の藩主(下々のことなんかどうでもいいっていう上級国民の象徴ですね。自分は戦火に巻き込まれることはありませんから)

そしてなんとか新発田藩の領民の命と財産を守るために領内で戦争が起こることを避けようと必死な阿部サダヲ演じる家老

自分たち新発田藩が奥羽越列藩同盟軍に従順な姿勢を見せるために行ったパフォーマンスが象徴的です

奥羽越列藩同盟軍に反対した農民を集め、次々と首を斬り落としていきます

(裏テーマがわかんないとこれも、ただ首がいっぱいチョンパされる映画だという印象しか残らなくなってしまいます)

この農民、じつはコロナ・・・あっ間違えたコロリという病気にかかった農民たちなんです

コロナ・・・(あっまた間違えちゃった)コロリにかかった農民はどんどん首を切って利用しちゃおうというかなり怖いシーンです

病人なんかさっさと首切って奥羽越列藩同盟軍の機嫌を取ろうというわけです

でも結局、この阿部サダヲ演じる家老も「多少の犠牲は仕方ない」という考え方なんです

だって主人公たち政をはじめとする10人の罪人なんかどうでもいいと考えているからです

初めから利用されている立場の主人公

そして新発田藩のことを真剣に考えている若者として仲野太賀演じる鷲尾兵士郎というキャラクターが登場します(この兵士郎が自らを十一人目と名乗ることで十一人の賊軍となります)

この鷲尾兵士郎という人物、劇中ではちょっとわかりにくいんですが、家老の腹心の侍ではないんです(ここ重要なのにわかりづらい)

純粋に故郷の国を想う熱い正義感の青年なんです

道場主で剣の腕が良く、国を思う気持ちを家老に利用されて、砦で死守するように命じられます

罪人たちのお目付け役として他に三人の侍が登場しますが、この三人だけは家老から「事が済んだら罪人たちを口封じのために処刑しろ」と命を受けています(兵士郎は家老の腹心の部下ではないのでこの特命を知りません。むしろ口封じで処刑される罪人と同じ立場)

国を思う純粋な心を持った若者を戦場に送る古狸の家老というわかりやすい構成ですね

映画の最後に官軍への手土産として差し出される賊軍の首もこの兵士郎の首です

この兵士郎が最後に砦にやってきた家老たち相手に大立ち回りを繰り広げるのが今作の山場、その時に「おれが十一人目の賊軍だ」と言っちゃってるのでまあ仕方ないんですけど、国のために命がけで戦ったのに、処分という名目で殺す家老

そして家老の娘の助命嘆願がなければ自分も処分されていたという事実

そして映画のはじめのほうでこの兵士郎は奥羽越列藩同盟軍と共に立ち上がるべきだ、と集会を開いているんです

家老もそれを知っているので利用したということです

愛国心に溢れる若者は厄介で、国の指導者がどちらの側につくかによって賊軍としても扱われてしまうという事です

日本の国を思う若者も日本の指導者の思惑(アメリカか中国か)によっていくらでも扱いが変わってしまうことを表現しています(基本的に日本の政治家はアメリカ寄りか中国寄りかで偏ってます)

そしてこの愛国心に溢れた兵士郎を単純なヒーローとして描かないところがまた裏テーマに繋がっていて面白いんです(あっやっぱりそういう意味では面白い映画だったかも)

具体的には官軍から「人質を釈放して官軍に降れば罪を赦す」という降伏勧告を受けて、主人公たちが官軍のところに降ろうとしたとき

なんとこの兵士郎が敵の士官である人質を射殺してしまい、官軍との戦闘が始まってしまいます

この時の「おまえらのトトやカカを守るために戦うんだ。領内で戦争が起きたらたくさんの人が死ぬかもしれない」という表現、まるで太平洋戦争の特攻隊員へ檄を飛ばす指揮官のようです

国を思う気持ちが時に戦争を泥沼化させてしまうという一種の警告になっています

この兵士郎の言葉通り国を守るために戦う若者がいれば国家は安泰なのでしょうか?

そこまでして守ろうとした新発田藩ではこの戦いのあと今後どうなっていくのでしょうか?

それを象徴している出来事が映画のラストに起こります

あれだけ新発田藩を守ろうと汚い工作活動までした阿部サダヲ演じる家老(溝口内匠みぞぐちたくみ)の娘は自害します

お腹の中に子どもがいるのに自殺してしまうんです

これも裏テーマがわかんないと「なんできゅうに自殺したの?わけわかんない」ってなりそうです、ましてやお腹に愛する人の子どもがいたらがんばって産もうとしますよね

この家老の娘がお腹の子を産まずに自殺するのは少子化を風刺しているとしか思えません

どんなに国を守ろうと努力しても若い世代が結婚して子どもを産んで育てなければ国の先行きは暗いです(いくら兵器で防衛しても国民がいなければ国として成り立たない)

日本の若い人たちはデモ活動に積極的ではありません

でもデモ(ダジャレ)をしないわけではないんです

結婚しない(できない)子どもを作らない(作れない)ことで緩やかで静かなデモ(自殺)をしているんです

この娘も父親である阿部サダヲ演じる家老に抗議しません

あっさりと死にます(セリフもなく突然です、だからこそ、なんで?なんで?となるわけです)

結局、若者は国のためとか家族やふるさとを守るためとか綺麗事をきかされて戦場で使い潰されるし、そこまでして国のために戦っても国の指導者の気持ち一つで簡単に葬り去られてしまいます

未来を担う若者は声も上げずに静かに死んでいくだけ

本当に国を守るということは若い人たちが安心して結婚して子どもを育てられるようにすることであって、それこそが優先すべき課題です

優先順位を間違えると国を守っても若者が結婚せず子どもが減っていき、そもそも国そのものがなくなるよ、という未来を暗示しています

日本は米国と日米同盟を結んでいます

同盟を結んでいるから安心ではありません

同盟国は戦争に参加しろと圧力をかけてきています

この映画では官軍相手に戦うようにけしかけてきていました

果たして日本はどこと戦争をしろと米国に脅されるでしょうか

そして官軍はどこの国になるのか

観ていてとても不安になる映画でした

以下蛇足

この『十一の賊軍』という映画は1964年(冷戦真っ只中)に笠原和夫がプロット・脚本を書いています

でも主人公たち賊軍が最後に全員死んでしまうという結末が当時の東映京都撮影所所長岡田茂の意にそぐわずに却下され、企画は打ち切りになったそうです

それを知った白石和彌監督が企画を持ち込み、東映が「今こそ作るべきだ」と判断して映画化が決定しました(東映すごいな)

その際に白石和彌監督によりラストシーンは当初の笠原和夫バージョンから書き換えられているようです(やっぱりあのラストシーンは象徴的でしたね)

そして白石和彌監督の特長として、ヒーローと考えている登場人物には痰を吐かせる、という演出があります

この『十一の賊軍』では山田孝之演じる政が吐いていましたね(ぼくはきったねーって思いながら観てました)

その政は映画の最後で兵士郎と家老たちとの死闘を見て自分も参戦することを決めて爆弾で自爆します

貧乏で弱い立場にいる政が侍たちを巻き込んで盛大に自爆したのはこの映画によって少しは社会に一石投じることができるように、という白石和彌監督の願いがこもっているように感じます

ちなみにぼくはNetflix配信ドラマの『極悪女王』の撮影現場で何度か白石和彌監督を実際に見ています(けっこう背が低かった印象がありますね)

ゆりやんレトリィバァや松角洋平あたりが登場しているのは『極悪女王』からの繋がりな気がします